「じゃあこの問題は? 『ブラック・ボンバー』『ジャンク・シンクロン』『剣闘獣ダリウス』『デブリ・ドラゴン』
の四種類は何れも墓地からモンスターを特殊召喚し、その効果を無効化するモンスター効果を持って
いますが、この効果の発動にチェーンして『月の書』を発動した場合、異なる挙動をするカードはどれでしょう?」
龍亞の出した問題に、遊星は即答した。
「『剣闘獣ダリウス』だ。どのカードにしても、効果解決時に効果を発動したモンスターがフィールド上に
表側表示で存在しなくとも墓地からの特殊召喚を行うが、他の三種類は、効果を無効化する効果も適用される。
対してダリウスだけは、それが適用されない為、特殊召喚されたモンスターは効果の発動が行える」
「あ、正解だ。遊星すごい!」
模範解答を眺めながら天兵が言う。
「蘇生効果を持つチューナーは使い勝手が良いし、剣闘獣は、ライトロードに押されているとはいえ遭遇率
が低くないからな。この辺りのルールは正確に把握しておくべきだ」
「先生もそんな事を言ってたわね」
遊星は実験用Dホイール・フレームの整備をしながら、デュエルアカデミア小学部児童達の話し相手に
なっていた。子供達の会話や話題は取留めが無く、今のように学校の授業に関係のある事もあれば、テレビの
話だとか、街中で見かけた不思議な人の話だとか、教師の噂だとか、そういったものが無秩序に並べられていた。
競うように話す子供達の言葉に、遊星は短い相槌と頷きで応えていた。先のように問題を出されるような事が
あれば丁寧に答えるが、そうでもなければ自分から話す様な事はほとんど無かった。子供達にとっては聞くより
喋る方が楽しいものなので、遊星のような人間は恰好の存在だった。
「そう言えば遊星、クロウは?」
龍亞が倉庫内を見回して言う。普段なら、子供の相手は遊星とクロウの二人の役目のはずだった。
「ジャックと一緒に仕事に行ってる」
「ジャック、働いてるの?」
龍可が驚いて訊くと、遊星は首をやや傾げて答えた。
「ああ、まぁ……な」
その様子から、訊いちゃまずい事だったかしら、と龍可は思い、それ以上追窮はしない事にした。
龍亞は特に興味は無いらしく、もう次の話を始めていた。学校のデュエルで、自分がどんな風に戦ったのか、
結果はどうだったのか、などを話し、遊星に意見を求めたりしている。
そんな話の輪を、龍可は一歩引いた位置から聞いていた。時々突っ込みを入れたり茶々を入れたりしていたが、
敢えて自分から話に入ろうとはしなかった。
デュエルは楽しいし、その話を聞いたりするのだって嫌いではなかった。でも未だに、疲れる、という感覚が残っていた。
それが彼女から積極性を奪っていた。
「じゃあ、また明日ね」
「おお! 明日な!」
帰り道、龍可は龍亞と天兵と分かれた。いつもならば、龍亞と龍可が一緒に帰り、天兵と別れるべき
場所だったが、今日は男子二人が一緒に行き、龍可だけが自宅へと帰った。今日は龍亞が天兵の家に
お泊りをする日だった。その為に龍亞は着替えの下着だとか寝巻きだとか、その他細々としたものを学校
まで持っていっていたのだ。前日の晩の用意の時、龍可が呆れて、
「一回家へ帰って持っていけばいいじゃない」
と忠告したが、龍亞は頑として譲らなかった。彼の弁に依れば、家へ帰らない事に意味があるらしい。
そう、勝手にすれば、とだけ龍可は答えた。翌日、授業の鞄や体育で使う水着とは別に重そうな鞄を
提げて学校へ行く龍亞に、だから言ったのに、と嫌味を言ったが、龍亞は堪えた様子も無かった。
両親がいない以上、龍亞が外泊となれば、必然的に家に残るのは龍可だけという事になる(ホテルの
宿泊客を別にすれば、だが)。二人で使うにも広すぎたあの家は、独りの子供にとって無限の空き地と
同じようなものだった。空白の空間と時間に慣れ切った龍可ではあったけれども、それが平気だという
わけではなかった。様々な理由から、龍亞に対し一緒にいて欲しいとごねた事こそ無かったものの。
誰もいない家を思い浮かべる。龍可にとっては、誰もいない家とは、つまり龍亞のいない家と同義だった。
時間が澱み、空気が止まったその空虚な室内。味のしない夕餉。そして永遠に思える夜。……足取りは
自然と重くなった。
「あ、いけない」
道半ばで、自分の右手にあるはずのものがない事に気付いた。水泳用具だった。水着やタオルを入れた
あのバッグだ。学校を出る時に持っていたのは覚えているから、どこに忘れて来たのは明白だった。
龍可はすぐに取って返す。ただ水着をちゃんと洗いたいから、という理由以上に、家から遠ざかりたい、
家へ帰るのを少しでも遅らせたい、という願いもあったかもしれない。
エンジン周りの部品をほとんど交換するような大作業が終わり、遊星は体を伸ばした。長時間集中して
作業を続けたせいか、頭と体が異様に重かった。視界も少し歪んでいるような気がした。
ふらつく足取りで流しへ行き、石鹸をつけて念入りに手を洗う。タオルで水気を取った後、目頭に手をやった。
冷たい手が気持ち良かった。
道具を片付けようとDホイール・フレームの場所まで戻ったところで、龍可が入って来た。
「龍可、どうした? こんな時間に」
「ちょっと忘れ物」
そう言って龍可は先自分が立っていた場所までいく。そこに、赤色の水泳バッグが置いてあった。
「あ、良かった。やっぱりここだった」
そう言って持ち上げる。
「もう遅いから、急いで帰ったほうがいいぞ」
「うん、わかってる」
遊星は手に持ったスパナを置こうと振り返った。その時、地面に置いておいたスプレー缶を蹴飛ばして
しまう。顔を顰め、それを拾おうと膝を屈する。その時、視界がぐらりと揺れた。入るべき力が入らなかったのだ。
どさりという音を聞いて龍可が振り返ると、遊星が倒れていた。
「遊星! 大丈夫?」
慌てて駆け寄り、助け起こそうとする。手に触れた時、異変に気付いた。はっとして、よろよろと上半身を
起こした遊星の額に手をやる。
「ちょっと、酷い熱じゃない」
「熱?」
遊星はまだ焦点の定まらない視線で龍可を見て、首を傾げた。
「体調が悪いのに無茶したんじゃないの?」
「いや、俺は別に……」
「言い訳はしなくていいから。寝てないと。ほら、立てる?」
遊星の腕を取って、立ち上がるのを手伝おうとする龍可。
「龍可、何もそこまで体調が悪いわけじゃ……」
そう言いながら立ち上がろうとした遊星は、激しい寒気と脱力感に襲われて、また踞りかける。
「嘘ばっかり。しっかりして、遊星。部屋まで連れて行ってあげるから」
龍可は遊星に肩を貸し、立ち上がらせた。足元が覚束ない遊星は、龍可の手を借り、部屋へと向かう。
頭ががんがんと痛くなってきた。一度倒れた事で、熱が本格的に酷くなったらしい。
遊星をベッドに寝かせると、龍可は靴を脱がせ、毛布をかけてやった。
「遊星、薬や体温計はどこにあるの?」
「薬……? 一階の……、一階に、薬箱があるはずだ」
「解った。待ってて」
龍可は一階に降りると、棚を探し、薬箱を見つけ出した。中を検めて、風邪薬や体温計がある事を
確認すると、遊星の部屋へ取って返す。階段の途中で引き返し、台所へ行って水をコップへ汲み、
それも持って遊星の部屋へと行った。
「大丈夫? 薬を持ってきたわ。その前に熱を測って」
水の入ったコップを机の上に置き、薬箱から体温計を取り出すと、龍可はそれを遊星の耳にあて、
スイッチを押した。すぐに結果が表示された。
「三十九度七分!」
「そんなに高いのか……?」
辛そうな声で遊星は聞いた。その様子が一番体温計の正確さを証明していた。
「遊星、今日はもう寝て。ちょっと待って、クロウとジャックに連絡しましょう。あ、先に薬を飲んで」
薬箱から今度は風邪薬を取り出す。丸薬二つを遊星の手に乗せてやり、遊星がそれを口に含むと、
今度は水を渡してやる。
「遊星、電話を借りるわね」
そう行って、龍可は部屋を出た。彼女の後姿を、遊星は見ていなかった。高熱からくる体の気だるさで、
すぐに眠ってしまった。
「遊星が熱!?」
立体映像の中のクロウが驚きの声を上げる。
「そうなのよ。クロウ、今すぐ帰れそう?」
「帰りたいのは山々なんだが……」
クロウがそう言い掛けると、その言葉を遮るように、後ろから大声が聞こえた。
「明後日までかかるだと!? ふざけるな! こんなもの今すぐ終わらせろ!」
誰の声かは考えるまでも無いことだった。こんな傲岸不遜で厚顔無恥な大声を出せる人間など
極めて限られている。龍可は一人しか知らなかった。
クロウは後ろを確認してから、悔しそうに頭を振った。
「……今朝の地震で土砂崩れが起こって、道を塞いじまったそうなんだ」
「道を、って、今どこにいるの?」
「山の中のペンション、から帰る途中。そこへの配達依頼と、そこでのバイト依頼が上手く重なったからさ、
荷物を運んだ後、一晩泊りがけでバイトしてたんだよ。俺とジャックで。いや、ジャックは仕事を増やした
だけなんだが……、そんな事は今どうでもいい。そういうわけで、すぐには帰れそうにないんだ」
「他に道は無いの?」
「山の反対方向に抜ける道はあるんだが、そこだと、ぐるっと迂回してじゃないと帰れないんだ。そっちから
帰るつもりだが、一晩くらいはかかっちまうぜ」
そこまでクロウが言ったところで、横からジャックが現れた。
「おい、遊星は大丈夫なのか?」
「今は寝てるわ。でも、熱が高いから苦しそう」
「なんとかならんのか!」
「無茶言うなよジャック!」
横からクロウが止める。ジャックはクロウを睨みつけたが、
「ええい」
そう言って手を大きく振ると、映像から消えていった。声だけが聞こえる。
「クロウ、急ぐぞ! 迂回路を行くんだ!」
クロウはジャックの方へ頷くと、龍可へと向き直った。
「なるべく急いで帰るけどよ、早く着いても明日の朝が限度だと思うぜ」
「気をつけてね。クロウ達が事故しちゃったら本末転倒よ」
「ま、ジャックが暴走しないようせいぜい気をつけるさ。じゃあ、遊星を頼むぜ」
Dホイールが発進する音を最後に、電話は切れた。龍可は大きく溜息を吐く。
「遊星……」
階段の上の方を見上げる。遊星はまだ部屋で苦しんでいるのだろう。
「私が、何とかしなきゃ」
そう独り言ちて、龍可は歩き出した。まずお医者さんを呼んで、それから――。
医者を呼ぶのは、ゾラの協力を仰ぐ事で比較的楽に行えた。呼ばれてきた医者は直ちに遊星の
診察を行った。
「疲れから来る風邪だね。根を詰め過ぎたようだ。市販の薬を飲ませたって? どれ? ああ、これか。
じゃあ、それと競合しない様に薬を出しとこう。この手の風邪はとにかく休むことさ。そうすれば、早ければ
明日には良くなるだろう。うん、栄養剤くらい注射しておこうか」
遊星のしなやかに筋肉のついた腕を、看護師がアルコールを含ませた脱脂綿で消毒する。医者の枯れ木
の様な指が張りを確かめるように遊星の腕を弄り、そこに鋭い注射針を突き立てる。微かな皮膚の隆起。
液が注入され、抜かれる。僅かに血液が染み出る。龍可は食い入るようにその工程を見詰めていた。技術が
あれば自分が注射をしてあげたかった。
医者が帰ると、ゾラは龍可に言った。
「これだけ遅いと危ないから、タクシーでも呼ぼうかい?」
龍可は少し考えて、断った。
「いえ、今日はここに泊まって、遊星の看病をしてあげようかと思ってます」
「ええ? でも、親御さんが心配するだろう?」
「今日は、家に誰もいないんです」
その言葉を口にする時の龍可の表情は対外的な笑みであったが、ゾラはその後ろにある心の表情を見抜いた。
少しの間じっと龍可を見た後、
「そうかい。じゃあ、遊星をよろしく頼むよ。何かあったら聞いておくれ」
と、優しく言った。龍可は早速、洗面場等の場所を聞く。
ゾラが帰ると、龍可は家の片づけを始めた。倉庫内で出しっぱなしになっている道具を片付け、洗濯機を回して
洗濯物を洗う。それらが終わると、遊星の様子を見にいった。
遊星はまだ眠っていた。だが、熱に浮かされているようだった先に比べて、今は随分と楽そうに見えた。体温を
測ってみると三十八度台にまで下がっている。首に手を当てて、リンパの張り具合を確かめてみる。肌が汗でべとべとで、
拭いてあげた方が良いだろうと思った。その前に、龍可は氷嚢を取り替える為、すっかり溶けてしまった遊星の頭の上の
それを取り、冷蔵庫まで行った。
冷蔵庫から新しい氷嚢を出していると、既視感がある事に気付いた。前にもこんな事をしたような気がする。あれは……
何だったかしら。
階段を上がっている間に、思い出した。そうだ、龍亞が池に落ちた時だ。
天兵と一緒に遊んでいた龍亞が、池に落ちてびしょびしょになって帰って来た事があった。服を乾かせばいいものを、
濡れたままで歩いて来たものだから、風邪をひいてしまったのだ。熱を出して寝込んだ龍亞を看病したのは、いうまでも
無く龍可だった。
あの時も同じだった。家事を全部一人でやって(元々龍可の比率が多かったけれども)、熱を測り、体を拭いてやり、
食事を作り――と、凡そ看病と呼びうる事は全てやったのだ。道理で迷い無く遊星を看病出来るはずだった。
そして同じなのは手順だけではなかった。親しい人間が熱で倒れているというのに、不謹慎にも感じてしまうこの
ちょっとした愉悦もまた、同じだった。今龍可は、間違いなく、遊星の看病を楽しんでいた。
部屋に入ると、遊星は身を起こしていた。目が覚めたらしい。
「あ、遊星。起きたのね」
「龍可……。こんな時間まで、どうして」
「今日は泊まっていって見てあげるわ。そんな体調じゃあ、動けないでしょう?」
「何?」
遊星は眉を顰める。
「だが、龍亞はどうする?」
「今日、龍亞はいないのよ。だから、家に帰っても私だけなの」
「そうなのか」
そう言って俯く遊星。今の自分の体調だと、誰かに助けてもらえれば大変ありがたいが、龍可にそれを
望むのは何となく悪い気がする、といった精神状態だった。
龍可も、遊星の何となく納得が行かない気分を感じ取った。洗面器の中に入れた氷嚢を机の上に置くと、
話題を変える。
「遊星、お腹空いてない?」
「それは、少しは」
「じゃあ、ちょっと待ってて。先に何か作って持ってきてあげる」
「いや、龍可。何もそこまでしてくれなくても……」
遊星の言葉は聞かず、龍可は部屋を出た。龍亞の時も似たような感じだった。自分では何も
出来るような状態ではないくせに、龍可に世話を焼かれるのを大変嫌がるのだった。普段は平気で
妹に迷惑をかけるあの兄が、自分が弱っている時だけは、必死にそれを嫌がる様は、龍可から
見れば滑稽ですらあった。遊星も似たようなものなのだろうと考えていた。その点では、何年経っても
男の子は男の子なのだと思う龍可だった。
ブレザーを脱ぐと、かけてあった中で一番小さい、おそらくクロウのものだろうエプロンを着ける(何か
ダサいカラスのアップリケが付いていた)。台所を借りて、ありあわせの材料でお粥を作る。二十歳前後の
男三人を一つの家に詰め込んで半年ほど放置したらだいたいこんな感じになるだろうという有様の台所は
まず片付けからはじめなければならず、冷蔵庫その他の収納場所に乱雑に置かれた食材も龍可から
見れば色々と言いたい事もあったが、ともかく、三十分ほどで食事を作る事は出来た。
お粥を部屋へ持っていくと、遊星は横になって待っていた。だが寝てはいなかった。
「遊星、大丈夫?」
「ああ、随分楽になった」
と、遊星は上半身を起こす。言葉通り、顔色は大分良くなっていたが、まだ幾分頬が赤かった。
「ありがとう、龍可。助かる」
先んじてお礼を言う遊星。こういう言葉がこれ以降の世話に対する予防に使われる事を龍亞で知っていた龍可は、
それを聞き流した。
「これ。食べて」
ベッドの横に椅子を移動させて、そこへ座り、龍可はお粥の入った器を差し出した。遊星は受け取ろうと手を伸ばすが、
龍可は女性的なやり方でその腕を無視する。自分で匙を持ちお粥を掬うと、二、三度息を吹きかけて冷まし、遊星の
口の前へ持ってゆく。
「はい、あーん」
「………」
遊星は閉口した。龍可の命令には従わなかった。暫く匙の先を見詰めていたが、眼を瞑って、少し怒った様に言う。
「龍可、自分で食べられる」
「良いから、病人は言うことを聞きなさい。遊星、ほら、口を開けて」
自分の言葉をあっさりと流されて、遊星はたじたじとなり、やがて観念したように、黙って口を開けた。龍可はその口の
中に匙を差し入れ、食べさせてくれる。
「どう? 美味しい?」
「ああ、美味い。……本当に美味いな」
遊星はやや驚いたように口元に手をあて、賞賛した。龍可はにこりと笑う。
「私、料理には少し自信があるのよ。今度、元気になったらカレーでも作ってあげる」
「そうか……、そういえば前そんな事を言っていたな」
「だから、早く元気になってね。はい、あーん」
遊星はもう何ら抵抗しなかった。龍可の有無を言わせない態度に反抗するのも馬鹿らしく、黙って彼女に従い、
食べさせてもらう。それに実際のところ、人に何かを食べさせてもらうなど、新鮮な感覚でもあった。彼が常に
無病息災であったわけではなく、懇ろな看病と無縁であったわけでもないのだが、他人に迷惑をかける事を厭う
遊星は、病床に臥せていても出来る限りの事を自分でやっていた。マーサやシュミットも、怪我や病気に障る
ような事は別として、殊にそれを止めようとはしなかった。彼らは龍可とは違い、本当の意味で相手の事を
考えて看病をしていたからだ。
器はあっという間に空になった。薬を与え、医者から聞いた注意を復唱した後、もう少し寝ているといいわ、
と言い残し、龍可は部屋を出る。
病人の面倒を見るのが楽しい、というのは、別にそう特別な感情でもないだろう。面倒見の良い
人間はどこにでもいるし、世話することに快感を感じる者も少なくない。だが龍可の楽しみ様は、
それらの感情だけでは説明がつかないものがあった。そもそも龍可は、本来は看病される側、
世話をかける側であった。病弱な幼年期、龍亞をはじめとする周囲の人間に、龍可は常に看病され、
面倒を見られていた。そして、決してそれを喜んでいたわけではない。彼女の自尊心の強い性格は、
人に自分を任せる事を許せなかった。
その龍可が、看病する側に回る事が出来たのだ。張り切らないわけは無かった。半ば復讐のように、
濃やかな世話を焼く。そして相手の拒否はむしろ心地良くすらあった。特に龍亞や遊星に対しては
そうだった。
兄である龍亞は、龍可を一番庇護した人間だ。それをありがたくこそ思っていたが、負い目を感じて
いないわけでも無かった。その龍亞を、逆に看護出来る。これほど愉しい事も無かった。熱っぽい声で
弱々しく何かを言う龍亞、その目尻に滲んだ涙を、赤く火照った頬を、霞む様に消えてゆく言葉尻を、
龍可は愛した。それを優しく包み込み、涙を拭い、頬に冷たい手を当て、柔らかい言葉を返してやる
のが好きだった。今の遊星は、あの時の龍亞と同じだった。
病人を看護する自分を崇高な存在としていとおしむ様な、自己愛的な帰結ではない。強者が晒す
弱者の様というか、自らの楯に小鳥の巣を発見した騎士の様な、そんな即座に解決しようの無い
困難を抱え込み、苦悩する人間が、というより苦悩する様を、素敵だと感じるのだった。
そして何より、そういう人間が、その場では龍可を頼る他無い事が重要なのだった。普段庇護している
対象に庇護される人間の曝す羞恥程、見ていて幸せになれるものも無かった。龍亞や遊星が見せた遠慮
など格別だった。
食器を洗いながら、龍可は次にどうしようかと考えていた。そもそもは体を拭いてあげようと思っていた
のだから、それを続けるのが良いだろうと思った。洗面器に、今度はお湯を汲んで、タオルと一緒に持って
上がろう。遊星の服を脱がす時、彼はどんな表情をするだろうかと考える。折角だから、私が脱がして
あげよう。遊星には何もさせてあげない。ただ私が言うように、腕を動かし、腰を浮かす事だけを許して、
子供みたいに服を剥ぎ取ってしまおう。それから、固く絞ったタオルを体に当てて、拭いてあげる。
ベッドに横たわったまま、七歳も年下の女の子の言いなりになっている遊星。困惑と、そしてちょっとした
恐怖が入り混じった瞳で自分を見上げてくる遊星。龍可はそれが見たかった。
お湯を沸かし、清潔なタオルを取り出して、龍可は階段を上がる。だが上がったところの廊下で、遊星と
会った。遊星は自分の部屋に入ろうとしていた。
「遊星! どうしたの?」
「え? いや、トイレに行っていただけだが」
「駄目じゃない! 寝てないと!」
この時の龍可の怒り方は必要以上だった。気圧された遊星は、
「あ、ああ。すまない」
と謝ると、部屋の中に入った。龍可も続いて部屋に入り、入口付近で龍可を見ている遊星の服の裾を掴むと、
ベッドまで連れて行き、座らせた。
「駄目よ、ちょっと熱が引いたからってすぐ立ち歩いたりしたら。すぐまた熱が酷くなるんだから」
「いや、しかし」
「言い訳はしない!」
全ての言葉を封じられ、遊星は黙り込む。龍可は持ってきた洗面器を机に置くと、タオルをその中に入ったお湯に
浸した。少し熱かったが、遊星もまたすぐに感じる事になる熱さだと考えると、気持ち良くすらあった。
「遊星、服を脱いで。体を拭いてあげる」
タオルを絞りながら、龍可は言った。
「わかった」
遊星は答える。だが後ろで衣擦れの音が聞こえると、龍可ははっとして振り返る。遊星はおとなしくシャツを
脱いでいた。龍可の考えでは、自分で出来るとごねる遊星の服を無理矢理に脱がす計画だったのだ。
早速頓挫してしまった。だが、ズボンは脱いでいなかったから、全てが駄目になったわけでもなかった。
龍可が遊星に向き直ると、遊星は龍可に背を向けてベッドに座りなおしていた。顔だけ横に向けて、
「龍可、タオルを貸してくれ」
と言う。自分で拭けるというのだ。これは、龍可の予想通りだった。
「私が拭いてあげるわ」
嬉しげに遊星の言葉を無視しつつ、龍可は固く絞ったタオルを遊星の背中に当てた。
「っ……」
熱かったのだろう、遊星の体が震えるのが解った。その反応に、龍可は背筋がぞくぞくするような心地良さを感じた。
力を入れて、遊星の肩や背中を拭く。背面の隆り、肩の盛り上がり、何れも目を見張るほど異質ではなかったものの、
触ってみれば、その内側に確りとついた筋肉がよく解った。細身ながらきっちりと体を作りこんでいるらしい。ある意味
男性らしいといえるその裸体は、龍可を魅了した。
遊星の体を拭きながら、もし私にアキさんみたいな能力があれば、と龍可は妄想した。そうしたら、
絶対に、遊星を薔薇の蔓で縛り上げるのに。この均整の取れた肉体に細くて丈夫な蔓が巻きついて、
無数の針が、肌に刺さるのだ。でも絶対に、大量の出血はない。それは美しくない。皮膚を斑に彩る
程度が良い。そうやって、十字架に張り付けるみたいにして、遊星を拘束する。首くらいは、自由に
動かせるようにしてあげても良いかもしれない。どうせなら、本当に棘の壁に磔刑にしてしまえば、
さぞ綺麗だろうとも思った。そうやって動けなくした遊星の面倒を、ずっと、永遠に、見てあげる。私が
部屋に入ったら、遊星は、びくびくしながらも縋る様な目で私を見る。その視線はきっと最高。私に
される様々な事は耐え難いけど、私以外に頼れる人間がいない、そんな瞳……。
背中や腕を拭き終わると、次は前だ。龍可は遊星に、前を向くように言った。振り向いた遊星の瞳は、
龍可が心に描いたようなものでは全然なかったが、今の龍可にはそれでも良かった。
「龍可、後は自分で出来る」
「大丈夫よ、遠慮しなくても。やってあげるから」
だが今回は、遊星も易々と言う事を聞こうとはしなかった。龍可の持ったタオルを奪おうとする。龍可は
サッと手を引いて、その攻撃を回避した。仕様が無いなぁ、とでも言うようにわざとらしく溜息をつくと、
遊星の肩に手をかけ、膝でベッドの上に乗り、遊星の前に回ろうとする。短いスカートでそんな事をするとは
思っていなかったらしく、遊星の反応は遅れた。慌てて動こうとした遊星の体勢が崩れるのを利用して、
龍可は手に力を込め、遊星を仰向けに押し倒した。
倒れた遊星の、龍可を見上げる視線は、龍可が想像していた「ベッドに横になった遊星」のそれとは少し
違っていた。基本的に龍可の看病の知識は龍亞を元にしている。だから遊星の、何かを護るような拒否の
視線は、まるで想定外だった。それは他人にだけ向ける視線であるはずだった。龍亞にとって龍可は他人
ではない。だが、遊星にとっての龍可は?
龍可は視線を下げる。引き締まった胸部、細い腹部、腰。その脇腹の辺りに、傷跡が一つ。癒えてはいるが、
どれだけ酷い傷であったかがありありと想像できるような、荒々しい治り方をしている。
「龍可」
遊星が言った。はっとして、龍可は遊星の顔を見る。その時の遊星は、もう既にあの拒否を顔に出しては
いなかった。この時の遊星は、子供を見る大人の顔だった。初めて遊星に会った時、自分のマーカーを
指差して、迷惑になるから出てゆくと言った時の遊星も同じ顔をしていた。
「自分で出来るから、大丈夫だ」
龍可は暫く呆然と膝立ちになっていたが、やがて、
「うん、解った。じゃあ、外で待ってるね」
そう言ってベッドを下りた。
「いや、大丈夫だ。これを下に持って降りるくらいは出来る。龍可は、空いてる部屋を使って寝ると良い。もう遅いからな」
遊星はそう言う。龍可はただ頷く事しか出来なかった。
ジャックの部屋とクロウの部屋、の二択であるから、無論龍可はクロウの部屋を使わせてもらうことにした。
エプロンはもう取っている。髪を解いて、ベッドに横たわる。スカートやブラウスが皺になるのは嫌だったが、
代えの服が無いので仕方ない。
遊星の傷と、視線が忘れられなかった。遊星のあの頑なな拒否は、自分の傷を見せるのが嫌だった、
という理由もあるのだろう。古傷など、誰かに見せたいものではない。本当に痛みを伴った傷であるなら
なおさらだった。そういうものを曝け出すのは、身内だけだ。そしてまた、覗いて良いのも、身内だけなのだろう。
龍可は遊星の身内ではなかった。
遊星にあの傷を付けたのがもし自分なら、と龍可は考えてみた。それなら何も問題は無かった。いや、むしろ
そうあるべきだった。そうであれば、あの傷が、遊星と自分を結ぶ絆になってくれただろう。五人一括りのシグナーの
痣などとは違う、本物の、二人だけの絆に。そして現実はそうではない。あの傷は、ただ自分を拒むだけだった。
あの傷を不意に見てしまった時、遊星は怒らなかった。嫌そうな顔すら自重した。それはつまり、龍可が子供
であるから。そして、龍可が他人であるからだった。龍可はそれを嫌というほど感じることが出来た。それは遊星と
自分を隔てる二重の壁だった。にもかかわらず、卑怯な事に、遊星はその壁を無視して龍可に触る事が出来るの
だった。龍可は遊星を、他人だとは思えなかったから。
遊星は、龍可と龍亞しか存在しない世界に突如割り込んで来た闖入者だった。二人が二人だけの世界を護る
ために施した各種防壁は完璧だった。あれだけ広い屋敷を、勿論二人だけの力で維持することなど出来ない。
屋敷の維持には、ホテルの従業員の手を借りていた。だが、身の回り、普段生活に使用する部屋だけは、
自分たちで掃除をしていた。食事も、特別な事が無い限り自分たちで作っていた。あの家は二人だけの空間だった。
龍亞と龍可とに完全に適合した、他のものを拒む世界だった。不純物が混じってはいけない場所だった。そんな場所に、
遊星は無遠慮に入ってきて、二人をそこから引きずり出した。この時龍可は、二人だけの世界に遊星を加えてしまって
いた。だが遊星は、それに気付いていないのだ。
だから遊星は……。龍可は思った。もし時が来れば、また夜中勝手に出て行ってしまうだろう。最初に会った時のように。
あの時は、それで良かった。本来いないはずのものがいなくなって、正常に戻っただけだと思っていた。でも今は違う。
龍可の世界には、龍亞だけではなく、遊星も存在した。世界の三分の一が、何の前触れも無く消え去り得るという恐怖。
シグナー同士なら、また会える。遊星はそう言っていた。龍可はそれを心から信じる事は出来ない。親子の絆ですら、
時として危ういものになる事を彼女は知悉している。つまりは、この世に確実なものなど無いという事だ。その例外を、
龍可は龍亞との絆だと確信していた。でも遊星は? 遊星も、龍可が遊星を感じるように龍可を感じていれば、その絆は
確実なものだったはずだ。でも、龍可には先のあの遊星の拒みで解ってしまった。自分が遊星の世界の外にいるという事を。
「……ずるいよ、遊星」
そう口にした時、龍可は泣いていた。遊星が何時かいなくなるという恐怖に押しつぶされそうだった。
熱で臥せった遊星に酷く安心感を感じていた自分をようやく理解した。動けない遊星は、何処かへ
行くことはないだろうという合理的な理由だったのだ。薔薇の蔓で縛り付けるというあの妄想も、尤もな
ものだった。拘束してしまえば、遊星が何処かへ行ってしまうことは決して無いだろう。
だが、今は? 今の遊星は? 病気とはいっても、歩き回れるくらいには快復している。ならば、
遊星が今夜出て行ってしまわない保証がどこにあるだろう?
急に不安に駆られた龍可は、起き上がった。遊星の部屋へ急ぐ。
遊星の部屋の前へ来ると、遠慮がちにドアをノックした。
「遊星、入るわよ」
ドアを開けた。ベッドにはちゃんと遊星がいた。当たり前だった。
「龍可……か。どうした?」
遊星は仰向けに寝たまま、首だけを動かした龍可を見た。
「あ、ご、ごめん。起こしちゃった?」
「いや。寝られなかったんだ。もう随分体調が戻ったようだ」
遊星のその言葉に、龍可は敏感に拒否を感じ取った。ここで拒まれて、そのまま部屋を出てしまっては
いけないと思った。そうしたら、本当に遊星は、私の前からいなくなってしまう。
龍可はベッドの側まで歩み寄った。遊星は不思議そうな顔で龍可を見上げる。龍可は、ベッドに腰掛けた。
「遊星、そのね、今晩、ここで見ていてあげるわ」
「何を言ってるんだ、龍可。先も言ったが、俺は大丈夫だ。龍可こそ、寝た方が良い。あれだけ俺と一緒に
いたんだから、体調を崩したら、すぐに風邪になってしまうぞ」
「………」
全くの正論だったが、龍可も引けなかった。
「ごめん、遊星。私、ここにいたいの」
「龍可?」
その様子に尋常でないものを感じ取り、遊星は体を起こした。龍可は遊星の目を見る。
「遊星、何処かへ行っちゃわない?」
「どこか?」
「私の知らない何処か。ほら、前も遊星、私が寝てる間に、いつの間にかいなくなっちゃったじゃない」
ここは遊星の家なのだから、龍可が言っていることは全く意味不明な事だった。だが理屈ではない
恐怖を龍可が感じている事を、遊星は察する。龍可の瞳は真剣そのものだった。遊星はそれに応えて
やれないような男ではなった。
「大丈夫だ、龍可。俺はここにいるから。どこへも行ったりはしない」
その言葉は、しかし龍可を何ら安心させなかった。もしかしたら、遊星は既にここにはいないんじゃないか、
という恐怖を、龍可は突然感じた。遊星の顔を見たまま、そっと、手を伸ばした。遊星の顔に刻まれたマーカーに
触れる。窓から差し込む月明かりで、その形をはっきりと見て取ることが出来た。感触は確かにあった。
遊星は、龍可のその手を取る。遊星の手に比べれば、随分と小さなその手。
まずいな、と思った時には遅かった。遊星は自分でも意識する事なく、龍可の手を引いてしまっていた。
彼女は何の抵抗もなく身を乗り出した。後は遊星が少し体を動かすだけだった。唇が押し付けられる感触。
軽く触れる程度のキスだった。離れると、二人は顔を見合わせる。
「あ……その……」
龍可は自分がしてしまった事が何か今理解したような様子で、真っ赤になっていた。
「遊星、私ね」
遊星に握られた手を、そこから伝わる体温を意識しながら、龍可は何か言おうとした。だが、言葉が
上手く出てこなかった。遊星は暫くその龍可の慌てふためいた姿を楽しんでいたが、人差し指を龍可の
顎にやって自分の方を向かせた後、
「今夜はここにいたいんだろう?」
と、絡め取るように言う。龍可はさらに顔を赤くして、俯いてしまった。遊星は握っていた龍可の手を
離すと、両手を背中に回し、龍可を抱き寄せる。遊星は実のところ、いささか途方に暮れていた。
相手が相手だけに、このまま事に及んでしまうのは憚られた。しかし勢いであんな事まで言ってしまい、
龍可も拒否する素振りが無かった。
「遊星」
小さな声で、龍可が呼ぶ。遊星は龍可の肩に手を置いて彼女を自分の体から少し離し、顔が見えるようにする。
「そのね、私、初めてだから、その……」
再び俯いてしまう。最後の方は何と言っているのか聞き取れなかった。
ここまでされてしまうと、遊星の自制心の箍が外れてしまったとしても、彼の精神力が弱いとは言えないだろう。
遊星は足を折って膝立ちになると、龍可の両足の下に左手を差し込み、右手を背中に添え、彼女を少し
持ち上げてベッドの上に寝かした。
龍可は遊星を見上げる。龍亞と一緒のベッドで寝たことは良くあったが、こんな風に異性に組み敷かれるのは
初めてだった。遊星に見下ろされるこの体勢に、胸の辺りがもやもやとするような感じがした。思わず視線を逸らすと、
今度は自分が見られているという感覚が、胸のもやもやを一層強くした。お腹の辺りと、それよりもっと下の方が熱くなった。
遊星の手が頬に触れる。まだ熱が完全に下がりきっているわけではないのだろう、少し熱かった。その手は頬から
下へ下がり、首筋に触れる。くすぐったくて、龍可は身を捩った。手はさらに下に行き、ブラウスの上から彼女の胸を撫でた。
龍可は強い羞恥を感じた。年齢のせいとはいえ、男性に触られているこの状況で、自分の胸がまだ大きくないことに
コンプレックスを感じないわけにはいかなかったからだ。アキという恰好の比較対象が存在するだけに、その敗北感は
より大きかった。
手は円を描くように龍可の胸を撫でていたが、やがてそれを止め、そして片手で器用にブラウスの釦を外しだした。
一つ、また一つ釦が外されるたびに、ブラウスははだけ、龍可の平らな胸が露になる。最後の一つが外された時、
龍可は思わず両腕で胸を庇った。
その行動に、遊星は何も言わなかった。ただ腕をいったん引っ込めると、じっくりと観察するように龍可の体を
眺めただけだった。その行動は、再び龍可の羞恥を煽る。
また、遊星の腕が動き出した。今度は下半身だった。スカートを脱がすようなことはせず、その中に
手を入れて、下着の縁に指を掛ける。そのまま下に下げた。この行動は龍可にとって予想外で、
思わず声を上げてしまう。
もう片方の腕を龍可の腰の下に差し入れ、少し持ち上げる。そうやって空間を作り、遊星は龍可の
下着を膝の辺りまでずり下げてしまう。そうして龍可を守る布の砦をあっという間に陥落させると、
遊星は龍可の一番大切な場所へ手を触れた。
意外な事に、毛の一本も生えていないそこは、既に軽く湿っていた。遊星がそれを確かめた事に
気付いた龍可は、恥ずかしさから遊星を見上げる視線を逸らす。遊星は指を侵入させようと試みて
みたが、他人の手どころか自分の手ですらほとんど触れられたことの無いそこは、やはり固く閉じられて
おり、容易に入りそうにはなかった。
片方の手で秘部を継続的に刺激しつつ、残りの手と口で、遊星は龍可を攻めた。首筋に、胸に、
口をつけ軽く噛んだり吸ったりする。
「や……、遊星、だめ。跡が……残っちゃう……」
「問題ない」
先の仕返しのように、龍可の言葉を無視して、むしろそれを楽しむかのように、首筋や胸元など、
比較的外から見えやすい場所に跡をつける遊星。問題ないとは言いつつも、実際は後先考えて
いない行動だった。
幼い体は敏感だった。遊星の指先のちょっとした動きにも過敏に反応し、体を震わせ、くねらせ、
背徳的な快感から逃れようとする。遊星は力を入れすぎないよう注意を払いつつ龍可を押さえつけ、
攻めを継続した。その、遊星に拘束されているという感覚がまた、龍可の官能を刺激していた。
彼女は遊星を拘束するのを望んでいたはずだった。だが逆に自分が遊星に拘束されている状況からも、その堪ら
ない悔しさからも、身を震わせるような快感を得ていた。
もっと激しくしてくれても良いのに、と龍可は思った。そうするには、この部屋は少し殺風景過ぎる。手錠と綱が
あれば、少しは状況も変わるのに。遊星に手錠をかけられ、綱で体を縛られたなら……。龍可は考えた。
それで、私は何とか逃れようと体を揺らすんだけど、当然そんな事したって全く無駄。遊星は無理矢理私の唇を
奪って、舌を入れてきて、そうする間にも私の体を弄って。その後は? 私の状況なんて考えないで、
遊星は無理矢理あれをあそこに……。
「これくらい濡れてれば、もう大丈夫か」
遊星の言葉で、龍可は現実に引き戻された。実際の龍可は、勿論手錠をかけられてなどいなかったし、
綱で縛られてもいなかった。もっともそんな拘束など必要なかったが。
いったん龍可から身を離すと、遊星はベルトを外し、下着ごとズボンを下ろした。その男根の大きさに、
龍可は息を呑んだ。彼女に用意出来る比較対象といえば、龍亞のそれ、しかも何年か前のものしかなかった。
恐る恐る顔を上げて、龍可は遊星を見上げた。視線が合うと、恥ずかしいのを我慢しながら言う。
「あの、あのね……。やっぱり、口で、その、したりとか、した方が良いの?」
その申し出に、遊星は思わず苦笑した。そして龍可を優しく抱き寄せると、子供を褒めるように、
「俺に任せれば良い」
と囁く。龍可は黙って頷いた。
龍可を寝かせると、遊星は自分のものを龍可にあてがう。これだけ小さい子相手だと、遊星もあまり
経験が無かったので、細心の注意を払って力を入れていった。
早速、龍可は痛そうに表情を歪めた。
「大丈夫か?」
月並みと解っていても、遊星は聞かずにはいられなかった。龍可も、精一杯笑顔を浮かべて答える。
「うん……、平気」
平気なわけが無かった。一瞬ここで止めてしまおうかとも考えたが、自分の両腕を握ってきている龍可の
手の強さに、遊星は、龍可がそれを望んでいない事を感じ取った。
一度、龍可を抱きしめる。それから再開した。
腰を前に推し進めるたびに、龍可の腕がびくびくと震えているのが解る。瞳には涙も浮かんでいた。
しかし痛いとかやめてとか、そういう言葉は一度も口にしなかった。
遊星に体を任せている間、龍可はその痛みに半ば酔っていた。引き裂かれるようなこの感覚は、
龍可が望んでいたものに近かった。気遣いを見せる遊星の優しさは嬉しかったが、何の遠慮も
無くしてくれたら、もっと嬉しかっただろう。そして遊星に限って、そんな事はありえない。そんな
遊星だからこそ、龍可は身を任せたのだった。矛盾した二つの願望の、限りなく高みにある
妥協点が、この痛みだった。
行為の後半には、痛みは幾分か快感に変わっていたが、龍可には気にならなかった。彼女に
とっては痛みも快感のうちだった。やがて迎えた絶頂。遊星の熱いものが体内にぶちまけられる。
この被征服感は、二人の時間のラストを飾るに相応しかった。自分が所有されているという感覚と、
自分が所有しているという感覚が合わさったようなこの感じ。
そして、再び襲ってくる別離の恐怖。
龍可は遊星にしがみついた。
「龍可、起きれるか?」
遊星の声で、龍可は目を覚ました。遊星の風邪はすっかり治ってしまったようだった。薬が
良かったのか、龍可の看病が良かったのか。龍可は身を起こした。まずシーツに付いた血を見て、
昨日の行為を思い出し、赤面した。
「遊星、私達、昨日……」
「ああ」
頷く遊星の顔も、少し赤かった。恥ずかしさよりは、彼の場合は罪悪感が大きかった。七歳差
というのは大した歳の差には聞こえないかもしれないが、十八の遊星にとっては、倫理に触れる
様な差といえた。
自分の体を確かめると、首筋や胸元にきっちり跡が残っていた。恨みがましく遊星を見ると、
遊星は、ばつが悪そうに目を逸らす。まさかこんな子供の跡をキスマークだなどと考える人も
いないだろうから、虫刺されということで誤魔化そうと、龍可は思った。
龍可は遊星の助けを借りて立ち上がった。足に力が入らず、暫くの間は遊星に補助して
もらわねば歩けなかった。
制服は思ったより汚れたり皺になったりはしていなかった。今日は土曜日で学校は休みだが、
家に帰るまではこの服を着ていなければならないのだから、重要な事だった。トーストと目玉焼きを
基調とした朝食を遊星が作ってくれた。
帰り際に、龍可は確認する。
「遊星、風邪はもう大丈夫なのね?」
「ああ、そのようだな」
遊星は自分の体を見ながら言った。
「龍可こそ、今日は大人しくしておいた方が良いだろう。あれだけ俺と一緒にいたんだから、油断すれば
すぐ風邪に罹ってしまうぞ」
「そうしたら、今度は遊星が看病してくれるの?」
上目遣いに顔を見て、揶揄するように龍可は言った。だが遊星は口元に笑みを浮かべ、反撃する。
「昨晩と同じように、看病しようか」
顔を赤くしたのは龍可だった。その顔を隠すように、彼女は遊星に抱きつく。
しばらくそうしていたが、朝の静寂を突き破るように、Dホイールの爆音が聞こえて来た。
「クロウ達だわ。帰ってきたみたいね」
「ああ。さぁ、龍可ももう帰ったほうが良い」
龍可は、何かもう一つか二つほど意地悪な台詞を思い立ったが、また反撃されるのも嫌なので、
素直に頷いた。
別れ際という気恥ずかしい時間を少しでも縮めるため、龍可は走って去った。遊星が見えなくなると、
また昨日のあの恐怖が蘇って来そうになる。
龍可は胸に両手を当てて、自分に言い聞かせた。大丈夫、遊星が何処かに行っちゃう様な事なんて
無い。絶対に無い。
その言葉は、昨日までよりは、よっぽど説得力を持っているように思われた。
顔を上げて、また歩き出す。龍亞より先に家に帰ってないと、やっぱりまずいわよね、と思った。
今日は休みの日だから、龍亞も天兵も、きっと遅くまで寝てるはず。多分先に帰るのは私。家に
帰ったら何をやっておこうか。掃除とかはお昼からでもいいから、まず洗濯と、それから――。
の四種類は何れも墓地からモンスターを特殊召喚し、その効果を無効化するモンスター効果を持って
いますが、この効果の発動にチェーンして『月の書』を発動した場合、異なる挙動をするカードはどれでしょう?」
龍亞の出した問題に、遊星は即答した。
「『剣闘獣ダリウス』だ。どのカードにしても、効果解決時に効果を発動したモンスターがフィールド上に
表側表示で存在しなくとも墓地からの特殊召喚を行うが、他の三種類は、効果を無効化する効果も適用される。
対してダリウスだけは、それが適用されない為、特殊召喚されたモンスターは効果の発動が行える」
「あ、正解だ。遊星すごい!」
模範解答を眺めながら天兵が言う。
「蘇生効果を持つチューナーは使い勝手が良いし、剣闘獣は、ライトロードに押されているとはいえ遭遇率
が低くないからな。この辺りのルールは正確に把握しておくべきだ」
「先生もそんな事を言ってたわね」
遊星は実験用Dホイール・フレームの整備をしながら、デュエルアカデミア小学部児童達の話し相手に
なっていた。子供達の会話や話題は取留めが無く、今のように学校の授業に関係のある事もあれば、テレビの
話だとか、街中で見かけた不思議な人の話だとか、教師の噂だとか、そういったものが無秩序に並べられていた。
競うように話す子供達の言葉に、遊星は短い相槌と頷きで応えていた。先のように問題を出されるような事が
あれば丁寧に答えるが、そうでもなければ自分から話す様な事はほとんど無かった。子供達にとっては聞くより
喋る方が楽しいものなので、遊星のような人間は恰好の存在だった。
「そう言えば遊星、クロウは?」
龍亞が倉庫内を見回して言う。普段なら、子供の相手は遊星とクロウの二人の役目のはずだった。
「ジャックと一緒に仕事に行ってる」
「ジャック、働いてるの?」
龍可が驚いて訊くと、遊星は首をやや傾げて答えた。
「ああ、まぁ……な」
その様子から、訊いちゃまずい事だったかしら、と龍可は思い、それ以上追窮はしない事にした。
龍亞は特に興味は無いらしく、もう次の話を始めていた。学校のデュエルで、自分がどんな風に戦ったのか、
結果はどうだったのか、などを話し、遊星に意見を求めたりしている。
そんな話の輪を、龍可は一歩引いた位置から聞いていた。時々突っ込みを入れたり茶々を入れたりしていたが、
敢えて自分から話に入ろうとはしなかった。
デュエルは楽しいし、その話を聞いたりするのだって嫌いではなかった。でも未だに、疲れる、という感覚が残っていた。
それが彼女から積極性を奪っていた。
「じゃあ、また明日ね」
「おお! 明日な!」
帰り道、龍可は龍亞と天兵と分かれた。いつもならば、龍亞と龍可が一緒に帰り、天兵と別れるべき
場所だったが、今日は男子二人が一緒に行き、龍可だけが自宅へと帰った。今日は龍亞が天兵の家に
お泊りをする日だった。その為に龍亞は着替えの下着だとか寝巻きだとか、その他細々としたものを学校
まで持っていっていたのだ。前日の晩の用意の時、龍可が呆れて、
「一回家へ帰って持っていけばいいじゃない」
と忠告したが、龍亞は頑として譲らなかった。彼の弁に依れば、家へ帰らない事に意味があるらしい。
そう、勝手にすれば、とだけ龍可は答えた。翌日、授業の鞄や体育で使う水着とは別に重そうな鞄を
提げて学校へ行く龍亞に、だから言ったのに、と嫌味を言ったが、龍亞は堪えた様子も無かった。
両親がいない以上、龍亞が外泊となれば、必然的に家に残るのは龍可だけという事になる(ホテルの
宿泊客を別にすれば、だが)。二人で使うにも広すぎたあの家は、独りの子供にとって無限の空き地と
同じようなものだった。空白の空間と時間に慣れ切った龍可ではあったけれども、それが平気だという
わけではなかった。様々な理由から、龍亞に対し一緒にいて欲しいとごねた事こそ無かったものの。
誰もいない家を思い浮かべる。龍可にとっては、誰もいない家とは、つまり龍亞のいない家と同義だった。
時間が澱み、空気が止まったその空虚な室内。味のしない夕餉。そして永遠に思える夜。……足取りは
自然と重くなった。
「あ、いけない」
道半ばで、自分の右手にあるはずのものがない事に気付いた。水泳用具だった。水着やタオルを入れた
あのバッグだ。学校を出る時に持っていたのは覚えているから、どこに忘れて来たのは明白だった。
龍可はすぐに取って返す。ただ水着をちゃんと洗いたいから、という理由以上に、家から遠ざかりたい、
家へ帰るのを少しでも遅らせたい、という願いもあったかもしれない。
エンジン周りの部品をほとんど交換するような大作業が終わり、遊星は体を伸ばした。長時間集中して
作業を続けたせいか、頭と体が異様に重かった。視界も少し歪んでいるような気がした。
ふらつく足取りで流しへ行き、石鹸をつけて念入りに手を洗う。タオルで水気を取った後、目頭に手をやった。
冷たい手が気持ち良かった。
道具を片付けようとDホイール・フレームの場所まで戻ったところで、龍可が入って来た。
「龍可、どうした? こんな時間に」
「ちょっと忘れ物」
そう言って龍可は先自分が立っていた場所までいく。そこに、赤色の水泳バッグが置いてあった。
「あ、良かった。やっぱりここだった」
そう言って持ち上げる。
「もう遅いから、急いで帰ったほうがいいぞ」
「うん、わかってる」
遊星は手に持ったスパナを置こうと振り返った。その時、地面に置いておいたスプレー缶を蹴飛ばして
しまう。顔を顰め、それを拾おうと膝を屈する。その時、視界がぐらりと揺れた。入るべき力が入らなかったのだ。
どさりという音を聞いて龍可が振り返ると、遊星が倒れていた。
「遊星! 大丈夫?」
慌てて駆け寄り、助け起こそうとする。手に触れた時、異変に気付いた。はっとして、よろよろと上半身を
起こした遊星の額に手をやる。
「ちょっと、酷い熱じゃない」
「熱?」
遊星はまだ焦点の定まらない視線で龍可を見て、首を傾げた。
「体調が悪いのに無茶したんじゃないの?」
「いや、俺は別に……」
「言い訳はしなくていいから。寝てないと。ほら、立てる?」
遊星の腕を取って、立ち上がるのを手伝おうとする龍可。
「龍可、何もそこまで体調が悪いわけじゃ……」
そう言いながら立ち上がろうとした遊星は、激しい寒気と脱力感に襲われて、また踞りかける。
「嘘ばっかり。しっかりして、遊星。部屋まで連れて行ってあげるから」
龍可は遊星に肩を貸し、立ち上がらせた。足元が覚束ない遊星は、龍可の手を借り、部屋へと向かう。
頭ががんがんと痛くなってきた。一度倒れた事で、熱が本格的に酷くなったらしい。
遊星をベッドに寝かせると、龍可は靴を脱がせ、毛布をかけてやった。
「遊星、薬や体温計はどこにあるの?」
「薬……? 一階の……、一階に、薬箱があるはずだ」
「解った。待ってて」
龍可は一階に降りると、棚を探し、薬箱を見つけ出した。中を検めて、風邪薬や体温計がある事を
確認すると、遊星の部屋へ取って返す。階段の途中で引き返し、台所へ行って水をコップへ汲み、
それも持って遊星の部屋へと行った。
「大丈夫? 薬を持ってきたわ。その前に熱を測って」
水の入ったコップを机の上に置き、薬箱から体温計を取り出すと、龍可はそれを遊星の耳にあて、
スイッチを押した。すぐに結果が表示された。
「三十九度七分!」
「そんなに高いのか……?」
辛そうな声で遊星は聞いた。その様子が一番体温計の正確さを証明していた。
「遊星、今日はもう寝て。ちょっと待って、クロウとジャックに連絡しましょう。あ、先に薬を飲んで」
薬箱から今度は風邪薬を取り出す。丸薬二つを遊星の手に乗せてやり、遊星がそれを口に含むと、
今度は水を渡してやる。
「遊星、電話を借りるわね」
そう行って、龍可は部屋を出た。彼女の後姿を、遊星は見ていなかった。高熱からくる体の気だるさで、
すぐに眠ってしまった。
「遊星が熱!?」
立体映像の中のクロウが驚きの声を上げる。
「そうなのよ。クロウ、今すぐ帰れそう?」
「帰りたいのは山々なんだが……」
クロウがそう言い掛けると、その言葉を遮るように、後ろから大声が聞こえた。
「明後日までかかるだと!? ふざけるな! こんなもの今すぐ終わらせろ!」
誰の声かは考えるまでも無いことだった。こんな傲岸不遜で厚顔無恥な大声を出せる人間など
極めて限られている。龍可は一人しか知らなかった。
クロウは後ろを確認してから、悔しそうに頭を振った。
「……今朝の地震で土砂崩れが起こって、道を塞いじまったそうなんだ」
「道を、って、今どこにいるの?」
「山の中のペンション、から帰る途中。そこへの配達依頼と、そこでのバイト依頼が上手く重なったからさ、
荷物を運んだ後、一晩泊りがけでバイトしてたんだよ。俺とジャックで。いや、ジャックは仕事を増やした
だけなんだが……、そんな事は今どうでもいい。そういうわけで、すぐには帰れそうにないんだ」
「他に道は無いの?」
「山の反対方向に抜ける道はあるんだが、そこだと、ぐるっと迂回してじゃないと帰れないんだ。そっちから
帰るつもりだが、一晩くらいはかかっちまうぜ」
そこまでクロウが言ったところで、横からジャックが現れた。
「おい、遊星は大丈夫なのか?」
「今は寝てるわ。でも、熱が高いから苦しそう」
「なんとかならんのか!」
「無茶言うなよジャック!」
横からクロウが止める。ジャックはクロウを睨みつけたが、
「ええい」
そう言って手を大きく振ると、映像から消えていった。声だけが聞こえる。
「クロウ、急ぐぞ! 迂回路を行くんだ!」
クロウはジャックの方へ頷くと、龍可へと向き直った。
「なるべく急いで帰るけどよ、早く着いても明日の朝が限度だと思うぜ」
「気をつけてね。クロウ達が事故しちゃったら本末転倒よ」
「ま、ジャックが暴走しないようせいぜい気をつけるさ。じゃあ、遊星を頼むぜ」
Dホイールが発進する音を最後に、電話は切れた。龍可は大きく溜息を吐く。
「遊星……」
階段の上の方を見上げる。遊星はまだ部屋で苦しんでいるのだろう。
「私が、何とかしなきゃ」
そう独り言ちて、龍可は歩き出した。まずお医者さんを呼んで、それから――。
医者を呼ぶのは、ゾラの協力を仰ぐ事で比較的楽に行えた。呼ばれてきた医者は直ちに遊星の
診察を行った。
「疲れから来る風邪だね。根を詰め過ぎたようだ。市販の薬を飲ませたって? どれ? ああ、これか。
じゃあ、それと競合しない様に薬を出しとこう。この手の風邪はとにかく休むことさ。そうすれば、早ければ
明日には良くなるだろう。うん、栄養剤くらい注射しておこうか」
遊星のしなやかに筋肉のついた腕を、看護師がアルコールを含ませた脱脂綿で消毒する。医者の枯れ木
の様な指が張りを確かめるように遊星の腕を弄り、そこに鋭い注射針を突き立てる。微かな皮膚の隆起。
液が注入され、抜かれる。僅かに血液が染み出る。龍可は食い入るようにその工程を見詰めていた。技術が
あれば自分が注射をしてあげたかった。
医者が帰ると、ゾラは龍可に言った。
「これだけ遅いと危ないから、タクシーでも呼ぼうかい?」
龍可は少し考えて、断った。
「いえ、今日はここに泊まって、遊星の看病をしてあげようかと思ってます」
「ええ? でも、親御さんが心配するだろう?」
「今日は、家に誰もいないんです」
その言葉を口にする時の龍可の表情は対外的な笑みであったが、ゾラはその後ろにある心の表情を見抜いた。
少しの間じっと龍可を見た後、
「そうかい。じゃあ、遊星をよろしく頼むよ。何かあったら聞いておくれ」
と、優しく言った。龍可は早速、洗面場等の場所を聞く。
ゾラが帰ると、龍可は家の片づけを始めた。倉庫内で出しっぱなしになっている道具を片付け、洗濯機を回して
洗濯物を洗う。それらが終わると、遊星の様子を見にいった。
遊星はまだ眠っていた。だが、熱に浮かされているようだった先に比べて、今は随分と楽そうに見えた。体温を
測ってみると三十八度台にまで下がっている。首に手を当てて、リンパの張り具合を確かめてみる。肌が汗でべとべとで、
拭いてあげた方が良いだろうと思った。その前に、龍可は氷嚢を取り替える為、すっかり溶けてしまった遊星の頭の上の
それを取り、冷蔵庫まで行った。
冷蔵庫から新しい氷嚢を出していると、既視感がある事に気付いた。前にもこんな事をしたような気がする。あれは……
何だったかしら。
階段を上がっている間に、思い出した。そうだ、龍亞が池に落ちた時だ。
天兵と一緒に遊んでいた龍亞が、池に落ちてびしょびしょになって帰って来た事があった。服を乾かせばいいものを、
濡れたままで歩いて来たものだから、風邪をひいてしまったのだ。熱を出して寝込んだ龍亞を看病したのは、いうまでも
無く龍可だった。
あの時も同じだった。家事を全部一人でやって(元々龍可の比率が多かったけれども)、熱を測り、体を拭いてやり、
食事を作り――と、凡そ看病と呼びうる事は全てやったのだ。道理で迷い無く遊星を看病出来るはずだった。
そして同じなのは手順だけではなかった。親しい人間が熱で倒れているというのに、不謹慎にも感じてしまうこの
ちょっとした愉悦もまた、同じだった。今龍可は、間違いなく、遊星の看病を楽しんでいた。
部屋に入ると、遊星は身を起こしていた。目が覚めたらしい。
「あ、遊星。起きたのね」
「龍可……。こんな時間まで、どうして」
「今日は泊まっていって見てあげるわ。そんな体調じゃあ、動けないでしょう?」
「何?」
遊星は眉を顰める。
「だが、龍亞はどうする?」
「今日、龍亞はいないのよ。だから、家に帰っても私だけなの」
「そうなのか」
そう言って俯く遊星。今の自分の体調だと、誰かに助けてもらえれば大変ありがたいが、龍可にそれを
望むのは何となく悪い気がする、といった精神状態だった。
龍可も、遊星の何となく納得が行かない気分を感じ取った。洗面器の中に入れた氷嚢を机の上に置くと、
話題を変える。
「遊星、お腹空いてない?」
「それは、少しは」
「じゃあ、ちょっと待ってて。先に何か作って持ってきてあげる」
「いや、龍可。何もそこまでしてくれなくても……」
遊星の言葉は聞かず、龍可は部屋を出た。龍亞の時も似たような感じだった。自分では何も
出来るような状態ではないくせに、龍可に世話を焼かれるのを大変嫌がるのだった。普段は平気で
妹に迷惑をかけるあの兄が、自分が弱っている時だけは、必死にそれを嫌がる様は、龍可から
見れば滑稽ですらあった。遊星も似たようなものなのだろうと考えていた。その点では、何年経っても
男の子は男の子なのだと思う龍可だった。
ブレザーを脱ぐと、かけてあった中で一番小さい、おそらくクロウのものだろうエプロンを着ける(何か
ダサいカラスのアップリケが付いていた)。台所を借りて、ありあわせの材料でお粥を作る。二十歳前後の
男三人を一つの家に詰め込んで半年ほど放置したらだいたいこんな感じになるだろうという有様の台所は
まず片付けからはじめなければならず、冷蔵庫その他の収納場所に乱雑に置かれた食材も龍可から
見れば色々と言いたい事もあったが、ともかく、三十分ほどで食事を作る事は出来た。
お粥を部屋へ持っていくと、遊星は横になって待っていた。だが寝てはいなかった。
「遊星、大丈夫?」
「ああ、随分楽になった」
と、遊星は上半身を起こす。言葉通り、顔色は大分良くなっていたが、まだ幾分頬が赤かった。
「ありがとう、龍可。助かる」
先んじてお礼を言う遊星。こういう言葉がこれ以降の世話に対する予防に使われる事を龍亞で知っていた龍可は、
それを聞き流した。
「これ。食べて」
ベッドの横に椅子を移動させて、そこへ座り、龍可はお粥の入った器を差し出した。遊星は受け取ろうと手を伸ばすが、
龍可は女性的なやり方でその腕を無視する。自分で匙を持ちお粥を掬うと、二、三度息を吹きかけて冷まし、遊星の
口の前へ持ってゆく。
「はい、あーん」
「………」
遊星は閉口した。龍可の命令には従わなかった。暫く匙の先を見詰めていたが、眼を瞑って、少し怒った様に言う。
「龍可、自分で食べられる」
「良いから、病人は言うことを聞きなさい。遊星、ほら、口を開けて」
自分の言葉をあっさりと流されて、遊星はたじたじとなり、やがて観念したように、黙って口を開けた。龍可はその口の
中に匙を差し入れ、食べさせてくれる。
「どう? 美味しい?」
「ああ、美味い。……本当に美味いな」
遊星はやや驚いたように口元に手をあて、賞賛した。龍可はにこりと笑う。
「私、料理には少し自信があるのよ。今度、元気になったらカレーでも作ってあげる」
「そうか……、そういえば前そんな事を言っていたな」
「だから、早く元気になってね。はい、あーん」
遊星はもう何ら抵抗しなかった。龍可の有無を言わせない態度に反抗するのも馬鹿らしく、黙って彼女に従い、
食べさせてもらう。それに実際のところ、人に何かを食べさせてもらうなど、新鮮な感覚でもあった。彼が常に
無病息災であったわけではなく、懇ろな看病と無縁であったわけでもないのだが、他人に迷惑をかける事を厭う
遊星は、病床に臥せていても出来る限りの事を自分でやっていた。マーサやシュミットも、怪我や病気に障る
ような事は別として、殊にそれを止めようとはしなかった。彼らは龍可とは違い、本当の意味で相手の事を
考えて看病をしていたからだ。
器はあっという間に空になった。薬を与え、医者から聞いた注意を復唱した後、もう少し寝ているといいわ、
と言い残し、龍可は部屋を出る。
病人の面倒を見るのが楽しい、というのは、別にそう特別な感情でもないだろう。面倒見の良い
人間はどこにでもいるし、世話することに快感を感じる者も少なくない。だが龍可の楽しみ様は、
それらの感情だけでは説明がつかないものがあった。そもそも龍可は、本来は看病される側、
世話をかける側であった。病弱な幼年期、龍亞をはじめとする周囲の人間に、龍可は常に看病され、
面倒を見られていた。そして、決してそれを喜んでいたわけではない。彼女の自尊心の強い性格は、
人に自分を任せる事を許せなかった。
その龍可が、看病する側に回る事が出来たのだ。張り切らないわけは無かった。半ば復讐のように、
濃やかな世話を焼く。そして相手の拒否はむしろ心地良くすらあった。特に龍亞や遊星に対しては
そうだった。
兄である龍亞は、龍可を一番庇護した人間だ。それをありがたくこそ思っていたが、負い目を感じて
いないわけでも無かった。その龍亞を、逆に看護出来る。これほど愉しい事も無かった。熱っぽい声で
弱々しく何かを言う龍亞、その目尻に滲んだ涙を、赤く火照った頬を、霞む様に消えてゆく言葉尻を、
龍可は愛した。それを優しく包み込み、涙を拭い、頬に冷たい手を当て、柔らかい言葉を返してやる
のが好きだった。今の遊星は、あの時の龍亞と同じだった。
病人を看護する自分を崇高な存在としていとおしむ様な、自己愛的な帰結ではない。強者が晒す
弱者の様というか、自らの楯に小鳥の巣を発見した騎士の様な、そんな即座に解決しようの無い
困難を抱え込み、苦悩する人間が、というより苦悩する様を、素敵だと感じるのだった。
そして何より、そういう人間が、その場では龍可を頼る他無い事が重要なのだった。普段庇護している
対象に庇護される人間の曝す羞恥程、見ていて幸せになれるものも無かった。龍亞や遊星が見せた遠慮
など格別だった。
食器を洗いながら、龍可は次にどうしようかと考えていた。そもそもは体を拭いてあげようと思っていた
のだから、それを続けるのが良いだろうと思った。洗面器に、今度はお湯を汲んで、タオルと一緒に持って
上がろう。遊星の服を脱がす時、彼はどんな表情をするだろうかと考える。折角だから、私が脱がして
あげよう。遊星には何もさせてあげない。ただ私が言うように、腕を動かし、腰を浮かす事だけを許して、
子供みたいに服を剥ぎ取ってしまおう。それから、固く絞ったタオルを体に当てて、拭いてあげる。
ベッドに横たわったまま、七歳も年下の女の子の言いなりになっている遊星。困惑と、そしてちょっとした
恐怖が入り混じった瞳で自分を見上げてくる遊星。龍可はそれが見たかった。
お湯を沸かし、清潔なタオルを取り出して、龍可は階段を上がる。だが上がったところの廊下で、遊星と
会った。遊星は自分の部屋に入ろうとしていた。
「遊星! どうしたの?」
「え? いや、トイレに行っていただけだが」
「駄目じゃない! 寝てないと!」
この時の龍可の怒り方は必要以上だった。気圧された遊星は、
「あ、ああ。すまない」
と謝ると、部屋の中に入った。龍可も続いて部屋に入り、入口付近で龍可を見ている遊星の服の裾を掴むと、
ベッドまで連れて行き、座らせた。
「駄目よ、ちょっと熱が引いたからってすぐ立ち歩いたりしたら。すぐまた熱が酷くなるんだから」
「いや、しかし」
「言い訳はしない!」
全ての言葉を封じられ、遊星は黙り込む。龍可は持ってきた洗面器を机に置くと、タオルをその中に入ったお湯に
浸した。少し熱かったが、遊星もまたすぐに感じる事になる熱さだと考えると、気持ち良くすらあった。
「遊星、服を脱いで。体を拭いてあげる」
タオルを絞りながら、龍可は言った。
「わかった」
遊星は答える。だが後ろで衣擦れの音が聞こえると、龍可ははっとして振り返る。遊星はおとなしくシャツを
脱いでいた。龍可の考えでは、自分で出来るとごねる遊星の服を無理矢理に脱がす計画だったのだ。
早速頓挫してしまった。だが、ズボンは脱いでいなかったから、全てが駄目になったわけでもなかった。
龍可が遊星に向き直ると、遊星は龍可に背を向けてベッドに座りなおしていた。顔だけ横に向けて、
「龍可、タオルを貸してくれ」
と言う。自分で拭けるというのだ。これは、龍可の予想通りだった。
「私が拭いてあげるわ」
嬉しげに遊星の言葉を無視しつつ、龍可は固く絞ったタオルを遊星の背中に当てた。
「っ……」
熱かったのだろう、遊星の体が震えるのが解った。その反応に、龍可は背筋がぞくぞくするような心地良さを感じた。
力を入れて、遊星の肩や背中を拭く。背面の隆り、肩の盛り上がり、何れも目を見張るほど異質ではなかったものの、
触ってみれば、その内側に確りとついた筋肉がよく解った。細身ながらきっちりと体を作りこんでいるらしい。ある意味
男性らしいといえるその裸体は、龍可を魅了した。
遊星の体を拭きながら、もし私にアキさんみたいな能力があれば、と龍可は妄想した。そうしたら、
絶対に、遊星を薔薇の蔓で縛り上げるのに。この均整の取れた肉体に細くて丈夫な蔓が巻きついて、
無数の針が、肌に刺さるのだ。でも絶対に、大量の出血はない。それは美しくない。皮膚を斑に彩る
程度が良い。そうやって、十字架に張り付けるみたいにして、遊星を拘束する。首くらいは、自由に
動かせるようにしてあげても良いかもしれない。どうせなら、本当に棘の壁に磔刑にしてしまえば、
さぞ綺麗だろうとも思った。そうやって動けなくした遊星の面倒を、ずっと、永遠に、見てあげる。私が
部屋に入ったら、遊星は、びくびくしながらも縋る様な目で私を見る。その視線はきっと最高。私に
される様々な事は耐え難いけど、私以外に頼れる人間がいない、そんな瞳……。
背中や腕を拭き終わると、次は前だ。龍可は遊星に、前を向くように言った。振り向いた遊星の瞳は、
龍可が心に描いたようなものでは全然なかったが、今の龍可にはそれでも良かった。
「龍可、後は自分で出来る」
「大丈夫よ、遠慮しなくても。やってあげるから」
だが今回は、遊星も易々と言う事を聞こうとはしなかった。龍可の持ったタオルを奪おうとする。龍可は
サッと手を引いて、その攻撃を回避した。仕様が無いなぁ、とでも言うようにわざとらしく溜息をつくと、
遊星の肩に手をかけ、膝でベッドの上に乗り、遊星の前に回ろうとする。短いスカートでそんな事をするとは
思っていなかったらしく、遊星の反応は遅れた。慌てて動こうとした遊星の体勢が崩れるのを利用して、
龍可は手に力を込め、遊星を仰向けに押し倒した。
倒れた遊星の、龍可を見上げる視線は、龍可が想像していた「ベッドに横になった遊星」のそれとは少し
違っていた。基本的に龍可の看病の知識は龍亞を元にしている。だから遊星の、何かを護るような拒否の
視線は、まるで想定外だった。それは他人にだけ向ける視線であるはずだった。龍亞にとって龍可は他人
ではない。だが、遊星にとっての龍可は?
龍可は視線を下げる。引き締まった胸部、細い腹部、腰。その脇腹の辺りに、傷跡が一つ。癒えてはいるが、
どれだけ酷い傷であったかがありありと想像できるような、荒々しい治り方をしている。
「龍可」
遊星が言った。はっとして、龍可は遊星の顔を見る。その時の遊星は、もう既にあの拒否を顔に出しては
いなかった。この時の遊星は、子供を見る大人の顔だった。初めて遊星に会った時、自分のマーカーを
指差して、迷惑になるから出てゆくと言った時の遊星も同じ顔をしていた。
「自分で出来るから、大丈夫だ」
龍可は暫く呆然と膝立ちになっていたが、やがて、
「うん、解った。じゃあ、外で待ってるね」
そう言ってベッドを下りた。
「いや、大丈夫だ。これを下に持って降りるくらいは出来る。龍可は、空いてる部屋を使って寝ると良い。もう遅いからな」
遊星はそう言う。龍可はただ頷く事しか出来なかった。
ジャックの部屋とクロウの部屋、の二択であるから、無論龍可はクロウの部屋を使わせてもらうことにした。
エプロンはもう取っている。髪を解いて、ベッドに横たわる。スカートやブラウスが皺になるのは嫌だったが、
代えの服が無いので仕方ない。
遊星の傷と、視線が忘れられなかった。遊星のあの頑なな拒否は、自分の傷を見せるのが嫌だった、
という理由もあるのだろう。古傷など、誰かに見せたいものではない。本当に痛みを伴った傷であるなら
なおさらだった。そういうものを曝け出すのは、身内だけだ。そしてまた、覗いて良いのも、身内だけなのだろう。
龍可は遊星の身内ではなかった。
遊星にあの傷を付けたのがもし自分なら、と龍可は考えてみた。それなら何も問題は無かった。いや、むしろ
そうあるべきだった。そうであれば、あの傷が、遊星と自分を結ぶ絆になってくれただろう。五人一括りのシグナーの
痣などとは違う、本物の、二人だけの絆に。そして現実はそうではない。あの傷は、ただ自分を拒むだけだった。
あの傷を不意に見てしまった時、遊星は怒らなかった。嫌そうな顔すら自重した。それはつまり、龍可が子供
であるから。そして、龍可が他人であるからだった。龍可はそれを嫌というほど感じることが出来た。それは遊星と
自分を隔てる二重の壁だった。にもかかわらず、卑怯な事に、遊星はその壁を無視して龍可に触る事が出来るの
だった。龍可は遊星を、他人だとは思えなかったから。
遊星は、龍可と龍亞しか存在しない世界に突如割り込んで来た闖入者だった。二人が二人だけの世界を護る
ために施した各種防壁は完璧だった。あれだけ広い屋敷を、勿論二人だけの力で維持することなど出来ない。
屋敷の維持には、ホテルの従業員の手を借りていた。だが、身の回り、普段生活に使用する部屋だけは、
自分たちで掃除をしていた。食事も、特別な事が無い限り自分たちで作っていた。あの家は二人だけの空間だった。
龍亞と龍可とに完全に適合した、他のものを拒む世界だった。不純物が混じってはいけない場所だった。そんな場所に、
遊星は無遠慮に入ってきて、二人をそこから引きずり出した。この時龍可は、二人だけの世界に遊星を加えてしまって
いた。だが遊星は、それに気付いていないのだ。
だから遊星は……。龍可は思った。もし時が来れば、また夜中勝手に出て行ってしまうだろう。最初に会った時のように。
あの時は、それで良かった。本来いないはずのものがいなくなって、正常に戻っただけだと思っていた。でも今は違う。
龍可の世界には、龍亞だけではなく、遊星も存在した。世界の三分の一が、何の前触れも無く消え去り得るという恐怖。
シグナー同士なら、また会える。遊星はそう言っていた。龍可はそれを心から信じる事は出来ない。親子の絆ですら、
時として危ういものになる事を彼女は知悉している。つまりは、この世に確実なものなど無いという事だ。その例外を、
龍可は龍亞との絆だと確信していた。でも遊星は? 遊星も、龍可が遊星を感じるように龍可を感じていれば、その絆は
確実なものだったはずだ。でも、龍可には先のあの遊星の拒みで解ってしまった。自分が遊星の世界の外にいるという事を。
「……ずるいよ、遊星」
そう口にした時、龍可は泣いていた。遊星が何時かいなくなるという恐怖に押しつぶされそうだった。
熱で臥せった遊星に酷く安心感を感じていた自分をようやく理解した。動けない遊星は、何処かへ
行くことはないだろうという合理的な理由だったのだ。薔薇の蔓で縛り付けるというあの妄想も、尤もな
ものだった。拘束してしまえば、遊星が何処かへ行ってしまうことは決して無いだろう。
だが、今は? 今の遊星は? 病気とはいっても、歩き回れるくらいには快復している。ならば、
遊星が今夜出て行ってしまわない保証がどこにあるだろう?
急に不安に駆られた龍可は、起き上がった。遊星の部屋へ急ぐ。
遊星の部屋の前へ来ると、遠慮がちにドアをノックした。
「遊星、入るわよ」
ドアを開けた。ベッドにはちゃんと遊星がいた。当たり前だった。
「龍可……か。どうした?」
遊星は仰向けに寝たまま、首だけを動かした龍可を見た。
「あ、ご、ごめん。起こしちゃった?」
「いや。寝られなかったんだ。もう随分体調が戻ったようだ」
遊星のその言葉に、龍可は敏感に拒否を感じ取った。ここで拒まれて、そのまま部屋を出てしまっては
いけないと思った。そうしたら、本当に遊星は、私の前からいなくなってしまう。
龍可はベッドの側まで歩み寄った。遊星は不思議そうな顔で龍可を見上げる。龍可は、ベッドに腰掛けた。
「遊星、そのね、今晩、ここで見ていてあげるわ」
「何を言ってるんだ、龍可。先も言ったが、俺は大丈夫だ。龍可こそ、寝た方が良い。あれだけ俺と一緒に
いたんだから、体調を崩したら、すぐに風邪になってしまうぞ」
「………」
全くの正論だったが、龍可も引けなかった。
「ごめん、遊星。私、ここにいたいの」
「龍可?」
その様子に尋常でないものを感じ取り、遊星は体を起こした。龍可は遊星の目を見る。
「遊星、何処かへ行っちゃわない?」
「どこか?」
「私の知らない何処か。ほら、前も遊星、私が寝てる間に、いつの間にかいなくなっちゃったじゃない」
ここは遊星の家なのだから、龍可が言っていることは全く意味不明な事だった。だが理屈ではない
恐怖を龍可が感じている事を、遊星は察する。龍可の瞳は真剣そのものだった。遊星はそれに応えて
やれないような男ではなった。
「大丈夫だ、龍可。俺はここにいるから。どこへも行ったりはしない」
その言葉は、しかし龍可を何ら安心させなかった。もしかしたら、遊星は既にここにはいないんじゃないか、
という恐怖を、龍可は突然感じた。遊星の顔を見たまま、そっと、手を伸ばした。遊星の顔に刻まれたマーカーに
触れる。窓から差し込む月明かりで、その形をはっきりと見て取ることが出来た。感触は確かにあった。
遊星は、龍可のその手を取る。遊星の手に比べれば、随分と小さなその手。
まずいな、と思った時には遅かった。遊星は自分でも意識する事なく、龍可の手を引いてしまっていた。
彼女は何の抵抗もなく身を乗り出した。後は遊星が少し体を動かすだけだった。唇が押し付けられる感触。
軽く触れる程度のキスだった。離れると、二人は顔を見合わせる。
「あ……その……」
龍可は自分がしてしまった事が何か今理解したような様子で、真っ赤になっていた。
「遊星、私ね」
遊星に握られた手を、そこから伝わる体温を意識しながら、龍可は何か言おうとした。だが、言葉が
上手く出てこなかった。遊星は暫くその龍可の慌てふためいた姿を楽しんでいたが、人差し指を龍可の
顎にやって自分の方を向かせた後、
「今夜はここにいたいんだろう?」
と、絡め取るように言う。龍可はさらに顔を赤くして、俯いてしまった。遊星は握っていた龍可の手を
離すと、両手を背中に回し、龍可を抱き寄せる。遊星は実のところ、いささか途方に暮れていた。
相手が相手だけに、このまま事に及んでしまうのは憚られた。しかし勢いであんな事まで言ってしまい、
龍可も拒否する素振りが無かった。
「遊星」
小さな声で、龍可が呼ぶ。遊星は龍可の肩に手を置いて彼女を自分の体から少し離し、顔が見えるようにする。
「そのね、私、初めてだから、その……」
再び俯いてしまう。最後の方は何と言っているのか聞き取れなかった。
ここまでされてしまうと、遊星の自制心の箍が外れてしまったとしても、彼の精神力が弱いとは言えないだろう。
遊星は足を折って膝立ちになると、龍可の両足の下に左手を差し込み、右手を背中に添え、彼女を少し
持ち上げてベッドの上に寝かした。
龍可は遊星を見上げる。龍亞と一緒のベッドで寝たことは良くあったが、こんな風に異性に組み敷かれるのは
初めてだった。遊星に見下ろされるこの体勢に、胸の辺りがもやもやとするような感じがした。思わず視線を逸らすと、
今度は自分が見られているという感覚が、胸のもやもやを一層強くした。お腹の辺りと、それよりもっと下の方が熱くなった。
遊星の手が頬に触れる。まだ熱が完全に下がりきっているわけではないのだろう、少し熱かった。その手は頬から
下へ下がり、首筋に触れる。くすぐったくて、龍可は身を捩った。手はさらに下に行き、ブラウスの上から彼女の胸を撫でた。
龍可は強い羞恥を感じた。年齢のせいとはいえ、男性に触られているこの状況で、自分の胸がまだ大きくないことに
コンプレックスを感じないわけにはいかなかったからだ。アキという恰好の比較対象が存在するだけに、その敗北感は
より大きかった。
手は円を描くように龍可の胸を撫でていたが、やがてそれを止め、そして片手で器用にブラウスの釦を外しだした。
一つ、また一つ釦が外されるたびに、ブラウスははだけ、龍可の平らな胸が露になる。最後の一つが外された時、
龍可は思わず両腕で胸を庇った。
その行動に、遊星は何も言わなかった。ただ腕をいったん引っ込めると、じっくりと観察するように龍可の体を
眺めただけだった。その行動は、再び龍可の羞恥を煽る。
また、遊星の腕が動き出した。今度は下半身だった。スカートを脱がすようなことはせず、その中に
手を入れて、下着の縁に指を掛ける。そのまま下に下げた。この行動は龍可にとって予想外で、
思わず声を上げてしまう。
もう片方の腕を龍可の腰の下に差し入れ、少し持ち上げる。そうやって空間を作り、遊星は龍可の
下着を膝の辺りまでずり下げてしまう。そうして龍可を守る布の砦をあっという間に陥落させると、
遊星は龍可の一番大切な場所へ手を触れた。
意外な事に、毛の一本も生えていないそこは、既に軽く湿っていた。遊星がそれを確かめた事に
気付いた龍可は、恥ずかしさから遊星を見上げる視線を逸らす。遊星は指を侵入させようと試みて
みたが、他人の手どころか自分の手ですらほとんど触れられたことの無いそこは、やはり固く閉じられて
おり、容易に入りそうにはなかった。
片方の手で秘部を継続的に刺激しつつ、残りの手と口で、遊星は龍可を攻めた。首筋に、胸に、
口をつけ軽く噛んだり吸ったりする。
「や……、遊星、だめ。跡が……残っちゃう……」
「問題ない」
先の仕返しのように、龍可の言葉を無視して、むしろそれを楽しむかのように、首筋や胸元など、
比較的外から見えやすい場所に跡をつける遊星。問題ないとは言いつつも、実際は後先考えて
いない行動だった。
幼い体は敏感だった。遊星の指先のちょっとした動きにも過敏に反応し、体を震わせ、くねらせ、
背徳的な快感から逃れようとする。遊星は力を入れすぎないよう注意を払いつつ龍可を押さえつけ、
攻めを継続した。その、遊星に拘束されているという感覚がまた、龍可の官能を刺激していた。
彼女は遊星を拘束するのを望んでいたはずだった。だが逆に自分が遊星に拘束されている状況からも、その堪ら
ない悔しさからも、身を震わせるような快感を得ていた。
もっと激しくしてくれても良いのに、と龍可は思った。そうするには、この部屋は少し殺風景過ぎる。手錠と綱が
あれば、少しは状況も変わるのに。遊星に手錠をかけられ、綱で体を縛られたなら……。龍可は考えた。
それで、私は何とか逃れようと体を揺らすんだけど、当然そんな事したって全く無駄。遊星は無理矢理私の唇を
奪って、舌を入れてきて、そうする間にも私の体を弄って。その後は? 私の状況なんて考えないで、
遊星は無理矢理あれをあそこに……。
「これくらい濡れてれば、もう大丈夫か」
遊星の言葉で、龍可は現実に引き戻された。実際の龍可は、勿論手錠をかけられてなどいなかったし、
綱で縛られてもいなかった。もっともそんな拘束など必要なかったが。
いったん龍可から身を離すと、遊星はベルトを外し、下着ごとズボンを下ろした。その男根の大きさに、
龍可は息を呑んだ。彼女に用意出来る比較対象といえば、龍亞のそれ、しかも何年か前のものしかなかった。
恐る恐る顔を上げて、龍可は遊星を見上げた。視線が合うと、恥ずかしいのを我慢しながら言う。
「あの、あのね……。やっぱり、口で、その、したりとか、した方が良いの?」
その申し出に、遊星は思わず苦笑した。そして龍可を優しく抱き寄せると、子供を褒めるように、
「俺に任せれば良い」
と囁く。龍可は黙って頷いた。
龍可を寝かせると、遊星は自分のものを龍可にあてがう。これだけ小さい子相手だと、遊星もあまり
経験が無かったので、細心の注意を払って力を入れていった。
早速、龍可は痛そうに表情を歪めた。
「大丈夫か?」
月並みと解っていても、遊星は聞かずにはいられなかった。龍可も、精一杯笑顔を浮かべて答える。
「うん……、平気」
平気なわけが無かった。一瞬ここで止めてしまおうかとも考えたが、自分の両腕を握ってきている龍可の
手の強さに、遊星は、龍可がそれを望んでいない事を感じ取った。
一度、龍可を抱きしめる。それから再開した。
腰を前に推し進めるたびに、龍可の腕がびくびくと震えているのが解る。瞳には涙も浮かんでいた。
しかし痛いとかやめてとか、そういう言葉は一度も口にしなかった。
遊星に体を任せている間、龍可はその痛みに半ば酔っていた。引き裂かれるようなこの感覚は、
龍可が望んでいたものに近かった。気遣いを見せる遊星の優しさは嬉しかったが、何の遠慮も
無くしてくれたら、もっと嬉しかっただろう。そして遊星に限って、そんな事はありえない。そんな
遊星だからこそ、龍可は身を任せたのだった。矛盾した二つの願望の、限りなく高みにある
妥協点が、この痛みだった。
行為の後半には、痛みは幾分か快感に変わっていたが、龍可には気にならなかった。彼女に
とっては痛みも快感のうちだった。やがて迎えた絶頂。遊星の熱いものが体内にぶちまけられる。
この被征服感は、二人の時間のラストを飾るに相応しかった。自分が所有されているという感覚と、
自分が所有しているという感覚が合わさったようなこの感じ。
そして、再び襲ってくる別離の恐怖。
龍可は遊星にしがみついた。
「龍可、起きれるか?」
遊星の声で、龍可は目を覚ました。遊星の風邪はすっかり治ってしまったようだった。薬が
良かったのか、龍可の看病が良かったのか。龍可は身を起こした。まずシーツに付いた血を見て、
昨日の行為を思い出し、赤面した。
「遊星、私達、昨日……」
「ああ」
頷く遊星の顔も、少し赤かった。恥ずかしさよりは、彼の場合は罪悪感が大きかった。七歳差
というのは大した歳の差には聞こえないかもしれないが、十八の遊星にとっては、倫理に触れる
様な差といえた。
自分の体を確かめると、首筋や胸元にきっちり跡が残っていた。恨みがましく遊星を見ると、
遊星は、ばつが悪そうに目を逸らす。まさかこんな子供の跡をキスマークだなどと考える人も
いないだろうから、虫刺されということで誤魔化そうと、龍可は思った。
龍可は遊星の助けを借りて立ち上がった。足に力が入らず、暫くの間は遊星に補助して
もらわねば歩けなかった。
制服は思ったより汚れたり皺になったりはしていなかった。今日は土曜日で学校は休みだが、
家に帰るまではこの服を着ていなければならないのだから、重要な事だった。トーストと目玉焼きを
基調とした朝食を遊星が作ってくれた。
帰り際に、龍可は確認する。
「遊星、風邪はもう大丈夫なのね?」
「ああ、そのようだな」
遊星は自分の体を見ながら言った。
「龍可こそ、今日は大人しくしておいた方が良いだろう。あれだけ俺と一緒にいたんだから、油断すれば
すぐ風邪に罹ってしまうぞ」
「そうしたら、今度は遊星が看病してくれるの?」
上目遣いに顔を見て、揶揄するように龍可は言った。だが遊星は口元に笑みを浮かべ、反撃する。
「昨晩と同じように、看病しようか」
顔を赤くしたのは龍可だった。その顔を隠すように、彼女は遊星に抱きつく。
しばらくそうしていたが、朝の静寂を突き破るように、Dホイールの爆音が聞こえて来た。
「クロウ達だわ。帰ってきたみたいね」
「ああ。さぁ、龍可ももう帰ったほうが良い」
龍可は、何かもう一つか二つほど意地悪な台詞を思い立ったが、また反撃されるのも嫌なので、
素直に頷いた。
別れ際という気恥ずかしい時間を少しでも縮めるため、龍可は走って去った。遊星が見えなくなると、
また昨日のあの恐怖が蘇って来そうになる。
龍可は胸に両手を当てて、自分に言い聞かせた。大丈夫、遊星が何処かに行っちゃう様な事なんて
無い。絶対に無い。
その言葉は、昨日までよりは、よっぽど説得力を持っているように思われた。
顔を上げて、また歩き出す。龍亞より先に家に帰ってないと、やっぱりまずいわよね、と思った。
今日は休みの日だから、龍亞も天兵も、きっと遅くまで寝てるはず。多分先に帰るのは私。家に
帰ったら何をやっておこうか。掃除とかはお昼からでもいいから、まず洗濯と、それから――。
このページへのコメント
修正しました。
Posted by 2009年10月27日(火) 21:34:57他の方に指摘されたとおり、ドロー8のSSを重複して投稿してしまったようです。
そしてドロー11のこのSSはすでに投稿したと勘違いしていて収録していませんでした。
作者の方すみません。
これすでに投稿されているアキ&龍可×遊星と中身自体が被ってるんだよ
Posted by 内容自体が重複 2009年10月27日(火) 14:02:00ドロー11の遊星×龍可とはまったく別。
重複しているからこっちは再利用して
ドロー11のやつはってもらうしかないね
ちなみに過去ログ見れないんで俺は編集無理
とりあえずタグ直したよ。
Posted by 直しといた 2009年10月27日(火) 12:56:41つーかタグ直すぐらい誰でもできるんだからここのコメに書く時間あるなら自分で修正したほうが早いと思うんだが…
誰でも編集できるからこそwiki形式なんだし。
今後もいちいち投稿している人に修正求めていたら誰も投稿する気がなくなるぞ
それも、言えてるな
Posted by ところどころ 2009年10月27日(火) 01:24:40でもさ〜事情をしているなら、そのが修正すれば良いと思いますけど。
Posted by 放浪者 2009年10月27日(火) 01:22:46