私の名前は音無小鳥、うら若い765プロの事務員です。
 この季節になると私、息が止まりそうになるんですよね。いえ、秋が嫌いなわけではありません。
 夏の残暑を吹き攫っていくようなさわやかな風。世界が朱に染まる、実り多いこの季節。目も舌も楽しめ、果ては心まで豊かにしてくれますよね。
 では何故嫌いなのかって? いえ、そんな……皆まで言わなくてもわかっているんでしょう? そうやって、私が脂汗を垂らしているのを見て楽しんでいるんでしょう?
 いいんです、別に。だってまだ審判の日まで、一年はありますから……。

 季節は秋。やうやう涼しくなりゆく気温に、「小鳥さん、いい加減クーラー消しませんか? 足元が寒いんです」と律子さんに言われることも少なくなってきた昨今。
 私は今日という日に臨んで、今更に脂汗をだらだらと垂らしています。いえ、昨日も一昨日も動悸息切れ急な発熱と、中々愉快な症状に見舞われてましたが。
 九月九日という、今日は特にまずいです。呼吸をしても、しっかりと肺が酸素を取り入れてくれないというか。もう取り入れなくてもよいのでは?と暗に身体から言われている気さえします。
 誕生日なのです。今日は、音無小鳥、二十○歳の、誕生日なのです。いわゆるハッピーバースデイ、というやつですねえまあなにがハッピーなのか皆目見当もつきませんけれどねえわはは。
「小鳥さん、こっちの資料にミスプリがあります。ちょっと直してください」
「は……はひ……は……」
「どうしたんですか、青白い顔をして……。死にそうになってないで、ちゃっちゃとお願いします」
 ぱさりと投げ寄越された資料を拝領し、震える指をなんとか律して下線の引かれた部分に目を向けます。……ああ、確かに「今年度収支予算案」が「今年度も行き遅れ」になってますね。
「うぐぶっ」
 胃がすぼまる感覚が走ります。途端、じわりと涙が滲み、私は今朝食べたおにぎりをリリースしないように口元を抑えました。律子さんが怪訝そうな目を向けてきます。
 うう。世界は冷たいです。あんまりです。私は誕生日だというのに、今朝から祝いの言葉一つなく、挙句こんなピンポイントな攻撃を。ミスったの私ですけど。
 いえ……祝いの言葉なんかいりませんよ。年若い彼女らから祝われては、かえって馬鹿にされているような気がします。嫌がらせのようなローソクの量に泣かされるに違いありません。
 私は渡された資料のファイルを開き、ちょちょいと直して再度印刷しました。人数分のそれを律子さんに渡して、溜息を伴って自分の席に戻ります。
「……二十○、か……」
 自分で言って泣きそうになってりゃ世話ありませんね。垂れてきた鼻水をすすって、私はぐずぐずとしゃくりあげながらキーの上で指を躍らせます。うう……。
 世間では、三十路になっても結婚しない、私の先輩のような方が多々います。しかしこの環境。若く美しい少女たちに囲まれ、日に日に劣化していく自身に焦燥を感じる毎日。
 女性として、まいらない方が嘘というものです。二十代を仕事に費やし、溜めたお金はアイドルの彼女らが一年頑張って手に入れたお給料より、ずっと少ないもの。
 容姿は言うに及ばず、若さも、将来性も、なにもかもで負けを食っています。彼女らに自信を持って勝っているといえるものは、そうですね、年齢くらいですかね。
 彼女らを前に完全下位互換品でない人も少ないとは思いますが、その輝かしい前途を常に目の前で見てきた私は、否応なくその現実を突き付けられます。僅かあった自信など、とうの昔に雲散霧消。
 出会いもなく、一人いる意中の方の倍率は東大入試並。これで乾いた笑いを漏らすなというものが無理というものです。それはやがて嘆息に代わり、脂汗に転じるのです、ははは。
「小鳥さん、またミスプリです」
「ふえ……」
 ぱさりと再びプリントを渡され、なんですかもうと目を通します。ああ……「9:02pm」が「0:29pm」になってますね。どんだけ自分の歳意識してんだって話ですよね、はは。
「小鳥さん、どうしたんです? らしくないミスが目立ってますよ、顔色もなんだか土気色ですし」
 誕生日なんです。もはや未来への展望もありませんし、いまさら大きな変革など望めません。あるのは無理して買ったマンションと、微々たる貯金だけ。
 それらを全部吐露しても、律子さんは渋い顔をしたのち、はあ、と気のない返事をして、そんなことより仕事してくださいと言うに決まってます。だから私は首を横に振って、口をつぐみました。
 はあ、と溜息をもらします。この調子だと、「ポジティブ!」を真逆の意味でタイプしていかねません。突っ込まれる前に確認しておこうとファイルを開くと、見事に予想が的中していました。
 ……もう、お家帰りたいです。
「お疲れ様でしたー」
 帰宅の挨拶を聞き、私も同様の言葉を返してお見送りです。何度かその工程を繰り返すと、事務所には私一人になっていました。
 結局、今日は誰の口からも誕生日云々の言葉は出てきませんでした。いえ、いいんです。別に期待なんかしていませんでした。ホントですよ……。
 私が生まれた時間は、深夜だったとのことです。つまり、まだ二十○歳ということで。私は足元に隠してあったビールの缶を袋から取り出し、机の上に並べました。ごくりと一飲み、さよらな二十○歳の私。
「……うわぁぁ……」
 むなしい。一人で酒盛りをするむなしさ。誰にも顧みられないむなしさ。多大な虚無感が私の心を軽くこづき、脆くなりすぎたそれは簡単に崩れてしまいました。視界がぼやけてきます。
 ぐすぐすと一人、誰もいない事務室で泣く私。せめて一言でいいから、誰かから祝って欲しかったです。誰でもいいから、私が生まれてきたことを、共に喜んでくれる人が欲しかったです。
 こうなってくると、ネガティブ思考のスパイラルは留まる事を知りません。仕事辞めようかな、実家帰ろうかな、誰でもいいからお見合いしようかな、いっそ我が命、自身で絶ってくれようかな、なんて。
「小鳥さん?」
「ひゃっ!?」
 突然がちゃりと扉が開かれ、次いで飛んできた声に私は思いっきり体を跳ねさせて驚きました。口から心臓が出そうになるとはこのことで、変に勘ぐられないうちに涙を拭います。
 入ってきたのはプロデューサーさんでした。彼は私を一瞥すると、ふーと息を抜いて冷蔵庫に向かい、中から麦茶のパックを取り出し、コップについでごくごくと喉を鳴らし始めました。
 私の心が、にわかに熱を取り戻します。よくわかりませんが、なんだか凄い期待感が頭を席捲します。これはきました。私の時代が来ましたかもしれません。彼がこちらに目を向けました。
「……あ、小鳥さん、お酒飲んでるんですか?」
「え? え、ええ、はは。ちょっと、そんな気分で……」
「ダメじゃないですか。事務所を出て少しのところで検問はってましたよ。小鳥さん、車でしょう?」
「そ、そうですね……はは……は」
 腰に手をあてたプロデューサーさんにめっと叱られ、私は普通にしょんぼりしてしまいました。完全に誕生日云々を彼は知らないのでしょう。彼にとって、私は空気なのでしょう。
 いいのです、別に、いいのです。常日頃から美少女たちに囲まれて暮らす彼にとって、私はじゃりかタニシかアマガエルという程度の存在なのです。私の代わりなど、いくらでもいるのです。
「は、はは……。……う……うえぇぇん」
 無茶に後ろ向きな思考に身を任せていると、堪えていた涙が堰を切ったように溢れてきました。顔を上向けたままだらだらと泣き始めた私に、彼はええっと驚いた表情を向けました。
 もうじきに二十○を迎える大の女が、恥も外聞もなく大泣き。情けなさも極地です。ビール缶片手に体液を垂れ流し始めた私に、プロデューサーさんがハンカチ片手に駆け寄ってきます。
「ど、どうしたんですかいきなり。なにか辛いことでもあったんですか?」
「別にないですっ……別に、ないんですよぉぉぉ、うえぇぇぇ!」
「ああ……困ったな」
 ムーンレィスもかくやという感じに、どうせ勝ちの目がないなら迷惑かけてしまえと泣きわめく私に、彼は心底困惑した様子でした。ハンカチは私の色々な体液でべたべたです。
 私はプロデューサーさんの手を押し戻して、ティッシュで鼻をかみました。ぐすっと啜りあげれば、何となく気持ちも落ち着いてきて、溢れた涙も止まってきます。はあ、と今日何度目かの溜息をつきました。
「……すいませんでした。も、もう大丈夫なので、プロデューサーさんはお帰り下さい。戸締りは、私がしておきますから……」
「ですが、このままじゃあ帰れないでしょう?」
「泊まっていきます、今日。いいんです、気にしてくださらなくてっも」
「ダメですよ、そんな。それに今日、小鳥さんは誕生日じゃないですか。それなのに……」
 プロデューサーさんの言葉に、思わずぴたりと固まってしまいました。目を見開いて彼の顔を覗くと、ね?と優しい言葉が返ってきました。途端、鼻の奥がじんと熱を持ちました。
 今度は俯いて、すすり泣くように涙を流す私に、プロデューサーさんは再びあたふたとし始めました。――今のこの言葉だけで、私は少し、救われた気分になりました。 
 そしてその救われた気分は、彼の車にのせられた時点で期待感に代わり、辿る帰路が私のマンションの方でないと気づいたとき脂汗に代わり、玄関口に連れられた時点で私は沸騰しそうでした。
「みんな、小鳥さんを連れてきたぞー」
 彼の住居も、私と似たような高層マンションでした。少しばかり彼の方が立派なのが気になりましたが、私も彼の後を追って、部屋の中に入りました。緊張で、足の裏がじっとりしています。
 サプライズパーティ、なのでしょうか。彼の言葉ににやける私は、とても人様にお見せできるような顔をしていません。やっぱり皆、私のこと、少しは慕ってくれていたんです。こんなに嬉しいことはありません。
 そう思うと、これから訪れる三十路、果てはだんだんババアという運命、そして行き遅れという事実を抱えつつもなんだか幸せな気分になって……いえ、やっぱり緩和がせいぜいって感じです。
 気を利かせて、少し遅れて私はリビングの扉を開けました。途端、私の耳をクラッカーの破裂音が打ち、小鳥さんおめでとうありがとうの言葉が場を席巻……しませんでした。リビングの中には誰もいませんでした。
「あ、あれ……み、みんな? みんな、何処に行ったんだ? ん? あれ……?」
「あの、どうしたんですか?」
「その……なんというか、みんな勝手に帰ってしまったみたいで……」
「……ぉば」
「こ、小鳥さん!? しっかり、気を確かに!」
 あんな奴待ってらんねーやと、皆が小鳥さん生誕祭をほっぽって帰ってしまったという事実に、私はとても耐えられませんでした。その場でひっくり返り、つーと女泣きに涙を垂れ流します。
 今日は少し、泣きすぎましたね……。人間、歳をとればそれだけ脆くなるものです。老いで刻まれた皺という亀裂は、心にも同じだけ入っているのですよ。ふふ……上手いこと言った。もう死んでもいいや。
「ま、待ってください、小鳥さん。でも、しっかりプレゼントは用意されているんですよ」
「どうせびっくり箱なんですよ……。さもなくばミミズとか、ウズラの卵とか、いいところ洗濯バサミかセロハンテープですよ……」
「そ、そんなことありませんよ。あ、ほら、みんなからの置き手紙もありますよ!」
 プロデューサーさんが、ぐったりと伏した私の肩を抱き起こし、可愛らしいファンシーなデザインの封筒を手渡してくれました。背中に彼の体温を感じながら、ぱさりと便箋を取り出します。なになに……。
『し小鳥さん、誕生日おめでとうございます
ね765プロアイドル一同、心よりお祝申し上げます     PS・SHINE』
「……ぁふん」
「こ、小鳥さァァーん!」
 もはや突っ込む力もありません。生きる気力を根こそぎ奪われた気分です。なにを、私が一体なにをしたというのでしょう。もうそろそろ私の寿命が近いです。目が霞んできました。
 初めてですよ、私をここまで憔悴させる誕生日は。去年は、みんなちゃんとしたパーティで祝ってくれたのに、一体何がどうなってこんなあれみたいなそれになってしまったというのでしょう……。
 なんとかプロデューサーさんを支えに立ち上がると、ダイニングテーブルにこんもりと積まれていたプレゼントが視界に入りました。人数分、しかしどれも似たり寄ったりに手の平サイズの箱です。
 開けてみてくださいよ、と焦った顔の彼に勧められ、手近にあったものを手に取りました。これは……律子さんからですね。赤い包装紙に包まれ、ピンクのリボンで可愛らしく彩られています。
 そして、中から出てきたのはコンドームでした。極薄0.03mm、イチゴのかほり。
「……」
「こ、小鳥さん?」
「これは……あれですかね。何かの皮肉か、はたまたこれを繋いで伸ばして首を吊れと、そういう」
「り、律子の悪ふざけかもしれません。ほら、やよいとか、雪歩のを開けてみましょう」
 意識を刈り取られそうでしたが、私は気を取り直してやよいと付箋が貼られたものを手に取りました。これまた可愛らしく包装されたプレゼント。中身は、同じくコンドームでした。
「……も」
「も?」
「も、もおぉぉぉ!」
 私は癇癪を起こし、その使い道のないゴム製の不要物の箱をプレゼントの塊目掛けて思い切りぶつけてやりました。すこおんと崩れるそれらを見ずに、怒り心頭のまま鼻を鳴らします。
 私が、一体何をしたというのでしょうか! もう絶対仕事なんかやめてやると決心して、私はソファーに体を投げました。
「……小鳥さん、機嫌を直しませんか」
 彼が機嫌を取るような猫なで声で、私の背中に話しかけます。しかし私は、彼の言葉には耳を貸しません。
「……いいんです。どうせはじめからこのつもりだたんでしょう」
「そんなこと。俺は、小鳥さんの誕生日をお祝いしようと思って」
「どうだか……」
 完全にへそを曲げましたよ、私は。別に誕生日を祝ってくれなくても、完全に忘れてたって、そりゃあ多少は文句も言いますが、怒ったりはしません。
 でも、これはあんまりです。さすがに私相手でも、やっていいことといけないことがあります。傷つきました。もはや立ち直れません。皆、私をあんなふうに思っていたんですね。
 私は、ソファーの背もたれと座席部分の付け根あたりにうつ伏して顔を埋め、だらんと死んだ魚のように脱力していました。すぐ傍に、プロデューサーさんの気配があります。
「……俺はですね、小鳥さん」
「も、もう放っておいてください! 言い訳なんか聞きたくないですよ!」
「俺は今日、あなたに告白するつもりだったんです」
「……え」
 嘘でしょう、と言葉が続きませんでした。頭は嘘だ嘘だと大合唱。これ以上恥をかかせる気なんですかと、怒っています。私も同意見、こんな状況で言われたって、信じられません。
 しかし、そんな言葉に体を熱くしてしまう、独り身の悲しさ。私はうつ伏したまま、言葉を続けるのをやめました。その間を気取って、彼が言葉を連ねます。
「俺はね、小鳥さん。あなたがいたから、今までこの仕事を続けられたんです。疲れてても、困ってても、あなたと話していると自然と癒されるんです」
「……」
「……本当はもう少し、俺がもっと一人前になってから言うつもりでした」
「……」
「でも最近、誕生日が近付くにつれて小鳥さん、なんだか様子が変になっていって……。やっぱり、これ以上待たせるのは正解ではないなって、思ったので」
 私は努めて怖い顔のまま、仰向けになって彼に視線を向けました。彼は、真面目くさった顔をしていました。私の目が狂っていないのなら、嘘も冗談も、言っている表情ではありません。
 じいと強い目で見つめられて、私は堪らなくなって目を逸らしました。さっきまで機嫌を損ねていたはずだったのに、もう私は顔を火照らせています。下唇を噛んで、目が泳ぐのをなんとか止めます。
「小鳥さん」
 彼が一言。そして不意に立ち上がったと思ったら、ソファーに乗り上げてきました。私は言葉にならない声を発しながら、あたふたと彼の体を押して抵抗しましたが、簡単に組み伏せられてしまいました。
 ホールドアップするような形で両腕を抑えつけられ、彼は私の下腹部辺りに馬乗りになっています。何故だか顎がかたかたと震え始め、頭がすうっと冷えました。血が上手く通っていません。
「小鳥さんは俺のこと、どう思ってるんです?」
 吐息を感じられるほどまでに顔を近づけられ、私は咄嗟に目を逸らしました。しかし、そっぽを向いた私の頬に彼の手が添えられ、無理に正面を向かされてしまいました。
 じい、と心の奥底まで見透かすような視線に、私の心臓が焦っています。頭に直接響く程の大きさで、胸が高鳴る。触れた肌と肌。彼の手は、私の頬に比べて、ひんやりとしていました。
「……ぎ、ギャグですか? あ、あはは、面白いですよ、結構」
「なに言ってるんですか」
「じ、じゃあ、ドッキリですね? ほら、部屋のどこかにカメラがあって、プラカードを――」
「小鳥さん、目、瞑ってください」
 有無を言わせない、お腹に響く低音の声。普段見る、接する彼とは随分と雰囲気の違う様子に、私は戸惑いました。目を瞑らせて、どうしようというんでしょう。
 彼は私を待っています。手で顔を押さえ、私を睨みつけて、逃げ道を奪った挙句判断を押し付けてきました。酷い人です。多分思うに、これは酷いことです。目を瞑るしか、無いじゃないですか。
「……愛してます、小鳥さん」
 結局彼が、嘘ですよなに本気にしてんですかと笑うことも、扉の外からアイドル達がカメラ片手に出てくることも、ありませんでした。あったのは、柔らかい唇の感触だけ。
 確かなキスの後も、未だ現実と確の得られない私に、彼は照れくさそうに微笑んでくれました。だから私は、私も、頬笑みを返すことにしました。
 今日は、私の誕生日です。
「今日は本当、すみませんでした」
「い、いえ……」
「こんなはずではなかったんですがね……まったく」
「そ、そうなんですか……」
「……なんでよそよそしいんですか」
「べ、別にそんなことないですよ!」
 キスの後、私たちはなんとなく隣り合ってソファーに腰掛け、肩が触れるか触れないか程度の距離を保って喋っていました。思わず怒鳴って、彼に怪訝そうな目を向けられます。
 ダメです。どうにも彼の顔を見ると顔が変に引きつり、いわゆるニヤケ顔になってしまいます。やったぜとか、ざまあみろ的な含み意を持ったこの表情は、アイドルらに向けられるべきものでしょう。
 一人でふっふと笑っていると、不意に肩に腕が回されました。ぐいと力強く抱き寄せられ、また動悸が激しくなってきました。女子中学生じゃあるまいし、という突っ込みが頭に飛んできます。
 真っ赤になっていると、こちらを見下ろして眺めている彼と目が合いました。彼は私の上気した顔を見るとにやりといやらしく顔を歪め、それから、嬉しそうな笑顔を浮かべました。
 なんだか嫌な感じです、してやられてるという感じです。私の方が年上なのに、主導権が初めからありません。どうにかせねばと思っていると、誤魔化す様に彼が言葉を発しました。
「今日はですね、各々仕事が片付いたら、俺の家にプレゼントを持って集まる予定だったんです」
「はあ……」
「何が気に障ったんでしょうかね、あんな悪戯して……。小鳥さんに告白しようと思ってる、と告げたのが駄目だったんでしょうか」
「……それ、わかっててやったんでしょう」
「なにがです」
 中々に性格の悪いことだと思いますが……祝うだけ祝わされたあとに私が彼と付き合うことになっと聞かされたら、コンドームを送りつけられるだけじゃ済まなかったかもしれません。
 それを考えると、体のいい悪戯を用意してあげた彼の行為は、正解だったのかもしれません。でも、あれで大分傷ついたことと、結局白い目で見られる今後の私の境遇はどうしてくれるのでしょう。
 でも……と、私は机の上に目を向けました。要らないです、と思っていたコンドームの山が、今となっては大分違う意味を持ち始めました。具体的に言うと、いやらしい方向に。
 そんな私の葛藤を察したのか、彼が再び私のことを見つめていました。前々から考えの読みにくい人だとは思っていましたが、この場で微笑みを向けられると、どうしていいのかわかりません。
「あ……あ、あはは。でも、本当に驚きました。てっきり、プロデューサーさんはアイドルさんの誰かが好きだと思ってましたから……」
「俺が好きなのは、小鳥さんだけですよ」
「は、はは……は……」
 逸らそうとした話題が、ぱちんとはたかれて戻されてしまいました。彼はきっと、私の顔をあたかも巨人のタイマーのように点滅させて楽しんでいるんです。そうに違いありません。
 目が泳ぐ癖を早く直さないと、いつかからかわれます。変な顔してないでしょうか、私。鼻の穴とか、無意識に広げたりしてないといいんですけど。唇が震えてるのはわかってるんですが。
「……誕生日の思い出、作ります?」
 そしていきなりの、ふっと笑んでの、この一言。汚い、さすがプロデューサーさん汚い。私は一呼吸置いて、気を確かに持ってから、返事をしました。
「へ……へぇあ」
「小鳥さん、しっかりしてくださいよ」
「す、すみませ……。……あ、あの、じゃあシャワー……浴びても、いい……ですか」
「ええ、どうぞ。一緒に入ります?」
「い、いいですよう!」
 こんな状況にあって、彼は冗談を飛ばす程に冷静です。経験の差というか、場慣れしているというか。なんだか私ばっかりあたふたしている感じで、釈然としません。
 でも、そそくさとリビングを抜けながら私は、堪え切れない興奮で胸の高鳴らせていました。行為……いわゆる情事、セックス。してしまうんですね、ついに、彼と……。
「……ああぁぁぁ……!」
 浴室に入って、シャワーを浴びて。ざああと頭から温かいお湯をかぶりながら、私は急に恥ずかしくなってきました。とにかく今日一日、急展開がすぎます。
 もし、風呂場から出たら皆がいて、「オチ担当おつかれあざーす」みたいなことになったらどうしよう。いえ、急に風呂場に押し掛けられ、カメラを回される可能性も否めません。
 ……。と、そここまで考えて、自分の思考回路がどんどんと卑屈になっているのに気が付きました。いくら信じられなくても、いくら都合がよくても、現実は現実。彼の言葉は、真実なのです。
 だから、私が今日の出来事を否定することは、彼の気持ちまで否定してしまうことなのです。私のことを愛してくれると言った、彼の想い。私は、それをしっかりと受け止めてあげなければなりません。
「……で、でも、ホント?」
 アイドル達の反応を見るに、皆が彼に好意を抱いていたのは明らかです。それなのに、私なんかを。あまりにも不自然で、告白された私が疑わしく思うのも不可抗力というものではないでしょうか。
 ぶつぶつといいながらも、スポンジを泡立ててしっかりと身を清めるお茶目な私。そう、嘘でも冗談でもいいんです。例え一時の夢でも、彼に愛していると言われた、その事実だけでご飯三杯いけます。
 ごしごしと、念入りに体を洗います。化粧は落ちてしまいますが……まあ、普段からしてないようなものなので、そうも変わらないでしょう。ざあと泡を流し、湯船に浸ろうかなと考えた瞬間、浴室の扉が開かれました。
「どうも、小鳥さん。お湯加減はいかがですか」
「な、は……な、なんで入ってきたんですか!」
「いいですと言ったじゃないですか」
「そ、そんな詐欺師みたいなことを……」
 ずけずけと、タオルも纏わずに入ってくる彼に私は後ずさり、しかし壁にぶつかって逃げ場を失いました。彼は遠慮もなく私に近づくと、腰に腕を回し、ぎゅっと抱き寄せてきました。
 おうおうと、よくわからない呻き声を上げながら、抱かれるまま触れられるまま、私は身じろぎも出来ません。下腹部の辺りに、彼のものの感触があります。な、なんだか、固くなってきてますし……。
「ずっと、こうしたかったんです」
「な、なにを……」
「小鳥さんのこと、抱きしめたかった。あなたと雑談してるとき、いつも俺がどれだけやきもきしていたか、知っていますか」
「……し、知りませ」
 ん、という言葉にキスが重なり、私は彼に捕えられたまま唇を奪われました。先ほど一回、今で二回。そんなことを考えていると、彼の舌が、私の唇をなぞりました。
 ぞく、と背中に電流が走り、体が意に反してびくりと跳ねます。侵入されるままに私は口を開き、彼の舌を招き入れました。ぴちゃ、と粘膜が触れ合う未知の感触に、頭がとろけそうです。
 彼の舌が私の舌を絡めとり、上あごを擦って歯茎をなぞり、唾液を送りこんできます。私は碌な抵抗も愛撫もできず、彼の行為をただただ受け入れるばかりです。く、悔しい、でも……。
「……はぷっ、っ……はぁ、は……」
「小鳥さん、キスってあんまり……?」
「そ、そういうことは、聞かぬが花といいます。言わぬが花でもあります」
 静かな微笑みを浮かべながら取り澄まして言うつもりが、うっかり目を逸らしててしまったのでばればれですね。加えて、抱かれてキスしただけで、胸の先端が痛いほどに立ち上がってしまっています。
 今更それに気付き、私は慌てて腕で胸を隠しました。しかし、彼にあっさりと突破されてしまいました。力強く手首を掴まれ、じいと視線が胸に注がれます。思わず腰を引くと、お尻に手が触れました。
「あ、あんまり触られると、私、その……」
「今か後か、それだけの差ですよ。ここは年長者として、意を決して若輩を導くべきでは?」
「そ、それも、そうですけど……」
 どう考えても、この状況で若輩は私です。大体導くって、何をどうすればいいのか見当もつきません。少し視線を下げれば、彼のものが力強く反り立っています。馬並って、こういうもののことを言うんでしょうか。
 ……。言われたとおり、意を決して彼のものに手を伸ばしてみました。熱の塊のように温いそれは、私の指が触れるとびくりと震えます。驚いて咄嗟に手を引くと、彼がくすりと笑みました。
「やっぱり、俺がリードしますね」
「……はい」
 私は、顔を赤らめて俯く他にありませんでした。
 後ろから抱きすくめられるような形で、私は彼の愛撫を受けていました。右手が胸をまさぐり、伸ばされた左手が膣口を優しく刺激します。彼の隆起が、私のお尻を押し上げています。
 自分の喘ぎ声など描写する気になれませんが、私は今まで出したこともないような高い声をだして翻弄されていました。自分でするときは、歯をくいしばって声なんて出しませんでしたから。
 くち、と粘液の混ざるいやらしい音が下半身から聞こえてきます。秘裂の間を、ごつごつした指が何度も行き来します。私はだらしなく呼気を漏らしながら、彼に体を預けて快感に浸っていました。
「小鳥さん、やっぱり、凄く肌がきれいですね。白くて、柔らかい」
「そ、そうです、か……?」
「ええ。ずっと童顔な人だなって思ってみましたが、やっぱり体の方も若々しいですね」
 歳食ってるわりには、ですか?なんという、普段ならなんなく出てくる刺々しい返しも、今はまるで頭に浮かびません。つぷ、と僅かに膣の中に埋められた指に、眉を寄せて体を震わせます。
 す、と彼の顔が近寄ってきました。応えて私も顔を振り向けると、唇を啄ばまれました。指が、より奥へと押し入っていきます。くちゅくちゅと中を掻き混ぜられながらするキスは、意識が飛びそうになります。
 彼はキスを切り上げると、離れていってしまいました。そして跪き、行動の意味をつかめず呆けている私のふとももを掴むと、ぐいと横に開かせました。あ、と思った瞬間には、彼の顔が股に埋められました。
「き、汚いですよ!」
「洗いませんでしたか?」
「……あ、洗いましたけど、でも」
「小鳥さんの大切な場所、俺は汚いなんて思ったりしませんよ」
 どきん、と少女漫画的な効果音を私の心臓が描きました。月並みな言葉なのに、漫画やゲームで聞きなれたはずなのに、いざ自分が言われてみると、筆舌にしがたい充足感があります。
 感極まってしまいそうになるのを、快感の波が押し戻します。柔らかい舌が敏感な粘膜をねぶり、穴をほじくってきます。僅かしか埋まらないもどかしさに、堪らず喘いでしまいます。
 秘所のお腹側の突端、クリトリスのある部分に彼が吸いつきました。唇で器用に陰唇を割り、その奥にある突起を啄ばんできます。秘孔には太い指が代わりに埋まり、角度をつけて敏感な部分を的確に擦ってきます。
 そこまでされて、こらえられるはずもありません。意に反して激しくf笑い始めた下半身を、彼の顔に押し付けてなんとか崩れ落ちないよう耐えます。絶頂の凄まじさに、思わず泣きそうになってしまいました。
「小鳥さんて、結構感じやすいんですね。嬉しいなあ」
「う、嬉しいんですか……?」
「喘ぎ声も可愛いですし、その気持ち良くなってる顔も、凄くいやらしくて好きです」
「そ、それは、嬉しくないです……」
「ははは。……じゃあ、そろそろ本番、大丈夫ですか?」
 彼は私を湯船の縁に座らせると、勃起したなにを恥ずかしげもなく晒しながらそう言いました。ほ、本番……本番。それはつまり、なにをあれするそれです。
 それにしても、あんなに太いものが、私の中に入るのでしょうか? 実は、セックスなど迷信で、子作りは何かもっと別な方法で行っているのではないでしょうか。だって……ねえ。コウノトリとか。
 ははは、と微妙な笑みを浮かべる私に、彼は大丈夫ですよと囁いた。べ、別に、怖いわけではありません。一線を超えることで、何かが変質してしまいそうな、そんな漠然とした恐怖なんて、ありません。
 でも、私のそんな逡巡を初心だと茶化さず、優しく抱きしめてくれる彼の腕は確かに暖かく、私の心を穏やかにしてくれました。私は意を決して、こくりと頷いてみせました。
「じ、じゃあ、コンドームを……。はは、いらないと思ってたのに、結果的には役に立っちゃうんですから、変な話ですよね」
「え? いや、付けなくてもいいでしょう」
「……え?」
 冗談かと思って彼を振り返ると、特にふざけた様子はありませんでした。でも、だって、避妊するにはあれが必要です。外に出すだけじゃあ、完全とは……。
「彼女らがなんであれを送りつけたか、わからないんですか?」
「え……えっと?」
「小鳥さんが、まだ早いと思うなら無理にはしませんけれど……。でももう、俺達は子供じゃありません、大人なんですよ」
 彼が何を言っているのか、ぼんやりと理解が及ぶ。それでも私は顔が引きつり、唾を飲み込めば喉が鳴ります。まさか、初めてのセックスが、そんな……。
「子作りしましょ?」
 気分を和ませるためのパロディなら、効果は微妙なところでした。
 彼の肩に手を置き、背伸びして股の間にペニスを添えさせ、後は入れるだけ。彼は私の決心を待って、膣口に亀頭そ添えたまま待ってくれています。
 もう大人、ですか……。性行為には避妊が必須だと、今の今までそう考えていた私は、結局少女のころと何ら変わっていなかったということです。年ばかり重ねて、何ら。
 ぐ、と股に力を込めて、ペニスに押し付けます。彼もそれを受けて、私の腰に回していた腕を持ち上げ、腰を前に突き出してきました。めり、という鈍い音を伴って、膣の中にペニスが侵入していきます。
「い、痛っ」
「ゆっくりでいいですから。息、抜いてください」
「は、はい……」
 身を、股から左右に裂かれるような痛み。今までの人生の中で間違いなく五指に入る痛みに、諦めて行為をやめたくなります。しかし、ここで逃げて、何になるというのでしょう。
 少しずつゆっくりと、肉壁を割って中へ押し入ってくる感触。自分の体に、他人が満ちていく充足。気の遠くなるような時間の果て、こつりと、自分の体の一番奥を感じました。
「ぜ、全部入りましたか?」
「ええ、入りましたよ。凄くきつくて……気持ちいいです」
「そ、そうですか……? なら、良かったです……」
 ぐち、と僅かに彼が身を引くと、内臓をずるりと持っていかれるような感覚がありました。私は慌てふためいて彼を止め、もう少しだけ動かないでいてくれるよう頼みます。
 痛い……。私も、とうとう一人前の女性、ということなのでしょうか。破瓜の痛みなど、今まで想像の中のものでしかありませんでした。爪の間に針云々、よくわからないイメージでした。
 でも今、ようやっと私も胸を張って一人前の女であるといえます。しかも、初体験は最愛の人。延び延びで、こんな歳になるまで男っ気のない私でしたが、今、凄く幸せな気分です――。
「……ぐすっ」
「小鳥さん?」
「……うふふ、もう大丈夫です。動いても、大丈夫です」
 はい、と彼も笑顔を見せてくれました。少し腰を前後させられても、ひどい痛みは襲ってはきませんでした。代わりに、痺れるような疼き、僅かな快感。
 彼は私を抱える様にして支えると、腰をゆっくりとピストンさせ始めました。足をぴんと伸ばしてやっと爪先が床につく身長差。ペニスは自然、奥の奥まで埋まります。
 しばらくそうして私に慣れさせると、彼の動きも激しくなってきました。愛液も遅ればせながら染み出し、粘膜の擦れ合う音が浴室にいやらしく響きます。
 声が抑えられません。こらえようと歯を食いしばっても、ペニスが付きあげる度、押し出されるようにして嬌声が漏れてしまいます。自身のはしたない声に、顔もどんどんと火照っていきます。
「可愛いです、小鳥さん。声、抑えようとしなくてもいいですから。もっと聞かせてください?」
「で、でも……ぉ、ん……あっ」
「気持ちいですか?」
「い、いいですっ……いい、ですぅ……!」
 我慢できる、できないの領分をはるかに超えた快感の波が、私を翻弄します。彼の首に腕を回して力一杯しがみつき、ともすればへたり込んでしまいそうになる体を支えます。
 オナニーとは、比べ物になりません。ペニスで奥まで突かれる度、ぞくりと背中が泡立ち、それは脳天まで伝播して、頭が白んでしまいます。体が変に強張って、自分のものではないみたいです。
 私も、知らないうちに腰を振っていました。彼の動きに合わせてペニスを奥へと招き、出ていこうとするそれにきゅっと吸いついて引きとめます。彼のものの反りが、手に取るように様にわかります。
「小鳥さん、俺にしがみついてください!」
 言うと、彼は私の足を抱え、背中側で絡めて離さないようにと命じてきました。組み付くような形になり、この体位の名前はなんだっけと思う前に、より深い挿入感に歯を食いしばりました。
 私を軽々と持ち上げて支えながら、彼は先ほどよりも激しく腰を打ちつけてきます。私はもはや声もなく、固く目を瞑って彼の首筋に顔を押し付け、絶頂の訪れを感じていました。
「い、イきま……っ……ひ……っ!」
「小鳥さん、中に出しますよ」
「はいっ……は、い……!」
 彼がひときわ強くペニスを打ちこむと、びゅ、と何かが体の中を叩きました。そしてそれは留まらず放出され続け、私の中を満たしていきます。……これ、射精、されてるんですね……。
 頭がぼう、として何も考えられません。体は余韻に震え、きつく抱きこんでくる彼の腕が少し苦しい。長い長い放出の後、彼のペニスの脈動がおさまると、ようやく私の体も弛緩しました。
 ……子供、ですか……。つい先日まで、このままずっと独りかな、なんて考えていたのに。私を抱きとめる彼の胸に頭を預け、その心地よい体温に包まれながら、私は―― 



「――は」
 ……あれ。閉じていた目を開くと、視界いっぱいに白が広がっていました。見慣れた蛍光灯に、星の飾りつけ……これはいわゆる、知ってる天井、というやつですね。
 我が家でした。右を見て、ベッドランプ。左を見て、壁。足元に目を向ければ見知ったポスターと対面し、辺りを見回せば、本棚にゲーム機。これ……完全に我が家ですね。
 ……え? また、これですか。夢オチですか。そんな、いい加減にしてくださいよ、止めてくださいよ。嘘だと言って、くださいよ。そ、そんな、あんまりですよ……。
「……ふ、ふふふ」
 いえ、そんな気がしてはいました。大体、何もかもうまくいきすぎなんですよね。サプライズパーティ云々からこっち、どうにも一連の流れが都合よすぎるというか。
 私はふひひと笑みながら、つーと女泣きに涙を流しました。いえ、いいんです、いいんですよ。どうせこんなこったろうって、思ってましたから。夢オチ、最高じゃないですか。
「う、うえぇ……」
 朝起きて、確かに気持ちを通じ合わせたと思った相手がいない。なんて残酷な仕打ちだろう。私は仰向けに寝転がったまま、じんわりと目に涙を滲ませました。
 うう、気にしません、気にしてません。私はベッドにうつ伏して、大きく欠伸をしました。いえ……欠伸です。寝不足でしたからね、最近。ふふ……ううぅ。
 ひとしきり泣き腫らし、いえ欠伸してから、今日も仕事に行かなくてはと涙ぐましい勤労意識を発揮し、いそいそとベッドから降りました。そしてパジャマのボタンに――
「……あいっ。い、痛ぁ……!?」
 と、手を掛けようとしたところで、股の付け根あたりに鋭い痛みを感じました。おおお、と私はその痛みに引きずられるようにして座り込み、内股になって立てなくなってしまいました。
 こ、これは、この痛みは……! この、爪の間の柔肉を針でかき混ぜるような痛みは……!
「小鳥さん、おはようございます」 
 ずきんずきんと容赦ない痛みも手伝って、私は扉を開けて入ってきた人物を見て、思わず泣き出してしまいそうになりました。ぐすぐすとしゃくり上げる私に、彼は微笑んでくれました。
 こういうの、止めてほしいものです。本当に心臓に良くありません。寿命が縮んでしまいます。にわかに溢れだした涙で一瞬彼の隠れ、私は慌てて拭い、彼の姿を見つけます。
「そういえば、小鳥さんがお酒を飲んでいたのを、すっかり忘れていました。お風呂でしたのは、失敗でした。危険な目にあわせてしまって……」
「う、うう、ううぅぅぅ……」
「す、すみません、小鳥さん。……あー、あの、勝手に家に上がらせてもらったのは、小鳥さんの着替えがなくて――」
 聞いてもいない言い訳に慌ただしく喋る彼に、私はすっと両腕を伸ばしました。彼は私の行動に一瞬固まり、そしてすぐに笑いかけると、望んだとおりに抱き上げてくれました。
 体重全てを預けるような形で、私は彼に強く抱きつきました。胸に顔をぐしぐしと押し付け、彼の匂いを肺一杯に吸い込みます。凄く凄く、幸せな気分でした。
「夢じゃありませんよね、これ。あなたは、本物ですよね?」
「大丈夫です。ちゃんと、本物ですよ」
「よかった……本当に、よかったですよう……!」
「まあ二重夢の可能性も否めませんが」
「め、滅多なこと言うのはやめてくださいよ」
 ぞっとしない発言に彼をじと目で見やっても、すぐに口元が笑みに綻んでしまいます。変な意識の飛び方をしたときはもはやこれまでかと、辞世の句でも考えようかとも思いましたが、これで。
 私の腕の中で確かにある彼を、もう決して離しません。目配せをすれば、彼はすぐにキスをしてくれます。私たちは、恋人なのです。小鳥ルート、ここに完結!なのですね、ふふ。
「さて、後はどう彼女らに説明するかですね……」
「ふふ、お願いしますね、プロデュサーさん」
 私たちは顔を見合せて、笑い合いました。こんな幸せな日々かいつまでも続けと、願わずにはいられません。私は今こそ、この世界に誕生出来たことを、心から祝いたい気分でした。


 私の名前は音無小鳥、うら若い765プロの事務員です。
 小鳥さん大勝利!希望の明日へレディーゴー! 私だって、たまにはいい思いをしても、罰は当たりませんよねプロデューサーさん!
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