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teradatorahiko 2009年06月12日(金) 20:48:19
(引用文)
田端(たばた)の停車場から出て、線路を横ぎる陸橋のほうへと下りて行く坂道がある。 そこの道ばたに、小さなふろしきを一枚しいて、その上にがま口を五つ六つ並べ、そのそばにしゃがんで、何かしきりにしゃべっている男があった。 往来人はおりからまれで、たまに通りかかる人も、だれ一人、この商人を見向いて見ようとはしなかった。 それでも、この男は、あたかも自分の前に少なくも五、六人の顧客を控えてでもいるような意気込みでしゃべっていた。 北西の風は道路の砂塵(さじん)をこの簡単な「店」の上にまともに吹きつけていた。 この男の心持ちを想像しようとしてみたができなかった。 しかし、めったに人の評価してくれない、あるいは見てもくれない文章をかいたり絵をかいたりするのも、考えてみれば、やはりこの道路商人のひとり言と同じようなものである。 (大正十年十二月号、渋柿)
(大正十年十二月号、渋柿)
寅彦は「渋柿」の巻頭に毎月、一文を寄せていたのであるが…
この巻頭の寅彦の文も「読む人」がなければ詰らないという。
それはじつに、誰も寄りつかない路上の売人のようで侘しい。
寅彦はそのようなことを思いながら人前に立っていたようだ。
寅彦の肩書きに寄ってきた東大生や読者は話を真剣に聞かない。
寅彦の講義を聞いている振りの東大生は、笛吹けど踊らずです。
寅彦の「柿の種」を飾り代りに持っている者は中身が全くない。
そんなことを感じていたら、寅彦でなくとも詰まらないだろう。
現にインターネットで寅彦を読んでいる者は何人いるだろうか。
即ち、ネットで中身ある論評がどれだけ寄せられたかという事。
事実、寺田寅彦をマトモに論じたモノは殆んどないようである。
それなら、寺田寅彦は何と無意味な人生を過したのであろうか。
私がここに真剣に論じることで、寺田寅彦を意味づけてはいる。
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