◇出版社に顔が利く人らしいけど、『柿の種』には傍若無人を言いたい放題に書いてないか。


(引用文)
鳥や魚のように、自分の眼が頭の両側についていて、右の眼で見る景色と、 左の眼で見る景色と別々にまるでちがっていたら、この世界がどんなに見えるか、 そうしてわれわれの世界観人生観がどうなるか。…… いくら骨を折って考えてみても、こればかりは想像がつかない。 鳥や魚になってしまわなければこれはわからない。 (大正十年四月、渋柿)



寺田寅彦氏の年表を繰ってみた。

1878(明治11)年〜1935(昭和10)年、物理学者となっている。

物理学者は科学者であり、自然を観察するのは得意でしょう。

そうすると、1921(大正10)年に寅彦は数え年の44歳である。

もっと詳しく繰っていくと、士族の長男として生まれている。

22歳で東大入学、同大学院、講師になり 理学博士号を取得。

東大教授を皮切りに研究に従事しつつ生涯を送ったようです。

夏目漱石との繋がりで「俳句」を詠み、正岡子規門に入った。

優秀な寺田寅彦はホトトギスでも別格の扱いだったとされる。


なるほど、かほど優秀な人物なら文にも隙は有るまいと思う。

それならこの文は、読み手のレベルに合せてくれたのだろう。


右目と左目で別々の景色を見て過したら世界はどう見えるか。

いくら骨を折って考えても想像もつかないとは、然りご尤も。

『渋柿』誌、巻頭で嘆いている様が2009年の世に伝わった。

科学者の端くれなら、生徒は実験して見たら好いだけのこと。

寺田寅彦は東大生に授業を教えて、こんな悩みを抱えたのか…

出来の悪い生徒が寺田寅彦の優秀さに泥を塗る羽目になった。

授業は先生が生徒の代りに受けてやる訳にはいかないのです。

お前ら「鳥や魚になって生まれ変ってこい」の気持ちかな。
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