
花田コウキ
福岡県出身
「天籟堂(てんらいどう)」主人
高校から大学にかけて数多くのイヴェント、ライブに参加。
大学卒業後「ミューズ音学院」に入学、演奏法と基礎理論を学ぶ。
ここ10年くらいの主な活動
1997年 舞踏ライブ「原郷」 音楽監督
1999年、2000年 久留米アートラリー参加
2000年 福島泰樹 短歌絶叫「ダンス・デカダン」 音楽
2003年 福岡アジア美術館 「第5回アーティスト・イン・レジデンスの成果展 パート2」 ハヌラ・ホセア氏とコラボレーション
with 山口千春 「prima materia」 2001〜2002年 他
with田崎ちょこ 「デュオ・ショコラ」 2003年〜2005年 他
with峰尾かおり 「耳と指」2007年 他
グループ:「plug in」、「Trio Grosso」、「monstermovie」、
「オンゴロ」他
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その11
大耳に関する話
数回にわたって能楽の発生にまつわる話をしてきたが、どうも内容が拡がる一方で簡単にはまとまりそうもない。そこで、今夜はちょっとお休みしてお茶でも飲みながら軽い話を一つ。
「大耳」に関する話。
この機関紙は「大耳だより」という名前だが、さて「大耳」とは何だろう?英語ではOH!mimiって綴っているが、単純に考えてやっぱり「大きな耳」のことでしょう。 名付けた人もあまり深く考えていなかったように感じるこの名前は、ただし、少しばかり歴史をさかのぼると意外とおもしろいことになってくる。
縄文時代から弥生時代に移り変わる頃、日本列島では中国江南地方から渡来した「南方渡来種族」が大きな勢力を持っていたが、その後、朝鮮半島を経由してやってきた「北方渡来種族」が各地で抗争を繰り広げながら勢力を拡大し、やがて「天孫族」となり古代日本を支配した。ただし、北方系の種族は政治的に支配はしたが文化面では逆に南方系の影響を徐々に受け、やがて南方系に北方系の混じった独特の日本文化が形作られていった、ということだが、この「南方系」文化に「大耳」が関係しているのだ。
「南方渡来種族」とはいわゆる「海人族」だが、出身地の中国揚子江沿岸から海南島にかけての海人族は大きな耳輪をさげる風習を持っていた。この耳輪を下げる風習については「魏志倭人伝」に「倭」の習俗としておもしろい記事がある。この記事によると「倭人」は擔耳(たんじ)という風習を持っていた。擔耳とは「耳を頭にのせる」と言う意味で、倭人は海南島の海人族のように大きな耳輪をしていたので、労働するときなど耳輪が邪魔になるときは頭に耳(耳輪)をのせていたということだ。「魏志倭人伝」の編者にとって倭人の「大きな耳」がすごく印象深かったのだろう。
「大きな耳」かどうかはともかくとして、「耳族」が古代日本にはいた。この一族は名前に「ミ」または「ミミ」という表記を持ち「古事記」にも多数登場する。代表的なところでは天孫降臨の段で有名な「アメノオシホ・ミミ」や「ワタツ・ミ」、「オオヤマツ・ミ」「ヒコホホデ・ミ」等々あげたらきりがない。「アズ・ミ」もそうだ。これらは皆、南方渡来系ということになる。
ところで、南方渡来系=海人族ってさきほどから使っているが、海人族のイメージを間違えてはいけない。「ミミ族=海人族」といっても単に「海で漁をする種族」といった素朴なものではない。彼ら海人族は当時の最先端技術である「水田耕作技術」を持ち、土木工事に秀で、また、明らかに「鍛冶技術(金属精錬技術)」を有していた。つまり、当時の「テクノクラート」の一団だったのだ。彼らの技術・文化がその後の日本に与えた影響は計りしれない。その日本文化を作り上げていった「耳族」の一支流と思ったら、「大耳」もなんとも良い名前ではないか?ちなみに、先の「アメノオシホ・ミミ」について本居宣長は「天大大耳」という漢字を当てている。
もう一つ番外編。「肥前国風土記」によれば、五島に「大耳」という長がいたらしい。「五島」出身の「大耳族」は誰だ?さらに、信州諏訪下社の大祝(おおほうり)金刺氏の一族に「大耳」氏がいるぞ。・・・今夜はここまで。
2001年3月1日 「大耳だより」第24号掲載
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その12
後ろ戸の神・・・芸能の守護神から肝を食う鬼神まで、その4
闇の中に潜む「摩多羅神」の姿とこの神を信奉した猿楽のものたちについて少しまとめてみたい。
以前にもお話したが芸能がこの世で受け入れられる最大の理由は、現世での生活を「活性化」するチカラが芸能にあるからである。古来よりわが国では一定期間が過ぎると全てをいったん白紙に戻してまた新たにやり直すことをおこなった。この、「更新」するチカラは大晦日から正月にかけての風俗として未だに残っている。例えば、家の出入り口に「松飾り」をしたり、台所、トイレなどに正月の間だけ供え物をしたりする。これは、「家の神」に供え物をしているのだ。
「家の神」はきわめて古くから祀られてきた神で、天照大神のような広く一般に祀られる、「普遍的」な神に対して、土着のその家、その土地特有の「個別、具体的」な神である。いいかえれば、天照大神は「表向きの神」であるならば家の神は「裏側の神」といえよう。この「裏側」の神は精霊的な要素が強い。例えば、台所の神は「火の神」、トイレの神は「水の神」といった具合にそれぞれ固有の特徴を持っている。また、これらの神は二面性を持っているのも注目される。それはすなわち、否定的側面と肯定的側面だ。否定的側面としては、穢れに関連している、祟りやすく非常に恐ろしい、醜い、気むずかしい、身体的欠陥を持っている、けち等であり、一方の肯定的側面としては、幸福をもたらしてくれる、出産、結婚、願いを叶えてくれる、富をもたらしてくれる、命を延ばしてくれる等々である。以上でわかるように「裏側」の神は「祟る」けれども「幸福もくれる」という、まことにやっかいな神なのである。そして、この神の捉え方こそ古来よりわたしたちが持っていた「神」の原初的なイメージなのだ。
「裏側」の「ウラ」とは「みえず、あらわれない」という意味で、物事が確定しない状態を指す。この不確定の状態、状況こそ、価値を逆転させたり(例えば、貧しいものに黄金がもたらされる)、新しいものを生み出す(例えば、子宝が授かる)「場」を創り出すのだ。
異形の神「摩多羅神」もまったくわが国古来の「裏側の神」すなわち「家の神」の特徴を持っており、猿楽の者たちが後ろ戸で演じた当時、すでに抽象的なイメージを持ち始めた「表向き」の神とはことなり、「異界からの」圧倒的な価値転換のチカラを未だに持っていて、さまざまな現実的な願いを聞き届けてくれる神であったのだろう。
この神を信奉した猿楽のものたちは、古来より神事をつかさどっていた者の末裔であるにもかかわらず、当時、地位的にも経済的にも社会の下層に追いやられていた。猿楽のものたちは普通の生活を送る人々からみれば「異形のもの」であり、日常の生活にとって必要でないもの、むしろ、排除したい輩であったろう。それは「生産」をしないものに対する生産するものからの「異物」の感覚であり、排除の感覚である。実際に、猿楽のものたちはかなり差別されていたに違いない。その彼らが、現実社会が天変地異や戦乱、飢饉等で不安定になってくるにつれて、彼らが持っていた異界とのパイプを通して「裏側の神」の持っている価値転換のチカラ、すなわちこの現実世界に肯定的側面をもたらしてくれることを期待され、特定の日に、特定の場所で「神」を演ずることを認められていったのではないか。その場に参加することで、人々は目の前で猿楽のものが演ずる「もの」と共鳴することで、さまざまな穢れがついてチカラの弱くなった「たま」を更新させ(たまふりさせ)、生活を活性化することを願ったのではないか。
これが、現在の「能」でほとんど隠されてしまった「たまふり」としての「芸能」の姿である。振り返ってみれば、今この時代に必要なのは「たましずめ」ではなく「たまふり」、生命の活性化であろう。価値転換のチカラを秘めた摩多羅神を再び召喚するものたちはいずこにいるのだろうか?今夜はここまで。
2001年6月1日 「大耳だより」第25号掲載
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その13
漢字の図像学のすすめ
漢字は言うまでもなく表意文字だ。起源はざっと数千年はさかのぼり、現存する文字の中でもまれにみる寿命の長さだが、この今何気なく使っている漢字の、文字としての成り立ちを探るととても不気味でおもしろいものが多い。今夜はこの漢字の図像学の一端を紹介したい。なお、この稿は多くを碩学白川静に負っていることをあらかじめ断っておきたい。もし、興味がわいたらぜひ白川翁の著書を開くことを勧める。
たとえば「白」という文字はどうだろう。「白」という字はどうしてこの形になったのか?白という字は「しゃれこうべ」の図像なのだ。野ざらしになって白骨化した頭が「白」だ。つまり「白色」は「しゃれこうべ」の白さをいう。洗剤のコマーシャルの「白色」信仰の不気味さを感じないか?
「道」はどうか?これはある程度不気味さを感じている人がいるかもしれない。だって、「首」がついているから・・。古来、「みち」はおそろしいものだった。自分達の住んでいる「安全」なこの世界から境界を越えて世界の外へ延びる道は、「異神」の支配する領域と人々は感じていた。そこはどのような呪詛がかけられているかも知れない。もし、呪詛がかけられていたら必ずその災いを受けてしまう。そこで、道路には呪詛を防ぐ様々な呪禁を加える必要があった。その呪禁の一つが「道」である。「道」は首を埋めて呪禁を施した道のことである。埋めた首は異族の首だ。「首」については以前少しお話ししたことを思い出してほしい。首狩は昔も今も非常に呪的な行為なのだ。
ホラー映画の映像をはるかに上回っているイメージの文字もある。「京」という文字だ。今はこの文字からは「都」のイメージしか出てこないが、実はこの文字の原義は「京観」なのだ。「京観」って何だろう?「京観」は「凱旋門」のことだ。「凱旋門」っていってもパリのあんなものではない。本物の「凱旋門」は戦闘のあと勝利した側が敵の屍(しかばね)を集めて築く門のことだ。「京」とは敵の遺棄死体で出来た呪的な「門」であり、それを軍の駐屯地に築き、やがてそこが中心地となり「都」となっていくのだ。いったいどんな門だったか見てみたい気もするが、実際はこの世の終わりのような光景だったことだろう。
少し不気味なものが続いたので最後に一つ。「若」という字はどうか?今となっては「若い」というイメージしか出てこないがこの文字の原像もおもしろい。まず、「くさかんむり」だ。若いということは草花に関係があるのか・・?全然違う。これは草花ではなく「髪」なのだ。それも、「長い髪を振り乱している状態」だ。この文字には「長い髪を持った」若い女性のイメージが塗りこめられている。次に、「くさかんむり」の下の「右」は「ナ」と「口」にわかれる。まず、「ナ」は「手を上に伸ばしている」図像だ。「口」は「神の言葉を入れる容器」を表わしている。つまり、「若」という字は「若い巫女が神懸かりになり、天上の神へ手をさしのべ、髪を振り乱しながら祈りの言葉を叫んでいる」図像なのだ。巫女の祈りはやがて聞き届けられ、神の言葉は容器に収まり、祝詞となって人々の元へと届けられる。たった一文字からこれだけの世界が現出するなんて、まさにオカルティックな文化だ。今夜はここまで。
2001年8月1日 「大耳だより」第26号掲載
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その14
安倍清明もどき
最近陰陽道が流行しているが、日常生活では意識されないが昔も今も私たちのまわりにはいたるところに陰陽五行説にもとづく様々な仕掛けがあり、それに気がつけばとても面白い。以下、簡単に紹介しよう。下の図はよく見たことがある陰陽五行説に基づく方位図だ。これだけ見てもなにやら理解しがたいし面白くないが、たとえば家の中の納戸や倉が、しばしば西北(戌亥=いぬい)の方角にあるのはなぜかというような問題になってくると興味がわいてくる。この場合、いわゆる戌亥の方向の信仰が「金」気・つまり黄金=富のもたらされる方向への進行であることが分かる。また、古来からの伝承も内容が立体的に見えてくる。たとえば、鍛冶師の伝承する「鉄山秘書」に鍛冶師の神である金屋子神(かなやこがみ)は「申=さる」の刻に降臨し、白鷺にのって西の方角へ移りそこで「四つ目の犬」に吠えられた、とある。おわかりのように「申」「白」「鳥=酉」「犬=戌」全て「金」気であり「金=金属」の神である金屋子神の属性をあらわしているのだ。なお、「四つ目」とは目の上の毛が目のように見える犬のことで西の方角と相まって「死」を象徴し、物語もこのあと神が死んでしまいまた復活するというふうに続いていく。「四つ目の犬」は見たことがあるかな?他にも、桃太郎の家来の「猿」「雉=鳥」「犬」の意味や「白い鳥」の伝承の意味(豊後風土記に北から来た白い鳥が中臣の村に来て芋草に変わり、花と葉が冬も栄えたとある。芋は鋳物で白い鳥は鉄霊であり、いずれも金気に関連する)も見えてくる。雷神は「火の神」で全身真っ赤であるし、水神は顔面に墨を黒く塗って現れる。等々いっぱいある。特に伝説、おとぎ話は裏読みがたくさん出来、全く違った内容に驚くことが多いと思う。また、この仕掛けを十分に理解すれば現代の安倍清明になれるかも。図を眺めながらやってみてはいかがかな?今夜はここまで。

2001年10月1日 「大耳だより」第27号掲載
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その15
みあれ考
1985年前後、福岡の現代音楽の作曲家集団と関わりを持っていた時期がある。その集団のコンサートに一度だけ作品を出典したことがあり、その作品の題名が「みあれ」であった。「みあれ」とは「神があらわれる」という意味だが、その作品紹介で書いた文章は今でもわたしの奥底を流れる「あるもの」をあらわしている。ここに再掲したい。***
『ダニー・ディビス氏(注−サン・ラ・オーケストラのメンバーでちょうどこの年、福岡は九州大学医学部の知る人ぞ知る「ドグラマグラ教室」で、風巻隆とデュオコンサートを行った)と一緒に酒を飲んでいるとき、音楽について氏は面白い話をしてくれた。氏によれば、すべての存在は石も、木も草花も、人も風も大地も宇宙も「震動」している。存在はそれが持つ固有の震動によって特定の姿を保つ。意識や感情も同様に震動している、が、振動数が高すぎて、石や木や人のように実体をみることはできない。音楽は、それらの震動にショックを与え、和音や倍音となったり、あるいは不協和音となることで、存在に調和をもたらしたり、あるいは不調和を与えたりもする、というような内容だった。するとわたしは思うのだ。石のための(いや、正確には「石」という固体を現出させるための、あるいは「石」という存在を調和させるための)音楽とはどんな音楽なんだろう。あるいは、木のための、草花のための、大地のための、宇宙、意識、思考、神・・・。
時は平安時代、ところは都をみおろす比叡山。京の都を鎮めたもう比叡の山に大蛇が住み、それがために山は鎮まらず、ひいては都も落ち着かず疫病が広まる気配。伝教大師はこれを憂慮し、筑前は大宰府に住む一盲僧に使いを出した。盲僧(後の玄清法印(げんせいほういん)・盲僧琵琶の開祖)は琵琶を持って比叡山に赴き、仔細を聞いた後、一人で山に入る。適当な場所に腰を落ち着け、しばし瞑想の後に僧は不思議な曲を奏し始めた。このとき演奏されたのが今に残る「地神陀羅尼経(じしんだらにきょう)」である。僧が奏でるにつれ大蛇の動きは収まり、やがて都の疫病も鎮まったと言い伝えられている。
先ほどのダニーの言葉によれば、玄清法印の奏する琵琶と発せられる陀羅尼の経文はその土地に震動を伝え、その震動が今まで不調和だった土地の震動の調和を回復させ、そして都をも浄化してしまったのではないだろうか。音楽が石や木や草花、雲や風や川、そして都に調和をもたらせたのである。
「みあれ」とは「神があらわれる」という意味である。神を「調和の究極の姿」とすれば、どんな小さな存在でも、そのひずみを直して、そのものの本来の姿に戻してあげれば、そこに真の存在である「小さき神」が「みあれ」することだろう。』***
以上だが、小さき神の「みあれ」はなぜかわたしの心に強いイメージをかき立てる。この「小さきもの」についてはまた別の機会に語ってみたい。 なお、音による宇宙の調和については、ピュタゴラスを引き合いに出すまでもなく、古来より「大いなる神秘」に属することだ。また、グルジェフのハーモニー理論もなかなかおもしろいので興味があれば調べてみてはいかがか?今夜はここまで。
2001年12月1日 「大耳だより」第28号掲載
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その16
都市の神々 前編(みあれ考二)
都市は不思議だ。現代最先端の建築工法を持って加速度的に成長を続ける都市において、構造物は垂直方向にぐんぐんと伸び、また、古い建築物は都市再開発によってどんどんと取り壊され、ひとつにまとめられ、あらたに巨大な複合建築物へと生まれ変わっていく。
このように変化していく都市の中でわたしの心を捉えるものがある。それは、拡大していく都市の中で次第にその存在が明らかになってきた「闇」である。
高層ビルの「林立」する都市中央部の舗道を歩きながら、ふと、空を仰いでみる。視野の何分の一かを多角的に切り取られた青空が占め、それ以外の大部分は地上からそびえたつ「ほの昏い」建物がシルエットとして浮かび上がっている。狭い青空を見上げ、視点を移してあたりを見回すと、陽はまだ高いのに、はや薄暗くなるなかを人々が足早に通り過ぎていく。何かが感じられる、が、しかしそれはゆらめいて心の中でかたちを結ばない。手近のビルに入る。柔らかな照明によって光あふれる建物内をぶらぶら歩いていると、突然に、従業員専用通路、あるいは非常階段といったものに出くわすことがある。こういう場所は節電のせいか照明を少なくしたり、落としたりしているが、明るい「こちら側」に立ち、人気のない薄暗い廊下のぼんやりとした先の方や、階段の暗い踊り場を眺めるとき、先ほどゆらめいて消えた何かが心の奥底から「かたち」をとってわき上がってくるのを感じる。それは「おそれ」の感覚だ。
わたしたちの築いてきた歴史は、ある面において何かを「ひらく」(開く、拓く)ことの積み重ねだったように思われる。いにしえの代、森を切り開いて畑作地となして以来、現代の宅地造成まで続く開発の歴史は、また、ある意味では「闇」を切り開き「明」となしていく作業であった。
弥生より遥か以前、わたしたちは森に生きていた。この森の中でわたしたちの祖先は生まれ、生き、死んでいった。森はわたしたちにすべてを与え、そしてすべてを奪っていった。わたしたちの全てであった森。この森の昏い空間の、さらに深い「闇」の中に、わたしたちの祖先は「あるもの」の息づいているのを感じていた。そのものは決して明るい陽光の中に出ては来ないが、昼なお薄暗い森の中に確かに存在していた。やがて、陽が落ち、昼間のにぎやかしい世界が退くと、かわって「夜」の世界から「闇」がひたひたと押し寄せ、すべてのものを包んでいくのを人々は感じた。そして、「あるもの」はそのなかにいた。
「闇」はたんに光がない状態ではない。「闇」は光の世界とはまったく別の存在が息づく独立した世界であった。「闇」はおそろしい。この「おそれ」はほとんど生理的、本能的な感覚だ。夜のこの迫り来る「闇」に向かって、わたしたちの祖先は火を焚き、たいまつをかかげ一時的な「明」をつくっていったのだろう。
やがて、もっと効率よく「昼間」を現出するため電灯が発明され、夜から「闇」は消えていった。「闇」を征服した輝かしい歴史がそこにはある。が、この輝きはわたしたちから何か大きなものを失わせたのではないだろうか?森の「昏い」世界は単に否定され捨てられる世界ではなく、そこにはあの「神々」が、わたしたちが「明かり」を手にする代償に失ったわたしたちの「たましひ」のよりどころである「神々」が活きているのだった。
(明夜に続く)
2002年2月1日 「大耳だより」第29号掲載
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その17
都市の神々 後編(みあれ考二)
昔、山道を行く旅人はなるべく陽のあるうちに森を抜けるように急いだという。これは、先を急ぐというよりも、昼なお暗い森の、そのほの昏い空間から少しでも早く、明かりのあるうちに抜けようとする気持ちにせき立てられたためであるように思われる。「森」は旅人にとって日常から隔絶した非日常的空間であり、「オソル」べき世界だった。この森の中で旅人はしばしば奇異な音を耳にし、また、得体の知れない何かの姿をみ、異様な気配を身近に感じた。そして、これらの現象を旅人に感じさせる原動力は、森の内包する「闇の力」ではないかと思う。
太古の昔、人々は、遥か頭上にそびえ立ち太陽の光を遮る照葉樹林の森の、その薄暗さのなかでどのような生活をしたのであろう。おそらく森の中で人々は「日常的」に様々な精霊を目のあたりにし、様々な神々と出会ったことだろう。
神々は人々とともに森の中に生き活動し、あるときは人々のほんの身近に息を潜め、あるときは堂々と御姿をあらわし、ひとびとに御言を告げたことであろう。おそろしい神、やさしい神、怒れる神、イタズラな神、喜びをあたえる神、そして死をあたえる神・・・まさに八百万の神々が森の中には活きていた。縄文から弥生へ、そして歴史時代へ移るにつれ人々は次第に森から出ていき、陽のあたるひらけた地で生活するようになった。それにつられて神々も、森とともに人々の日常生活の場から遠くなり、別の世界の存在となっていく。
青空の下、「明」の世界に住む人々は、もはや神を目のあたりにすることは出来ない。ただ、先祖の「森の時代」の記憶が語り継がれるにとどまり、神と人との交歓も儀礼化していったのである。
しかし、今ここに、現代の最先端技術の集合体である都市の、そのまっただなかに神々は再び息づき始めた。巨大な広葉樹林のように高層ビルは伸び、空に向かって開いていた空間を閉じていく。ビルは陽光を遮断し、内部に「闇」をつくっていく。太古の森がよみがえりつつある、「都市」というかたちを取って。そして、神社の奥殿のほんのわずかな「闇」の中に押し込められていた神々がこの新しい森のなかで、少しずつ「みあれ」していくのを感じる。とても「おそろしく」て、とても「なつかしい」神々が。
非常灯の赤いランプのともる薄暗い廊下や階段で、現代の神々はいったい何を私たちに語るのであろうか。今夜はここまで。
2002年4月1日 「大耳だより」第30号掲載
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その18
音楽って何?
言うまでもなく、私たちは日常的に音楽に浸りこんでいる。「音の洪水」なんて、もう誰も言わないほど深く生活に入り込んでいる音楽について、ずいぶん以前になるがシュタイナーという人がちょっとおもしろいことを語っている。音楽やっている人はもちろん、聞くだけの人も「音の神秘」に触れてみるのはおもしろいかも、と思い、彼の音楽理論の中で特に「音程」について、コメントを入れながらごく簡単に紹介してみたい。シュタイナー知らない人は・・本屋で尋ねて。
まず、シュタイナーは現代という時代の特徴を、「現代は、音楽の感性を受け取るスタイルの変わり目の時代だ」と述べている。ひとつのスタイルはすでにあり、もうひとつのスタイルはまだない。音程に関していえば、現代で高度に達成されているのは3度の感覚である。音楽的感性において、過去主流であった5度感覚から3度感覚への移行が比較的最近なされた。3度感覚は新しいものなのである。現在、オクターブ(8度)感覚はまだ存在していない。この感覚は将来、現れる。さて、私たちは7度までの音の感覚を通常区別できる。これが一つのスタイルである。だから、街の中に渦巻く音楽のメロディーを聴き取れるのだが、シュタイナーは1度と7度の違いを感じることとオクターブを感じるのはまったく異なった体験だと述べている。私たちはオクターブを1度と区別することができない。オクターブは1度と重なってしまい単に同じ音の高い音としか感じられない。このオクターブの感覚はまだ形成されておらず将来達成されるものである。そして将来、オクターブ感覚は音楽体験を非常に深めることになる、と彼は述べている。
***ここで語っていることは実はすごく古くから秘密にされてきたことで、ピタゴラス学派からロバート・フラッドまで貫く宇宙を構成する音楽理論だ。ここからいわゆる「天体の音楽」という発想も出てくる。ただし、8度の音程に関してのこういう言い方はシュタイナー独自だと思う。私なんかはD・ボウイやスライ&Fストーンの地声とファルセットの重ね方が怪しいと思うが考え過ぎか?また、彼は次のようにも語っている。
「7度、6度、5度という3つの段階を人間は忘我の状態で聴いた。4度において、人間は自分の中に入る。3度において、人間は自分の中にいるということがわかる。オクターブの音楽的意味を、人間は将来になってはじめて完全に体験することになる。今日の人間は、2度の力強い体験にまだ達していない。それは、未来に可能になるものである。さらに人間が強く内面化すると、2度が感受され、最終的には個々の音が感受されるようになる。5度は真正なイマジネーション体験だ。5度を正しく体験する人は、なにが主観的にイマジネーションであるかを、すでに知っている。6度を体験する人は、なにがインスピレーション(霊感?)かを知っている。7度を体験する人は、なにがイントゥイション(本覚?)なのかを知るであろう。7度体験における魂の状態は、霊視的なものだ。ゆえに、古代の秘境の学院で受け継がれている伝統の中で、霊視的認識は音楽的認識と名づけられたのだ。
***これは難しい。バッハからブルックナーへと続く霊的系統の根幹に触れているが、簡単に言い表す言葉が見つからない。ともかく、7度から2度まで下降していく音程について畏るべき見解が述べられている。まさに、秘中の秘なのだが、こんなことが平気で公にされている現代ってすごいなぁとつくづく感じてしまう。
ところで、わが国はどうなんだ、ということで最後に武満徹の言葉を一つ。「日本人ほど一つの音を大事にしているところはないんです。東洋でも、ほかの国の音楽の場合は、音と音をつなげていくということのほうに独特なおもしろみがあるんだけれども、日本の場合は一つ一つの音というのを非常に大事にする。一つの音の内側を触るということが音楽を聴くときにいちばん解放された聴き方であるというところがあるわけです。」う〜ん、やっぱり武満、最高。
2002年6月1日 「大耳だより」第31号掲載
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その19
ことば、歌、音楽
昨晩は、シュタイナー博士に煙に巻かれかけ困ったが、今夜もまた先生の語りから始めよう。曰く・・
『人類の歴史の中で、言語は本来、歌から発生したものです。歴史以前の時代にさかのぼるにしたがって、言語は歌に似ていきます。はるか遠く過去にさかのぼると、歌と言語の区別はなく、両者はひとつのものでした。人間の原言語についてはよく語られますが、「人間の原言語は原歌謡であった」ということもできます。』
**言語といおうか歌といおうかちょっと判断つきかねる原型みたいなものは、「大耳の夕べ」では、太古の昔ではなくリアルタイムで体験できる。「夕べ」は原言語=原歌謡の飛び交う「まほろば」か?それとも、超アナログのカラオケ社交場か?もちろん、言霊の幸(さきわ)う国だからこそ、のことではあろうが・・。次はいよいよ先生が核心をつく。**
『音楽の観点から見ると、人体は楽器なのです。母音は、人体という楽器の上に演奏される魂です。人間の話す言葉の中に子音と母音を追っていくと、おのおのの言語表現の中で人間が自己を表現するのがわかります。人間の魂は、人体の子音的構成の上に母音的に躍動します』**さらに続けて**
『人間から子音を取り出すと、彫塑(ちょうそ・・・彫刻と塑像)的に形成しなければならない形態が発生します。母音を人間から取り出すと、歌わねばならない音楽、歌が発生します。このように、地上に立つ人間は二つの宇宙芸術の成果なのです。一方から、彫塑的な宇宙芸術が到来し、もう一方から、歌唱的、音楽的な宇宙芸術が到来します。二重に、霊的諸存在が活動を結合します。ある存在が楽器を構築し、べつの存在がその楽器で演奏します。』
**単に言霊(ここでいうところの母音)の発出にとどまらず言霊を発する人体(物質)に言及した先生はすごい。東洋の弱点を超克していく西洋の叡智だ。ついでに先生はこんなことも語っている。
呼吸と音楽について**
『呼吸プロセスは、脳水の絶えざる上昇、下降を促す。脳水のリズミカルな動きと、表象器官との絶えざる共同がおこなわれているのです。この内的な体験が、人が考えているよりも、音楽に関連しているのです。呼吸が頭、神経−感覚組織に接近し、共同することによって、メロディーの要素が現れます。律動組織が四肢組織に接近することによって、リズムの要素が現れます。音楽的形態は人間全体、すなわち思考、感情、意志の総合的共鳴に相応します。メロディーは表象に相応する。ハーモニーは感情に相応する。リズムは意志に相応する。音の形態は人間全体に相応する』
**ヒットラーと敵対したシュタイナー博士の鋭い指摘だ。さらに、進んで次のように語る博士は、もしかして大耳のことを知っていたのでは?と思いたくなるほどだ。すなわち、
『古代には、歌すなわち音楽と、吟詠あるいは朗唱と、律動的な動きである舞踏は、たがいにひとつに結ばれていました。それはひとつのものとして共鳴していたのです。』
**もちろん、オイリュトミーへと繋がっていく思惟なんだけれど、図らずも「夕べ」の「共鳴」(わたしたちの言葉でいえば共振か?)に強い精神的根拠を提示してくれているようで、博士、一度「夕べ」に参加されませんか?と誘ってみたくなるような気持ちになる言葉だ。 今夜はここまで
2002年8月1日 「大耳だより」第32号掲載
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その20
目にまつわる話
「見る」という字は「人の上に大きな目」を描く。この目はなんだろうか?今夜は「目」と「見る」ことについて思いつくまま語ろう。
「目」といえば銅鐸の文様で「邪視文様」がある。銅鐸の表面に「二つの目」が描かれているんだが、この目はなにか?これは中国の伝説上の巨人「蚩尤(しゆう)」の眼だ。当時の人々にとって蚩尤の眼には悪霊を撃退する呪力があると信じられていた。銅鐸とは呪術的な道具であり、特に、「邪視文様」を彫った銅鐸は境界外からの進入を防ぐために使われたのであろう。 確かに、蚩尤の眼を持つ銅鐸は村落の境界線に埋められていたらしい。 この「悪霊を撃退する眼の呪力」が「見る」という字の「大きな目」の意味なのだ。
「見るチカラ」は日本の神話でも描かれている。天孫降臨の際、ニニギの命一行を天上のわかれ道のところで待ち受けていたのが「サルタビコの神」だ。この神を日本書紀では、「目勝つ(まかつ)」神と表わし、自分と相対するものをその強い眼力で屈服させてしまう「邪眼」の持ち主として描いている。「目勝つ」とは目を見開いてにらむ行為である。
「目を見開いてにらむ」といえば、いにしえの時代の戦闘を思い出す。古代の戦闘ではそれぞれの部族の巫女が先陣を切って相対し、「にらみ合う」ことから始まる。つまり、お互いに邪眼の呪力を掛け合うのだ。そこでひるめばその後の戦闘はすでに勝敗が決したも同然で、負けた部族の巫女は首を切り落とされた。しかし、単ににらむだけで相手が戦意喪失するなんてことがあるんだろうか?って皆、思うだろう。「目勝つ」とはどういうものか?
「赫」という字にヒントがある。目を見開いた状態のことを古語では「赫赫(かくかく、かか)」と表わす。かっと目を開くと毛細血管が充血し赤くなっていくので、色の赤を重ね赫赫と言うのかというとそうではなく、この字は冶金に関連している。金属精錬の際、熔けた金属は光を発するがその輝きを「赫」と呼んでいる。色としては赤よりも朱に近い。が、色だけではない。「赫」は輝いていなければならない。つまり、「目勝つ」とは単に目を見開いてにらむだけではなく、目から「赫赫」と熔けた金属が発するような輝きを発することなのだ。こんな目でみられたら私たちでも気絶してしまう。
「雄略天皇」といえば歴代天皇のうちでも最も戦闘的な激しい気性の持ち主だが、天皇が小子部連スガル(チイサコベムラジ)に三諸岳(みもろのおか)の神を捉えて来いと命じた話がある。神をつかまえろという、雄略帝ならではのとんでもない命令だが、スガルはなんと神を捉えて天皇の前に持参した。この神は蛇体で雷(イカヅチ)の神であったが、天皇の前で「かみひかりひろめき」(稲妻のようにギラギラと光り輝き)、「目精赫赫く(まなこかかやく)」というふうに姿を現した。この光景にさしもの天皇も畏れ、「目を蔽いて見たまわずして、殿中にかくれたまひぬ」と、ある。雄略帝も怖気づいた「赫赫」の輝きが少しはイメージできただろうか?
さて、この輝く目の呪力だが、実は映画、TV等々で繰り返し使われている。古くは吸血鬼の闇の中で輝く目、題名もそのまま「光る目」や、多くの特撮もので目から殺人光線を出す怪人、宇宙人、怪獣たち。そして悪の侵入者に対抗して目から光線を出す正義の味方。皆、古代よりの「目の呪力合戦」を再現しているのだ。
もちろん、古代よりの儀式が残っている「相撲」における、力士が立会いで「にらむ」行為はこの呪力合戦そのものだ。また、歌舞伎のなかでも「にらみ」は重要な要素として残っている。
ところで、先ほどの日本神話の中で「目勝つ」サルタビコを睨み返した神がいる。そう、わが芸能の祖神「アメノウズメの命」だ。彼女のひとにらみでサルタビコは道を譲った。歌舞音曲の本質である「たましずめ」の動的な場面を象徴する物語だ。
「目にまつわる」ものでは他にゴルゴン三姉妹の人を石に化すまなざし、シュメールの目を見開いた像、バリ島の仮面、ヒットラーの邪眼、万葉集の国見の歌等、世界各地にたくさんのことがあるが、そろそろ紙面も尽きた。最後に、香春岳に祀られている「大きな目」の女神とは?・・今夜はここまで。
2002年10月1日 「大耳だより」第33号掲載
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