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19年11月6日 合同分科会 議事録7

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○品川委員 タイムマネジメントが悪いので頑張ります。お手元に膨大な資料がございますが、これは読んでいただければ一発で分かるように、私がいろいろと申し上げましたことを京都市教育委員会の皆さんがいろいろなところから裏づけの情報などを集めてくださったうえで作ってくださいました。お忙しいとは存じますが、ぜひお目とおしいただきとうございます。

 簡単にですが、どうしてこういった提案をさせていただいたのかご説明します。

 そもそも再生会議のことを打診されたときに、私は自分がこれまで取材してきた何百人という子供たちのことを思い出しました。その中に、私に決定打を与えた数人の子供たちがいました。ある青年はこういうことを言ったんですね。品川さん、日本には僕の生きる場所はないんです。僕はハリウッドでCGクリエーターになることを目指して留学しますと。その青年は、小学校4年生のときに読み書きのLDだということが分かり、中学を卒業するまで不登校でした。保護者にも理解があり、専門家も関わりました。でも彼は学校に行けばテストで点がとれない。それで彼はあるときから自分で登校を拒否し、不登校を選んだわけです。

 本人は不登校時代にインターネットで対戦ゲームを覚えて、見知らぬ大人たちからすごい技術だと褒められることで自信を回復していきます。そしてこの少年は不登校のまま中学校を卒業して、単位制の高校に行くんですね。ところが彼は高校入学時に、唯一褒められたインターネットの世界で生きていくことを決意していたんです。15歳のときですよ。それでゲームデザイナーになるべく高校に通いながら専門学校にも行き、途中からは英会話まで家庭教師について習うんです。その彼が高校卒業にあたって言った言葉が、品川さん、日本には僕の生きる道はないということだったんです。彼はこう言いました。日本では読み書きがしんどいというとかわいそうな子、がんばっているエライ子だという扱いを受けます。でも僕は自分のやるべきことをやっているだけで偉くもないしかわいそうでもない。だけれども、日本社会は僕にかわいそうな子でいることを求める。留学先の学校にI have dyslexia.と言ったら、So What?と言われました。ディスレクシアに応じた教育を提供すればいいだけでしょうと言われたんですね、彼は。日本では、えらいね、頑張っているね、字を書くのがしんどいなら無理しなくていいよと言われ続けてきたわけです。でもこれは一見僕のことを理解しているようで、実はどこか下に見ていることだと、彼は続けます。そして、僕には夢があります。でも、僕が生きている間に日本ではそれはかなわないと思うと言ったんですね。

 私は彼の言葉を聞いて何も言えませんでした。口ではそんなことないよと言いたかったんですが、明らかにそれは現状と違い、彼のようになんらかの器質的な課題を持っている場合だけでなく、家庭内に葛藤があったり、家族が子どもの教育に無関心だったりなど、その子自身にはどうしようもない環境などを抱える子にとっても、日本は生きにくい社会じゃないか。いったん躓いたらなかなか這い上がれない、そんな社会であることは、実は私たちがみんなどこかで気がついているんじゃないかと思っております。だから、彼が私にそういったとき、アメリカやカナダの方が彼の夢を実現するチャンスのある社会だと私は思いました。今、彼は右も左も分からないまま留学して語学学校を卒業し、現地の学校で毎晩深夜まで作品を制作して頑張っています。

 もう一人の少年は宇治少年院の本を書くときに取材した子でした。彼は小学校3年生で九九につまずき、4年生で完全に落ちこぼれるんですね。本人は一生懸命頑張っているんですけれども、どうしても勉強が分からない。先生は家でもっと勉強しなさいと言いますが、家庭は共働きで全くそんな余裕はないです。ある日、担任が言うんですね。子供たちの前で。

 これだけ先生が一生懸命教えているのに、何とか君はちっともできない。それは何とか君の努力が足りないからですよ。努力をしない人間はろくな大人になりませんと。教師に悪意はなかったと信じたいのですが、その一言がきっかけで少年は徹底的にいじめられるようになります。いじめに耐えかねたある日、逆切れするんですね。その切れ方が非常に激しかったので、周囲の子供たちは、これは危ないといって、今度彼を遠まきにするようになる。先生も彼のことを問題児扱いするようになります。結果的に彼は小学校6年生の2学期に、出席停止扱いになって、小学校で出席停止扱いということを皆さんどれだけご理解しているか分かりませんが、小学生に学校に来るなというわけですね。家庭でも居場所がない子供たちはどこに行くか。ご飯も食べられないわけですから、人が集まるところ、この子の場合はコンビニの前でぶらぶらするしかなかったわけです。そこで知り合った人からバイクの盗み方を教えてもらい、どんどん悪いことを覚えていくわけです。

 そのとき引き返そうとか思わなかったのか聞いてみたのですが、どうせだれも自分には興味ないし、こんなん生きていてもしようがないし、何をやったっていいじゃないかと思ったと彼は言っていました。中学1年で万引きで補導されるのですが、迎えにきた教師も保護者も彼には何も言わなかった。それが少年にとって決定打になったと言っていました。ああ、俺なんか何やったってだれもなにもいわへんのやって、それでますます悪いことを覚え、結局、中学時代に少年院に入ります。3月に視察していただいた広島少年院におられた向井義元首席専門官がまだ宇治少年院にいたときのことです。少年は宇治少年院で初めて自分の文字の見え方と他人の文字の見え方に違いがあることを知ります。自分の聞こえ方と他人の聞こえ方が違うことも知るわけです。そこで彼の認知と学習スタイルに応じた的確な指導を受けることによって、彼は16歳のときに初めて苦手だった九九ができるようになり、分数計算が分かるようになります。自分もやればできると分かったその日の晩、彼は一晩中嬉しく涙が止まらなかったと言っていました。何で泣いたかといいますと、自分はばかじゃないということが分かったからだと言っていたんですね。その彼がこういうふうに私に言いました。

 少年院に入る前、どうせバカだし親も先生も自分のことなんかどうでもいいと思っているんだから自分はがんばってまじめに生きてもしようがないと思っていた。でも今は違う。やればできると分かったら、自分はバカじゃないんだとわかったら意欲はもっと出てきます、と。と同時に、実に多くの院生たちが、自分の価値がわかったとき、自分もやればできるんだとわかったとき、自分がこれまでやってきた反社会的な行動を心から反省すると言いました。

 そしてその反省とともに、将来を生きていくという覚悟が備わるんだそうです。別の少年は、自分は少年院の中で生きる夢を見つけました。でも、出院したら同世代の友達には夢がないことがわかった、適当に大学に行って、適当に働ければいいじゃん、今が楽しければいいと言うんですよ、だから僕は少年院を出た後、全く友達と話が合わなくなってしまいました、と。僕たちは宇治少年院で向井先生たちから徹底的に考える訓練を受けました。毎日真剣だったからこそ身についたと思うし、真剣の中から夢が生まれるんです。でも、今の日本には今の僕のいる場所がないんです、とこの少年も言ったんです。もう青年でしたけれども。この人は今、アジアで働こうと、頑張っています。

 こういう子もいました。渋谷で援助交際をしている女の子です。17歳でこの子は2回堕胎しているんですね。友達にはHIVになった子もいると言っていました。ところがご両親は、父親は高級官僚で母親は大学の先生です。彼女自身は都内の有名私学高校の生徒でした。モデルさんみたいにかわいい子でした。かわいいからこそ、学校でさんざんいじめにあったそうです。そのうち、不登校になって学校にも家庭にも居場所がなくなっていきます。非常に聡明な子でした。彼女が私に何と言ったかといったら、学校では個性が大事だと言われるけれども、みんなと同じじゃないと生きていけないのが日本の学校です。親だって、どれだけみんなと同じじゃなきゃだめか、行き詰まるくらい苦しいか分かってくれていない。もちろん先生も分からない。いじめられたことが親に知れた後、親は学校に文句を言いに行きました。そうしたら、それがまたいじめの原因になりました。大人は私たちに頑張れ、いじめに負けるなと言うけれども、もう疲れちゃった。生きていても意味がない。将来の希望って全くないです。20代で死ねればいいと思います。そう言ったんですね。


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2008年01月22日(火) 06:31:55 Modified by nipponkamoshjka