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minami_loves_hina 2010年01月18日(月) 02:05:49
「らじひな☆」(現「ひならじ☆」)は,2009年9月27日に始まった。
その歴史を大きく分けると,
2009年9月28日〜10月13日 「らじひな☆」
2009年10月17日 「ひなサラダ☆木曽馬籠ひとり旅報告SP」
2009年10月23日 「らじひな☆ラブレターSP」
2009年10月28日〜現在 「ひならじ☆」
のようになるだろう。
また,2009年10月11日には「らじひな☆番外編 家族3人放送SP」が放送された。
さらに,2009年10月4日〜現在まで,「ひなズバッ☆」という新聞朗読番組も通常番組とタイトルを変えて放送している。
2009年10月28日(日をまたいでの放送だったので正確には29日)の放送の後に活動休止した。
休止理由は,「マイクの調子が悪いのといろいろ改造しなきゃいけないから」というのが公式発表であった。
そして,マイク(ヘッドセットからスタンドマイクへ)・掲示板デザイン・ローカルルールを変更,wikiの設置などを行い,2009年11月9・11日の「てすひな☆」というスタンドマイクとBGMのテスト放送を経て,2009年11月11日,本格的に活動を再開した。
活動再開後は泣くことの多かった1stシーズンと違い浮かれた調子で放送しているため,休止中に何かあったのではという噂もある。
らじひな☆
らじひな☆(通常版)は現在では黒歴史となっている。
その特徴は,下ネタの多さ(当時は下ネタOKだった。現在はNG)とひなの涙の多さ(ほとんどが恋愛絡み)である。
黒歴史のためあまり触れないであげてほしい。
ひなサラダ☆木曽馬籠ひとり旅報告SP
傷心のひなはリスナーに励まされ,1泊2日のひとり旅に出ることを決めた。
「ひなサラダ☆」という名称はTV番組の「朝だ!生です 旅サラダ」(朝日放送)から。
旅先を木曽馬籠に決めたのは,リスナーの1人のオススメであったことと地理的にちょうどよかったこと,そしてひなの好きな島崎藤村縁の地であったからということだ。
バスで乗り過ごしたり山で遭難しかけたりとトラブルもあったが,旅先の人々との温かな触れ合いがあり,ひなは元気になって戻ってきた。
旅は幸先よく,朝買った生茶のおまけのパンダ&ひよこストラップをお供にすることから始まった。
旅先では,死神小学校(仮)の子どもたち(小6)にモテモテで「エロいエロい」と言われた。ちゃっかり集合写真にも写り込んだ。
マナーの悪い観光客が多いために非公開となっている藤村の墓だが,ひなは関係者のおじさんと仲良くなって墓参りをさせてもらい,墓の前で『初恋』を朗読した。
宿では玉子焼きがお気に入りで放送日には次の日に食べたいと言っていた。
しかし,翌朝には玉子焼きよりもフライドポテトが食べたいと気が変わっていた。
馬籠には「ひなの巣立ち」という銘菓がお土産で売っており,運命を感じたひなは買おうとしたが,他のお菓子とセットになっている高いものしかなかったので断念した。
ちなみにこの放送から下ネタが禁止となった。

パンダとひよこ

ひなの巣立ち
らじひな☆ラブレターSP
以前よりひなが募集していたリスナーからのラブレターを読み上げ優勝者を決ることとなっていたが,結果として優勝したのは飛び入りで掲示板にラブレターを書いたポポ(常連リスナー)であった。
「これからも」を「こらからも」とタイプミスしたのがひなのツボに入ったようだ。
それが本当にミスなのかポポの計算によるものなのかは定かでない。
ラブレターを送ってくれたリスナーにはお礼としてしゃちほこの写真が贈られた。
この回の放送の後半はラブレターと関係なく,女性リスナーを増やすための作戦会議となった。
実はこの回には初の女性コテハンリスナーが参加していたが,誕生日に深夜まで働いている想い人に告白するため途中退席した。
その後彼女がどうなったのかは誰も知らない。
「ひならじ☆」
10月28日の放送はタイトルが「らじひな☆」から「ひならじ☆」へ変更となった。
これはらじお内容やひなの精神的な変化が理由ではない。
ひなはらじお開始時からタイトルは「ひならじ☆」にするつもりであった。
それが初めにらじおをするとき間違えて「らじひな☆」としてしまったのだ。
「らじひな☆」だったときから口頭ではよく「ひならじ☆」と言っていた。
それを直したに過ぎない。
メルマガのタイトルも「ひならじ☆」である。
らじひな☆番外編 家族3人放送SP
2009年10月11日には,ひなの一人暮らしの部屋に来ていた妹のぷりん(高3,ねとらじに同名のDJがいるが別人)と母のチャリンコ母さん(48歳)との3人で仲睦まじい放送があった。
この放送のために通常とは別の掲示板がつくられ,
1.過激な下ネタは禁止(ぷりんさんはまだ18歳です。
2.「ひなって○○してるの?」など、私についての質問をぷりんさんにしない。
3.「ひなっていつもラジオでは○○な話して,○○なことしてるんだよ〜」といつものラジオの私について話さない。
といった特別ルールも設けられていた。
ぷりんは,高校では吹奏楽部でトロンボーンを担当していること,好きな食べ物のこと,テニプリが好きなことなどを語った。
チャリンコ母さんは,元ヤンであったこと,得意料理,最近の若者について,子どもの頃の純愛話,夫への愛,娘への想いなどを語った。
また,大人になって学んだこととして「人を信じないこと」という名言を残した。
チャリンコ母さん曰く,「ひなは長谷川京子似,ぷりんは多部未華子似」だそうだ。
ひなとぷりんの男の趣味は違うようだが,キレイ事じゃなく顔はやっぱり大事,気を遣わない人がいいという点は同調していた。
この回の催し物として,リスナーが書いたセリフを3人がどれだけ可愛く言えるか選手権,3人による殿さまキングス『なみだの操』の斉唱などがあった。
『なみだの操』はエンディングでも歌われ素敵な終わり方となった。
しかし,その歌詞とは違い,ひな自身は操を守り通していない。
ひなズバッ☆
「ひなズバッ☆」を始めることになったそもそもの発端は10月3日の「らじひな☆」にある。
話題が環境問題などに及んだ際,そのレスの内容にひなはまったく付いていけなかった。
就職活動中,ましてやマスコミ志望の学生がこのままではマズイと危機感を持ったようだ。
そしていろいろ考えた結果,翌日から読売新聞を取り,らじおを放送しながら読むことで勉強しようと決めたのだった。
岡田外相のことすら知らない,「文部科学省」を「ぶんぶかがくしょう」だと思っていたなど,その新聞の読めなさには定評があるが,少しは成長も見受けられる。
元々は朝7時からの放送を宣言していたが,予告通りの時間に始まったことはなく,途中からは朝ですらない昼や夜に放送することも多くなった。
今ではどうせ時間を守れないので,好きなときに予告なしで放送することになっている。
新聞を読むだけでなく,その前後,あるいは途中に通常の放送と変わらないトークをすることもよくある。
現在「ひなズバッ☆」は事実上の無期限休止状態と言っていい。
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