NHKの大罪 NHKスペシャル「JAPANデビュー・第一回 アジアの“一等国”」についての情報をまとめるWikiです。


話題の映画や日本と台湾のかかわりを描いた映画の紹介です


『非情城市』 1989年 監督:侯 孝賢

台湾映画の不朽の名作で戦後すぐの台湾の様子がわかる作品。二・二八事件を扱ったことでも話題となった。
二・二八事件はこの映画で世界に知られることとなる。
舞台となった九イ分(きゅうふん)は観光地となる。ちなみに一青窈のお父さんはこの九イ分で財をなした。
この映画をきっかけに台湾に興味を持った人も多いので見てない人はぜひ。
ただ台湾のことをよく知らないといまいちわからない部分もあります。
ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞 など
ウィキペディア
YouTube予告編

『戯夢人生』 1993年 監督:侯 孝賢

1895年から、1945年の日本敗戦までを描いた作品。
非情城市と同じく侯孝賢の作品で、非情城市 戯夢人生 好男好女 は台湾現代史3部作とされる。
カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。
ウィキペディア

『好男好女』 1995年 監督:侯 孝賢

台湾の抗日戦に参加した白色テロの顛末をフィクションで映画化するために撮影を始める映画人と、女優の生活を通して、台湾の現在と40-50年代の台湾とを描写することを試みた、「悲情城市」「戯夢人生」に続く、侯孝賢監督による台湾現代史3部作の完結編。製作は水野勝博と市山尚三、謝屏翰、金介文が当たっている。エグゼクティヴ・プロデューサーは「GONIN」の奥山和由、楊登魁。脚本は侯孝賢の作品を担当し続けた朱天文、原作は実際の政治犯であった蒋碧玉、藍博洲、撮影は陳懐恩、音楽も撮影の陳懐恩と江考文、編集は廖慶松、美術は黄文英、録音は杜篤之が担当し、主に侯孝賢のスタッフが結集している。出演は現代の女優、梁静と政治犯、蒋碧玉の2役を中国圏の人気アイドル伊能静が演じ、「宝島: トレジャー・アイランド」の林強、「天幻城市」の高捷、魏筱恵、金介文、蔡振南、藍博洲、呂莉勤、高明ほか。
Goo映画 より
台湾現代史3部作の完結編。
40〜50年代の白色テロが主題のひとつ。

『多桑~ToSan 父さん』 1994年 監督:呉 念眞

太平洋戦争後の台湾で、かつて日本統治下で日本語教育を受け、日本文化に憧れていた世代の人々の生活を、一人の少年を通して回想形式で描いた作品。監督・脚本は侯考賢作品の脚本家で知られる呉念眞、製作は「好男好女」の侯孝賢、エグゼクティヴ・プロデューサーは「スウォーズマン」シリーズの王應祥と周俊裕、撮影は劉政銓、音楽は江孝文と林慧玲、編集は「好男好女」の廖慶松、美術は「悲情城市」の劉志華、衣装は李澄と衛琳がそれぞれ担当。出演は「戯夢人生」の蔡振南、蔡秋鳳、鍾侑宏、程奎中、傳窩ほか。
Goo映画
日本統治下で育った日本語世代と下の世代とのジェネレーションジャップを描いた作品。
日本語世代の父親は多桑(父さん)世代とも呼ばれている。
日本を無条件で称える多桑と、それが理解できない下の世代、北京語を使うので話ができない孫という台湾の複雑な一面が見られる。

『新台湾と日本 時を超えた絆』 2000年11月発売

日本会議/企画
李登輝総統から陳水扁新総統へ。自由と民主主義の旗を高く掲げ、新しい国づくりをめざす新台湾−。そこには私たちの知らない、台湾と日本の時を越えた深い絆があった。
 ○台湾政界・財界の重鎮へのインタビュー
  ・陳水扁 総統
  ・李登輝 前総統
  ・許文龍(奇美実業会長)
  ・蔡焜燦(偉詮電子会長) ほか
 ○台湾に残る日本統治時代の史跡紹介
 ○新しい日台関係への提言
公式ホームページ
日本の台湾領有から大東亜戦争を経て、台湾人と中国人の相克二・二八事件を、当時の貴重な記録映像とインタビューでつづったドキュメント映画です。
[主な登場人物]李登輝(元総統)、許文龍(奇美実業会長)、蔡焜燦(偉詮電子会長) ほか
YouTube もうひとつの 新台湾と日本−特別編−

『跳舞時代』 2003年 1時間 44分 監督:簡偉斯、郭珍弟

 下関条約で日本が台湾の領有を開始してからわずか数年、台湾も電灯・電話・水道等の整備が開始、1908年には台湾縦貫鉄道が全線開通した。男は辮髪を捨て女は纏足から解放されたこの時代、新しい流行文化が日本から持ち込まれた。
 1928年、日本流行歌が大量に台湾に上陸したことに端を発し、翌年には台湾流行歌が出現。「跳舞時代」とは台湾コロンビアが産み出した流行歌である。当時の流行歌は日本や欧米の影響を受け、若者はダンスを舞い、新しい世界や自由恋愛を追い求めた台湾流行歌黄金時代の記録映画。
2003年 台湾金馬奨 最優秀ドキュメンタリー映画賞等
http://www.nittaikyo-ei.join-us.jp/choubuzidai.htm...

『珈琲時光』 2004年9月 監督:侯 孝賢

侯孝賢監督作品で一青窈(ひとと よう)主演。
台湾、群馬、神田神保町、それぞれを自分の居場所として、明るい未来を期待しながら生きる女性とその仲間達の姿を優しく、温かく、そして美しき色彩で表現している。また、この話では台湾出身の作曲家・江文也が取り上げられ、江の日本側の夫人と娘が出演している。
ウィキペディア
映画的省察 台湾、日本、アメリカ

『練習曲』 2007年 監督:陳 懐恩

「日本と台湾のかかわりを描いた映画」と言うには少し遠いかもですが、日本語世代の原住民のお婆様方が「サヨンの鐘」を日本語で歌っているシーンと、「サヨンの鐘」のエピソードが挿入されています。

『海角七号』 2008年 監督:魏 徳聖

台湾の映画賞を総なめにし、台湾映画での興行収入一位をとった映画。恋愛コメディー。
60年の歳月をかけて届いた手紙が紡ぎだす日台の関係がテーマ。
その他のメンバーも原住民・客家人など台湾社会の縮図といえる。ただし、外省人は出てこない。
台湾語も多用され、台湾ならではのネタが多いので少し理解しづらい場面もあるが、たくさん笑えて最後になける作品。細かい部分は目をつむりましょう。
主演の田中千絵はこの映画でスターとなった。日本では年内公開の予定。
日本公開決定! 2010年新春ロードショー シネスイッチ銀座他全国順次公開
ウィキペディア
YouTube予告編フルVer

『風を聴く 〜台湾・九イ分物語〜』 2007年10月 監督:林 雅行

台湾北部の小さな集落、九イ分(きゅうふん)。
砂金が見つかり、金脈が発見されると、この町は一挙に黄金卿となりました。
日本の統治下の後、台湾の実業家の手に移り、ますます成長を遂げた九イ分。やがて太平洋戦争を経て、日本は敗北。次第に金鉱は廃れ、人々は街を去っていきました。
強者どもの夢の後。
黄金卿時代の疲れを癒し、街は眠っているようでした。ところが、いま、この街は目を覚ましたのです。
この街で生まれ育ち、金鉱とともに生きた一人の男性。生き証人として、この街を語り始めます。
街を語ることは、彼の人生を語ること。人は町とともに生きているのです。
公式ホームページ
台湾の港町・基隆から山間部に分け入ったところ―かつて、水田と茶畑を営む農家が九戸あったというところから名付けられた「九イ分」。1890年、付近に金の鉱脈があることが判明し、多くの入植者が集まってきた。やがて日本の植民地時代に突入、金鉱は日本の財閥が管理するようになるが、ゴールドラッシュは止まることなく、人口は3万人を超えた。戦後、中国に復帰した後も金の採掘は続くが、やがて金脈は枯渇していくのだった。
台湾旅行ガイド 台北ナビ「風を聴く−台湾九イ分物語」の人々を探して

九份(きゅうふん)
日本では、九份が2001年に公開された映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった町として紹介されたため一般の観光客への知名度が一躍高まった。日本で出版されている台湾旅行ガイドブックの多くにはこの逸話が紹介されている。映画を観て九份に興味を持ち訪れる者も多い。
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『一八九五』 2008年 監督:洪智育、陳 義雄

日本の台湾統治のための掃討とそれに抗う台湾人との間の戦い(乙未(いつび)戦争)を描く。
客家語や原住民語・日本語などさまざまな言語で構成されている。
台湾の複雑な社会の起点を覗ける作品。
※日本未公開

『パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜』 2008年 監督:石黒 昇

祝完成!!謝謝了
少年たちの夢は・・。八田の夢は・・。
テーマはチャレンジ (長編アニメーション映画)
公式ホームページ
不毛の大地だった嘉南平原に烏山頭ダムを築いた八田與一先生の事業がわかる作品。
八田先生の故郷である石川県の新聞社、北國新聞社が主に出資。
八田先生の妻・外代樹の声を担当した一青妙(ひとと たえ)、主題歌の一青窈(ひとと よう:一青妙の妹)は台湾人と日本人(石川県出身)とのハーフ。
台湾での公開も検討していただきたい。
ウィキペディア
YouTube予告編

『九月に降る風』(原題:九降風) 2008年 監督・脚本:トム・リン(林書宇) 2009年8月29日 日本公開

1996年、台湾の地方都市の高校へ通う若者たちがいた。イケメンで女にモテながらも男気があり、皆のリーダー格であるイェン、生真面目で優等生のタン、落第生のヤオシンら男子7人は、年齢も性格も違うが大の仲良しだ。ある夜、ビリヤード場でイェンと間違えられたタンは、イェンがナンパした女の子の彼氏に殴られ、ケガをしてしまう。それをきっかけに、彼らの関係は次第にギクシャクしていく…。
goo映画 九月に降る風

映画『九月に降る風』 オフィシャルサイト

『雨が舞う〜金瓜石 残照〜』2009年3月公開 監督:林 雅行

<八角さんが「台湾の声」に送った紹介文>
ドキュメンタリーとはかくあるもの

今年3月に公開された、台湾のかつての金鉱の街、金瓜石を舞台にしたドキュメンタリー、
「雨が舞う 〜金瓜石 残照〜 」を、4月初めに観覧してまいりました。

パンフレットの紹介文にはこうあります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
思い出を抱きしめて生きています

台湾北部の金瓜石は、かつて東洋一の金鉱。
日本の植民地であった1930年代に全盛期を迎え、戦後は国民党政府の下で採掘が行われた。
そして1987年に閉山。その全盛期に生きた日本人と台湾人の物語。
電化された住宅、豊富な物資。そんな街に日本人は住んでいた。
しかし台湾人は…。「差別され貧しかったが懐かしい」。

銅も採れた金瓜石は太平洋戦争中にはイギリス人、オーストラリア人捕虜が坑内作業にあたった。
時には、日本の警察が中国大陸からの出稼ぎを雇っていた台湾人を拘束。
日本人が知らなかった台湾人の哀しみとは。

いまは、眠る金瓜石の街。
川のせせらぎ、風の音、鳥や虫の鳴き声は、この地を通りすぎた人々の声。
寒い季節に降り続く雨は人々の涙。
海からの強い風にあおられて舞う雨飛沫は、ここで生きた人々の波乱の人生。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

金瓜石の情緒的で美しい風景を織り交ぜつつ、当時この金鉱の街に生きた台湾人・日本人たちへのインタビューを、穏やかで淡々としたタッチで綴っています。

台湾人の語る、日本統治時代の懐かしい思い出、今でも忘れない日本人教師の愛情・・などの話には、扇情的な演出など一切されていないのに、思わず目が潤みます。

翻って、
「日本人は事務仕事などが主で、採掘の危険な仕事は台湾人だった、事故で何人も死んだ」
「人手不足のため、良かれと思って中国大陸から鉱夫を雇った台湾人が、密通者とされ逮捕された。収監された刑務所が空襲されたため、冤罪を晴らすこともできず、帰らぬ人となった。」
といったエピソードには、当時の台湾の人たちの心中を思い、心が痛みます。

日本統治時代の光と影に、きちんとスポットを当て、偏ることなく事実のみを淡々と描写する、これこそが真のドキュメンタリーであると、私は断言できます。
120分が短く感じるほどの完成度です。

台湾を愛するすべての人に、ぜひご観覧いただきたいと思います。

「雨が舞う〜金瓜石 残照〜」
公式ホームページ

金瓜石 (きんかせき)
日本時代から続いた金山の跡地。現在は観光地として再開発され金山ゆかりの博物館や日本統治時代の建物などが残る。
ウィキトラベル

『台湾人生』 2009年6月 監督:酒井 充子

かつて日本人だった人たちを訪ねて
日本統治と戒厳令をのり越えて、いまを生きる
公式ホームページ
YouTube予告編
ウィキペディア

読売オンライン (2009年7月9日 読売新聞)
日本語世代台湾人は今・・・・
39歳女性初監督中野で映画公開

1895年から1945年までの約50年間、日本の植民地だった台湾。その時代に、学校で日本語教育を受けた人たちの人生をたどるドキュメンタリー映画「台湾人生――かつて日本人だった人たちを訪ねて」が中野区で初めて一般公開されている。監督は団塊ジュニア世代の39歳の女性。日本からの差別、日本への親しみ、日本が敗戦で引き揚げた後にやってきた戒厳令の時代――。5人の「日本語世代」から、波乱の人生が日本語で語られる。

本作が初監督作品となる酒井充子さん(39)(目黒区)は1998年、観光で台湾を訪れた時、バス停で「日本からですか」と高齢の男性に日本語で話しかけられたのがきっかけで、台湾の歴史を調べ始めた。日本統治時代のことは知っていたが、実際に「かつて日本人だった人」に会うのは、その時が初めてだった。

男性は「子供のころ、学校ですごくかわいがってくれた日本人の先生がいた。今でもとても会いたい」と語ったが、酒井さんはすぐにバスに乗ってしまい、話はそれきりに。戦後50年以上が過ぎても先生を思う男性の気持ちに心を打たれ、「なぜきちんと話を聞かなかったのか」と強く後悔したという。

その後、台湾をテーマにした劇映画を作ろうと考え、2002年から台湾に通い続けて日本語世代への取材を始めた。最初は台湾の老人と日本の若者が出会う物語を構想していたが、取材を重ねるうちに、「日本語で語ってもらうことに力がある。貴重な証言を残そう」と、ドキュメンタリー映画に方針を転換した。

作品は、青春期に日本語教育を受けた5人のインタビューを中心に進む。

台湾先住民で初めて立法議員になったパイワン族の男性は、先住民の思いを語る。男性は昨年亡くなったが、最期の言葉は日本語で、家族は誰も理解できなかったという。子供時代の日本人教師の行方を30年以上捜し、ついに再会を果たした男性は、恩師の死後も毎年、日本に墓参りしている。同窓会で日本語の校歌を歌う女性は、日本について「悔しさと懐かしさとは、解けない数学。死ぬまで絶対解けません」と心中を語った。

「日本語教育を受けた世代の、日本への思いのかけらも知らなかった自分への憤りや恥ずかしさが、作品を撮る原動力になった。ぜひ若い人たちに見てほしい」と酒井さんは話す。

 上映は同区東中野4のポレポレ東中野で、毎日午前10時40分から。入場料1500円。

(2009年7月9日 読売新聞)
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