いま、おがきちか「Landreaall」がおもしろい。
「ロード・オブ・ザ・リング」や「ハリー・ポッター」のおかげでファンタジーブームといわれているけれど、いつの時代も真の傑作は少ないのが事実。
しかし、もう間違いない、「Landreaall」はその貴重な作品の列に値する出色のヒロイック・ファンタジーだ。個人的にも大好きな作品だが、客観的に見ても素晴らしい出来。これを読み逃がしてしまう手はない。
もっとも、「Landreaall」に「ヒロイック」という形容は不適当かもしれない。この作品の主人公、DX・ルッカフォートほど熱血的なヒロイズムから遠い男もいないから。
DXは「エカリーブ(「歌う樹」の意味)」という名を持つ街で生まれ育った辺境の貴公子。実は王国の第四王位継承権者だったりするのだが、ふだんはそんなことを意識することもなくのんびり暮らしている。
かれと妹のイオン、ふたりの護衛を務める忍者のロッコーがこの物語の中止人物なのだが、物語は親の世代に始まっており、特にDXの父親ルッカフォート将軍の過去は、今後の展開に重要な影響を及ぼすのではないかと思われる。
未読の方には第1巻収録の前日譚「クレシェンドマリオン」から読みはじめることをお勧めする。
あなたはそこで、高名なルッカフォート将軍と女傭兵ファレルのロマンスを目にし、火竜との壮絶な激闘の目撃者となり、竜をも呑み込む歌を聴き、なぜその街がエカリーブと呼ばれるようになったのかを知るだろう。
本編の物語はその火竜からマリオンを救うためのDXの冒険を綴っているのだが、この漫画がユニークなのは、その話が終わったあといきなり学園漫画になってしまうところですね。
竜を倒しはしたものの生きがいを失ってしまったDXは、からっぽになって王都のアカデミーの学生となる。
前巻まで火竜との死闘を描いていたというのに、いきなり「トーマの心臓」か「クララ白書」かという寄宿舎ものが始まってしまう展開にはさすがに驚いた。いや驚くでしょ、普通。
普通、寄宿舎ものというと男子校ものになるか女性校ものになるか、ふたつにひとつなんだけれど、この漫画ではDXの男子校生活とイオンの女子高生活が並行してえがかれる。
どちらも本当に楽しそうで、うらやましいくらいなんだけれど、男子と女子では楽しさの質が全然違うのがおもしろい。
アカデミーには王位継承権すらもつ貴族の子弟たちが集まっていることもあって、DXの友人たちは喧嘩仲間という印象だけれど、イオンには少女漫画みたいな(いや、少女漫画なんだけれどさ)恋愛話もあったりする。
ストレートな学園コメディとしてみてもこれよりおもしろいものは滅多にないはず。そういう意味では「マリア様がみてる」が好きな人にもおすすめできる作品といえなくもないかも。
もちろんいつまでもそんな平和な生活が続くはずもなく、やがてDXの隠された本名「聖名(ホーリートーン)」を巡って誘拐事件が起きることになる。
ここらへんの「静」から「動」、平穏で快適な日常の物語から命懸けで劇的な非日常の物語への展開は実にスムーズ。
非日常の緊張があってはじめて日常はかがやき、日常の平穏さこそが非日常を際立たせる。言葉にすれば簡単だが、そのことをこれほどあざやかに思い知らせる作家は少ない。
そして今月雑誌に掲載されたエピソードでは、その盛り上がりが最高潮に達している。
旧友ルーディーを救出するため死地に乗り込んだDX。ルーディーが彼の「聖名(ホーリートーン)」を口外すれば、呪いによって瞬く間に彼の命を奪われることになる。
この窮地を前に、DXはだれも想像しないとんでもない行動に出るのだった――というのが先月の展開だったわけですが、今回の話はその続きで、もう盛り上がる盛り上がる。
DXの腕の「竜創」、DXという名前の秘密、DXの婚約者の女性、護衛という仕事を巡るロッコーとDXの価値観の相違、学園の地下の植物園――なにげない背景設定のすべてが伏線と化して物語を絶頂へ導いていく、この構成の妙。
恐ろしくセンスが良い漫画を描く人だということは知っていたけれど、ここまで構成力のある作家だとは思わなかった。
僕の目が節穴なのはもちろんとしても、この手の才能は何巻にもわたって続く大長編ではじめて完全に発揮されるものなのだろう。
とにかくまあ、連載漫画でこれほど緻密に考えぬかれたシナリオはめずらしい。
ここにあるものは、ただひたすらに快適なばかりの日常空間ではなく、その逆に永遠にバトルが続く超日常空間でもない。
日常と非日常、光と闇、生と死、男性と女性、そういった対立し、補いあうものを縦糸と横糸として、永永と織り成されていく「物語」である。
ひとつのエピソードはそれ単体で終わるのではなく、自然と次のエピソードへ続いていく。そのことについて、おがきちか自身はこう語っている。
自分が生まれる前や、死んだあとの世界を想像するように、架空の世界のことを考えます。物語には過去と未来がくっついていて、本当は、始まりや終わりはないのです。
そう、たぶん、そういうことなのだ。
古い意味での「物語」の魅力は、近代的な「作品」の魅力とは、どこか違うものなのだということ。
ひとりの作家の天才からではなく、数知れない人びとの想いと願いから生まれてきたふるい物語には、緻密に計算されつくした現代の作品を圧倒するような、ふしぎなパワーがある。それこそは物語がもつ根源的な力。
しかし、現代の作家はあくまでもその力を「作品」として完成させることを求められる。
「始まりや終わりはない」はずのものに始まりと終わりをつけ、箱庭の扉をそっと閉じてみせて、はじめてその作品は評価に値するものと見られる。
「Landreaall」のなかで、「物語」と「作品」はみごとに拮抗している。これより美しい、これより洗練された作品はいくらでもあるかもしれない。しかし、僕にとってこれほど好きになれる作品は滅多にない。
読み手の感情を揺り動かし、彼の心に深くその世界への愛情を刻み込むこと――それが、物語の魅力である。
このインタビューで、作家ジョン・アーヴィングが、「私にとっては筋立てがとても大切だ。私の関心は読者の感情を揺り動かすことにある。私はインテリではなく物語の語り手だ。芸術家ではなく職人だ」と語っているのもそういった点を意識しているのだと思う。
キャラクターひとりひとりの深く感情移入する「萌え」も、激しく興奮し高揚する「燃え」もいいだろう。だが、それらはより巨大な物語の構成要素のひとつとなったとき、より深く澄んだ響きを放つものだ。
僕はやはりそういったものを愛している。それはあまりにもクラシックで、いまでは流行らないようにも見えるかもしれない。
しかし、そうではない。決してそうではないのだ。物語の灯が絶えることはない。いま、こうしてここまでポップでスマートな作品のなかに、それは耀いているのだから。
ひとが生きてあるかぎり、物語が途絶えることはない。
それは、ちょうど音楽がそうであるように、地球の大気のなかのあらゆるところに偏在していて、ひとより鋭い感性をもつ人だけが取り出して物語を練り上げることができる、そういうものなのかもしれない。
ここには何か魔法的なものがある。その魔法を信じないものには、たどり着けない境地があるのだ――そう、僕は信じたい。
いつも思う。読むということは、ふしぎなことだと。
ページをひらきさえすれば、あたたかい部屋に居ながらにして、心は曠野を駆ける。
夜よりも昏い空を飛び、青よりもあおい海を泳ぐ。報われない恋に涙し、絶える事のない戦争に怒り、古い伝説に心ときめかせ――この灰色の人生を生きながら、灼熱の物語を生きることができる。
物語ることは、言葉がもつ最も深淵な力。いまもむかしも、詩人たちはその力に仕え、造園家が花でそうするように、詩で世界を飾ってきた。
「Landreaall」はその悠久の歴史につながる竜と魔法の物語だ。おがきちかという錬金術師の手並みを得て、ここで現代と過去は最良の融合を見ている。もしあなたがどこか違う世界へ旅したいと思っている方なら、ぜひ手にとってみてほしい。
DXの命懸けの賭けを経て、いま、物語は新たな段階に入ろうとしているところだ。おそらくアカデミーでのエピソードはもう長くはないだろう。
王位継承権者であるDXが命を狙われるという事件をめぐり、玉階たちが動き出す。十二人の候補を立てて国王を選ぶキングメーカーたちの思惑は彼をどこに導くのだろうか?
どうもその影には「前王派」と「王制派」の対立があり、また「折れた剣」の異名をもつDXの父親、ルッカフォート将軍の行状が関係しているらしいのだが――。
僕はいくつかの伏線(と思われる描写)から、DXのルームメイト・竜胆(りんどう)と彼の祖国ウルファネアにかかわるエピソードがあるのだろうと思っているが、この話はまったく予断を赦さない。
あの厳しい「エビアンワンダー」の作者だ。どんな罠を用意しているかわかったものではない。
読みはじめるなら、今だ。竜と歌う樹と公子DXのバラッドが、あなたの手がページをひらく時を待っている。
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