命を解く…夏目漱石の場合(4)
◆漱石の健康…病気及び体質
五臓六腑に五行を配当すると、次のようになる。
木…肝・胆。 火…心・小腸。 土…脾・胃。
金…肺・大腸。水…腎・膀胱。
今この八字を診るに、木気が大過して土気を剋していることがわかる。生まれ持った体質が、消化器系統の虚弱体質であることは、容易に知ることができる。
明治四十年九月、漱石は早稲田南町七番地の借家に転居した。いわゆる「漱石山房」である。この頃から、胃病に悩むようになる。
明治四十三年は、漱石にとっては大変な年であった。三月から六月まで、『三四郎』『それから』『門』を次々に発表した。六月六日、『門』を書き上げた漱石は、長与胃腸病院で診察を受けた。胃潰瘍が悪化していて入院の必要があるとの診断から、六月十八日に入院した。そして七月の末には退院することができた。
退院の後、八月六日より伊豆修善寺へ療養にでかけた。しかし菊屋旅館では、その夜からまた具合が悪くなってしまった。そして十一日・十二日には、生死の境をさまようほどに悪化した。いったんは小康状態になったものの、二十四日の夜八時には五百グラムの大量の吐血があり、ついに危篤状態に陥った。
容体は二十六日から少しずつもちなおし、二十九日ごろにようやく危機を脱することができた。いわゆる「修善寺の大患」である。
十月に入って小康を得、十一日に寝台に寝たままかつがれて帰京、ただちに長与胃腸病院に再入院した。退院したのは、年を越えて二月の二十六日になってからであった。
漱石の作家としての時期は、胃潰瘍との戦いの時期ということもできよう。入院、療養の合間を縫うようにして、作品が次々と発表されていったのである。長与又郎博士は、次のように述べている。
「夏目さんの多く成された仕事は始終此胃に悩んで居られる其間に出来上ったところの産物であります。」
◆永眠
漱石の運気が「死」へ向かって滑り出したのは、大正元年であろう。
大正元年は壬子である。壬も水、子も水、ともに「水生木」と木気を生ずる。また「金生水」と金気を洩らし、日主を著しく衰弱させる。この頃から、運気の衰弱がはげしくなる。
大正二年は癸丑、これも癸水の運である。また子と丑は空亡の年でもある。この年、強度の神経衰弱が再発した。
大正三年は甲寅。甲木と寅木が重なり、木気の大過はますます激しくなる。木気は「木剋土」と土気を剋すから、土気の臓腑である「脾」「胃」は激しく傷を受ける。この年、「こころ」を執筆した直後、四度めの胃潰瘍になり、ひと月程病の床についた。
大正四年は乙卯。この年も乙木と卯木が重なり、木気は一段と重くなる。三月(己卯月)に、五度めの胃潰瘍でたおれた。
大正五年、丙辰。辰は八字の中の年支卯木と月支寅木と連合して、寅・卯・辰の東方の木局が成立する。この連合した木気が「木生火」と丙火を生じ、強力になった丙火が日主庚金を撃つ(火剋金)。日主庚金にとっては、危機的な事態に至ったのである。
この年、五月頃から胃の具合が悪かったが、それをおして「明暗」の連載がはじまった。十一月二十二日、気分が悪くて原稿が書けなくなった。二十七日の夜中には、容体が急変し悪化していった。
そして、ついに十二月九日、午後六時五十分(庚子月 庚辰日 乙酉時)、物静かに「有り難い」と一言って息を引き取った。数え年五十歳であった。
五臓六腑に五行を配当すると、次のようになる。
木…肝・胆。 火…心・小腸。 土…脾・胃。
金…肺・大腸。水…腎・膀胱。
今この八字を診るに、木気が大過して土気を剋していることがわかる。生まれ持った体質が、消化器系統の虚弱体質であることは、容易に知ることができる。
明治四十年九月、漱石は早稲田南町七番地の借家に転居した。いわゆる「漱石山房」である。この頃から、胃病に悩むようになる。
明治四十三年は、漱石にとっては大変な年であった。三月から六月まで、『三四郎』『それから』『門』を次々に発表した。六月六日、『門』を書き上げた漱石は、長与胃腸病院で診察を受けた。胃潰瘍が悪化していて入院の必要があるとの診断から、六月十八日に入院した。そして七月の末には退院することができた。
退院の後、八月六日より伊豆修善寺へ療養にでかけた。しかし菊屋旅館では、その夜からまた具合が悪くなってしまった。そして十一日・十二日には、生死の境をさまようほどに悪化した。いったんは小康状態になったものの、二十四日の夜八時には五百グラムの大量の吐血があり、ついに危篤状態に陥った。
容体は二十六日から少しずつもちなおし、二十九日ごろにようやく危機を脱することができた。いわゆる「修善寺の大患」である。
十月に入って小康を得、十一日に寝台に寝たままかつがれて帰京、ただちに長与胃腸病院に再入院した。退院したのは、年を越えて二月の二十六日になってからであった。
漱石の作家としての時期は、胃潰瘍との戦いの時期ということもできよう。入院、療養の合間を縫うようにして、作品が次々と発表されていったのである。長与又郎博士は、次のように述べている。
「夏目さんの多く成された仕事は始終此胃に悩んで居られる其間に出来上ったところの産物であります。」
◆永眠
漱石の運気が「死」へ向かって滑り出したのは、大正元年であろう。
大正元年は壬子である。壬も水、子も水、ともに「水生木」と木気を生ずる。また「金生水」と金気を洩らし、日主を著しく衰弱させる。この頃から、運気の衰弱がはげしくなる。
大正二年は癸丑、これも癸水の運である。また子と丑は空亡の年でもある。この年、強度の神経衰弱が再発した。
大正三年は甲寅。甲木と寅木が重なり、木気の大過はますます激しくなる。木気は「木剋土」と土気を剋すから、土気の臓腑である「脾」「胃」は激しく傷を受ける。この年、「こころ」を執筆した直後、四度めの胃潰瘍になり、ひと月程病の床についた。
大正四年は乙卯。この年も乙木と卯木が重なり、木気は一段と重くなる。三月(己卯月)に、五度めの胃潰瘍でたおれた。
大正五年、丙辰。辰は八字の中の年支卯木と月支寅木と連合して、寅・卯・辰の東方の木局が成立する。この連合した木気が「木生火」と丙火を生じ、強力になった丙火が日主庚金を撃つ(火剋金)。日主庚金にとっては、危機的な事態に至ったのである。
この年、五月頃から胃の具合が悪かったが、それをおして「明暗」の連載がはじまった。十一月二十二日、気分が悪くて原稿が書けなくなった。二十七日の夜中には、容体が急変し悪化していった。
そして、ついに十二月九日、午後六時五十分(庚子月 庚辰日 乙酉時)、物静かに「有り難い」と一言って息を引き取った。数え年五十歳であった。
2005年12月23日(金) 00:27:53 Modified by iwakuro
