◆両陛下画像集(1934年〜1989年)
御成婚以前
昭和8年(1933年)12月23日、昭和天皇と香淳皇后の五番目の子供として、継宮明仁親王殿下ご誕生。
1933年12月29日 宮内庁告示として公式文書に残された継宮明仁親王殿下ご誕生の記録
1934年2月頃 生後2ヶ月の継宮明仁親王殿下(=今上陛下)。昭和天皇・香淳皇后との間に4人続いた女児の後に生まれた男児であった。 / 同継宮明仁親王殿下お写真
1934年3月 生後初公開?の継宮明仁親王殿下写真
1934年3月 同上時期と思われる宮内省発表の「皇太子継宮明仁親王殿下御尊影」
母香淳皇后に抱かれている継宮殿下の表情
継宮明仁親王殿下ご誕生記念、犬張子の銀製ボンボニエール画像
乳母車に乗って昭和天皇・香淳皇后に見守られる継宮明仁親王
1935年12月23日 継宮明仁親王満2歳のお誕生日、白いお着物姿。3歳を迎える前は色つき着物は身に着けない風習による。
1936年12月23日 継宮明仁親王3歳のお誕生日、「黒紅御縫御服」姿で子供用椅子に着席の図。
参考:3歳誕生日の「黒紅御縫御服」継宮明仁親王1936 (S11)/浩宮徳仁親王1963 (S38)/秋篠宮悠仁親王2009 (H21)
約束事のあるお祝いの柄だと分かる。悠仁親王殿下については新調された御着物らしい。
撮影時期不明 葉山の海岸で愛犬と遊ばれる継宮明仁親王殿下
撮影時期不明 手にした植物?を仔細に観察される継宮明仁親王殿下
1936年12月 昭和天皇ご一家。左から継宮殿下、昭和天皇、照宮殿下、順宮殿下、香淳皇后と義宮殿下、孝宮殿下
1937年 葉山にて撮影された映像より、白い洋服に白い帽子姿の継宮殿下3歳半頃
1938年5月5日 継宮明仁親王(当時4歳5ヶ月)着袴の儀【着袴の儀】
1938年5月5日 継宮親王着袴の儀、お召し物カラー画像もあり。
参考:着袴の儀 継宮殿下・義宮殿下・浩宮殿下・礼宮殿下・紀宮殿下
1938年6月1日 上野動物園をご訪問、金網から身を乗り出して水鳥を観察なさる継宮明仁親王(4歳6カ月)と、見守る良子皇后
撮影時期不明 オカッパ頭の継宮殿下。このオカッパを小学校入学を控え睡眠中に無断で坊主刈りにされ「宮のいやなことは、これからだまってしないでね…」(光文社『天皇家のユーモア』より)
撮影時期不明 木馬で遊ばれ笑顔の継宮殿下
撮影時期不明 玩具の車で遊ばれる継宮殿下
1938年10月 三輪車で遊ばれる継宮
1939年8月 飼っている小鳥を籠から出して観察される継宮
撮影時期不明 自転車で遊ばれる継宮殿下
1940年4月 継宮さま学習院初等科ご入学
1940年4月10日 学習院初等科へご入学、校門で恐らく警備員相手に敬礼をする継宮殿下
撮影時期不明 セーラー服にタイツ姿の継宮明仁親王殿下
1941年 天皇ご一家
1942年12月23日 白馬に乗って撮影された継宮明仁親王殿下9歳のお誕生日画像
昭和20年(1945年)8月15日、終戦。
『別冊女性自身 ご成婚10周年記念家庭保存版 皇室と昭和の秘録/大写真集』昭和44年4月1日発行<陛下、あのお言葉を忘れません>記事
私は11才の皇太子殿下の剣道のお相手をいたしました
信国鉄蔵さん(80才) 元皇太子殿下内舎人(うどねり)
少年時代の皇太子殿下
剣道のお相手をしたのは終戦の年の夏。殿下のご上達ぶりには驚くばかりでした。剣道ではとくに胆(はら)が大事ですといつもお教えいたしました。
そして敗戦の当日、殿下は「信国(のぶくに)、日本は科学がだめであったね」と沈んだ面持ちです。
私はどうお慰めしようもなかったが「東宮さま(皇太子殿下)、信国がいつも申し上げている肚はこういうときのためでございます」と申し上げると、殿下は「しっかりするよ」と深くうなずかれました。
1945年12月 赤坂御所前でアメリカの新聞記者がパパラッチした初等科六年生の明仁親王。後日宮内庁から殿下がこの写真をご所望という申し出があったらしい。
1945年 学校の美術の時間? はさみで紙を切り工作している明仁親王12歳(裏焼き画像修整済み)
1946年元旦 終戦の翌年、昭和21年の新年画像撮影。香淳皇后に御髪を直され笑顔の昭和天皇に、隣に継宮義宮らお子様方も。
1946年(昭和21年)1月1日 明仁親王小学校六年の書初め「平和國家建設」
1946年1月 学校から帰って御所の庭でニワトリに餌をやる継宮明仁親王殿下
1946年1月 御所内で自転車に乗る継宮明仁親王殿下
1946年1月 学習院初等科で授業を受けられる明仁親王殿下
1946年1月 学習院初等科ご卒業を間近に控えた頃の継宮明仁親王殿下(よみうり写真館)
1946年 学習院初等科教室内での継宮明仁親王殿下
1946年頃 学習院初等科制服姿、カメラを斜め掛けして庭園を歩く継宮明仁親王殿下
1946年3月 学習院初等科卒業式の後、記念の催し物をご覧になっている明仁親王(手前)
1946年7月24日 沼津御用邸近くの海岸で海水浴を楽しまれる継宮明仁親王殿下
1946年10月 明仁親王と英語教師のヴァイニング夫人
1946年10月 学習院中等科にて英語の授業を受けられる明仁親王とヴァイニング夫人1
1946年10月 学習院中等科にて英語の授業を受けられる明仁親王とヴァイニング夫人2 隣の席にいる少年は橋本明氏である
1946年11月16日 砂かぶりで興味深く大相撲秋場所をご覧になる明仁親王殿下
1946年12月 卓球をされる学習院中等科時代の明仁親王
1947年頃? 「高雄型巡洋艦の模型」を手にしてあどけない笑顔を見せる継宮と義宮のお二人。叔父上にあたる高松宮殿下が巡洋艦高雄の分隊長をしていた縁でいただいたものかもしれない。
1947年頃の昭和天皇ご一家。左から厚子内親王、正仁親王、昭和天皇、貴子内親王、香淳皇后、和子内親王。写真に写っていない明仁親王が撮影したと思われる。
1947年5月28日 中等科2年、学友たちが見守る中、初めてテニスをなさる継宮明仁親王殿下
1947年頃、当時少しぽっちゃりしていた明仁親王。学習院のグラウンドで。
1947年頃、学習院にて、寒天培地をルーペで観察なさる明仁親王殿下
1947年10月30日、図版入りの本をご覧になる明仁親王殿下
1948年頃 継宮明仁親王殿下とヴァイニング夫人
1948年頃 にっこりと笑みを浮かべた継宮明仁親王殿下
1948年4月13日 京都大学白浜水族館に皇太子殿下ご来訪、標本を前に説明している左手の人物は、当時の実験所所長・宮地伝三郎教授
1948年5月 御所の中でスクーターに乗る明仁親王
比較:同じくスクーターがお好きだった昭和天皇
1948年 柱を背にして立つ明仁親王ポートレート
1948年 御所の庭で陽射しを浴びた明仁親王ポートレート
1948年 学習院の制帽をかぶり木に寄りかかった継宮明仁親王殿下ポートレート
1948年 学習院の制帽をかぶった継宮明仁親王殿下のやや下からのアングルによるポートレート
1948年 神宮競技場にてスポーツ観戦か?昭和天皇と継宮明仁親王殿下
1948年 御所の庭でボールを蹴る継宮明仁親王殿下
1948年 米軍関係者と握手される継宮明仁親王殿下と義宮正仁親王殿下
1948年 学友らとともに工場の作業場を見学?されている継宮明仁親王殿下
1948年 庭にたたずむ制服・制帽姿の明仁親王
1949年 明仁親王と祖母・貞明皇太后
1949年10月 メジャーリーグ3Aサンフランシスコ・シールズが戦後初来日で親善試合。フランク・オドール監督と握手をされる継宮殿下と義宮殿下
1949年12月26日 16歳を迎えられた継宮明仁親王殿下 弓道をたしなまれるご様子
1950年 昭和天皇ご一家
1950年ごろ 新聞を読む昭和天皇と明仁親王、明仁親王は16歳の誕生日に贈られたプレイドスーツ姿で訪問
1950年9月 妹・清宮(後の島津貴子さん)とソファに座った継宮のお写真
1950年9月24日 清宮、継宮、順宮の姉弟妹
1950年12月 白馬嶺雪号で障害越えを決める皇太子さま
比較:1927年(昭和2年)乗馬障害飛越をされる昭和天皇
1951年2月 蔵王へスキーに行かれたときにご学友と、あと旅先で知り合った女性たち?と記念撮影。一列め中央が橋本明氏、二列め左から肩を組んでいる千家崇彦氏と皇太子殿下、大久保忠恒氏。
1951年2月 同じく蔵王スキー旅行した男性学友仲間たちと記念写真。千家氏、皇太子殿下(当時)、大久保氏、橋本氏、そしてあと一人が猪谷千春氏(男性)。2009/4/19放送日本テレビ「皇室日記」で橋本氏がこの旅行について詳しく説明をしている。
橋本明・千家崇彦両氏は、学習院高等科3年当時「皇太子銀ブラ事件」を起こした仲間である。
1952年3月 学習院高等科卒業式、壇上でご両親である昭和天皇・香淳皇后が見守る中、卒業証書を受け取り檀から降りようとしている明仁親王
1952年 18歳頃の皇太子明仁親王
1952年4月 学習院大学へ進学された継宮さま
1952年4月24日 白馬で障害越えの美技を披露なさる明仁親王殿下
1952年8月 浅間山麓で乗馬をされる継宮(=今上陛下)と義宮(=常陸宮)のご兄弟。
1952年11月10日 成年式・立太子式を迎えられた明仁親王殿下下 カラー画像
1952年11月10日 成年式・立太子式を迎える継宮殿下当時18歳(読売新聞)
1952年11月10日 立太子の礼を終え、皇居仮宮殿バルコニーからお祝いに詰めかけた国民にお応えになる昭和天皇と香淳皇后と当時の今上陛下
1952年11月10日 成年式・立太子式を迎えた正礼装の明仁親王殿下
1953年 19歳頃の皇太子明仁親王
1953年3月30日から10月12日までの半年余りにわたり初の外遊。ヨーロッパ12か国および米国・カナダを歴訪。6月2日イギリス・エリザベス2世の戴冠式へ昭和天皇の名代として参列。これで単位不足になって進級できずに大学を中退されることになる。
1953年3月30日 英国エリザベス女王戴冠式のため渡英する皇太子殿下と、出発見送りにお出ましの両陛下
1953年3月30日 明仁親王殿下(当時満19歳)ハワイご訪問、歓迎の華やかなレイを首からかけられ歩む殿下とそれを和服姿で迎える地元日系の娘たち。プレジデント・ウィルソン号で横浜港を出発しハワイ・ニューヨーク経由で4月27日に英国ご到着。
1953年4月1日 エリザベス女王戴冠式のため渡英の途上、カナダにお立ち寄りの明仁親王殿下(Getty) / 同画像(LIFE)
1953年4月1日 エリザベス女王戴冠式のため渡英の途上、カナダにお立ち寄り、現地の歓迎と取材を受ける明仁親王殿下
1953年4月12日 カナダ空軍機の操縦席で乗り物好きな若者の笑顔を見せる皇太子さま
1953年4月 カナダ・ブリティッシュコロンビア州のフィールド駅にて歓迎の子どもたちと話す天皇陛下(当時皇太子さま)
1953年5月 英国ロンドンご訪問の継宮殿下
1953年 ロンドンにて
1953年 ロンドン在住日系人とのガーデンパーティにて
1953年9月 アメリカ訪問中ニューヨーク郊外のルーズベルト元大統領邸を訪れエレノア夫人と共に墓参りをする明仁親王
1953年9月14日 訪米中ペンシルベニア州フィラデルフィアの「自由の鐘」をご覧になる皇太子殿下
1953年9月21日 明仁親王殿下がコプレイスクエア・シェラトンプラザでのボストン・ジャパンソサエティ主催歓迎午餐会ご出席の折、請われてメニューに英語でご署名「Akihito」
1953年9月 訪米中にNYヤンキーススタジアムでナイターをご見学になる明仁親王。試合前に記念ボールを手渡しているのはケイシー・ステンゲル監督、その右は球団オーナー。手前左から球史を飾るスラッガーとして一時代を築いたミッキー・マントル選手、キャッチャーで後に監督も勤めたヨギ・ベラ選手。
1953年9月 バージニア州ウィリアムズバーグにてアメリカ産の牡蠣を賞味される明仁殿下の珍しいショット。
1953年9月30日 訪米中の皇太子殿下が「ミス・ユニバース」3位入賞の伊東絹子さんとハリウッドのMGM撮影所でご対面。同所で映画人230人列席の歓迎昼食会が開かれ、ユニバーサル映画に出演した伊東嬢も招かれていた。伊東絹子(1932年6月29日生まれ、身長164cm、体重52kg、スリーサイズは各86・58・97cm)が日本人初となる入賞(第3位)を果たし「八頭身美人」が当時の流行語となった。当時の20歳代日本人女性は平均身長153.9cm、平均体重49.6kg、平均バスト80.7cm。
1953年10月 エリザベス女王の戴冠式に昭和天皇のご名代として出席の皇太子さま(当時弱冠二十歳)
1953年10月 同上別画像、最前列で中央寄りという席次にも注目
1953年10月 同上英国ご訪問にて 帽子をあげて挨拶される皇太子殿下
1953年10月 昭和28年エリザベス女王の戴冠式に昭和天皇のご名代として出席のための欧米各国親善訪問の最後、ハワイで長旅の疲れを癒された(今上20歳の時)
船中においてマージャンを楽しまれる継宮
1953年10月 初の欧米ご訪問から帰国されたばかりの明仁親王を囲むご一家
乗馬をされる21歳当時の明仁親王
珍しく物を召し上がる瞬間を撮影された皇太子殿下
タバコを勧められて吸われる皇太子殿下
1955年 将棋をさす昭和天皇と皇太子明仁親王、二人を見守る香淳皇后
1955年3月31日 御所内のテニス競技会の準決勝でプレーする明仁親王殿下
1955年12月 昭和天皇ご一家
1955年12月 白衣姿で研究にいそしむ明仁親王殿下
1946年4月10日 八重洲の大丸百貨店にて開催された「山下清展」にて貼り絵をご鑑賞の皇太子殿下
1956年9月10日 香淳皇后の母・久邇俔子さんご逝去、新宿区西落合の久邇邸にて弔問を終えられた皇太子殿下
1956年10月 戦後初の国賓として来日されたエチオピアのハイレ・セラシエ皇帝を鴨場にてご接待の皇太子殿下、お二人とも網を手にダンディなお姿。横におられるのは三笠宮殿下
1958年2月23日 秩父宮ラグビー場にて、対早大戦前、ラグビー・オールブラックスの選手らと握手される皇太子殿下
1958年4月1日 恩賜上野動物園をご訪問、ゾウとふれ合われる皇太子殿下
1958年6月 乗馬で障害飛越をする皇太子さま
米『The San Francisco Examiner』紙 1958年6月18日号記事<日本の皇太子妃・最有力は元プリンセス北白川嬢>ゲラ刷り。左は故永久王第一王女で、1947年に臣籍降下した元皇族・北白川肇子嬢。
1958年 兵庫県六甲山行幸で十国展望台訪問の皇太子殿下。かなり至近距離からカメラに囲まれ、落ち着いて眺望を楽しむことはできなさそうである。
1958年8月 軽井沢のテニスコートで笑顔の皇太子さま
日テレ・みのもんたの「午後○○思いっきりテレビ」“今日は何の日2008/5/28”より、テニスの試合を通じて出合ったお二人、そして心に決めた正田美智子さんの写真を机に飾っていたというエピソードを紹介。
1933年12月29日 宮内庁告示として公式文書に残された継宮明仁親王殿下ご誕生の記録
1934年2月頃 生後2ヶ月の継宮明仁親王殿下(=今上陛下)。昭和天皇・香淳皇后との間に4人続いた女児の後に生まれた男児であった。 / 同継宮明仁親王殿下お写真
1934年3月 生後初公開?の継宮明仁親王殿下写真
1934年3月 同上時期と思われる宮内省発表の「皇太子継宮明仁親王殿下御尊影」
母香淳皇后に抱かれている継宮殿下の表情
継宮明仁親王殿下ご誕生記念、犬張子の銀製ボンボニエール画像
乳母車に乗って昭和天皇・香淳皇后に見守られる継宮明仁親王
1935年12月23日 継宮明仁親王満2歳のお誕生日、白いお着物姿。3歳を迎える前は色つき着物は身に着けない風習による。
1936年12月23日 継宮明仁親王3歳のお誕生日、「黒紅御縫御服」姿で子供用椅子に着席の図。
参考:3歳誕生日の「黒紅御縫御服」継宮明仁親王1936 (S11)/浩宮徳仁親王1963 (S38)/秋篠宮悠仁親王2009 (H21)
約束事のあるお祝いの柄だと分かる。悠仁親王殿下については新調された御着物らしい。
撮影時期不明 葉山の海岸で愛犬と遊ばれる継宮明仁親王殿下
撮影時期不明 手にした植物?を仔細に観察される継宮明仁親王殿下
1936年12月 昭和天皇ご一家。左から継宮殿下、昭和天皇、照宮殿下、順宮殿下、香淳皇后と義宮殿下、孝宮殿下
1937年 葉山にて撮影された映像より、白い洋服に白い帽子姿の継宮殿下3歳半頃
1938年5月5日 継宮明仁親王(当時4歳5ヶ月)着袴の儀【着袴の儀】
1938年5月5日 継宮親王着袴の儀、お召し物カラー画像もあり。
参考:着袴の儀 継宮殿下・義宮殿下・浩宮殿下・礼宮殿下・紀宮殿下
1938年6月1日 上野動物園をご訪問、金網から身を乗り出して水鳥を観察なさる継宮明仁親王(4歳6カ月)と、見守る良子皇后
撮影時期不明 オカッパ頭の継宮殿下。このオカッパを小学校入学を控え睡眠中に無断で坊主刈りにされ「宮のいやなことは、これからだまってしないでね…」(光文社『天皇家のユーモア』より)
撮影時期不明 木馬で遊ばれ笑顔の継宮殿下
撮影時期不明 玩具の車で遊ばれる継宮殿下
1938年10月 三輪車で遊ばれる継宮
1939年8月 飼っている小鳥を籠から出して観察される継宮
撮影時期不明 自転車で遊ばれる継宮殿下
1940年4月 継宮さま学習院初等科ご入学
1940年4月10日 学習院初等科へご入学、校門で恐らく警備員相手に敬礼をする継宮殿下
撮影時期不明 セーラー服にタイツ姿の継宮明仁親王殿下
1941年 天皇ご一家
1942年12月23日 白馬に乗って撮影された継宮明仁親王殿下9歳のお誕生日画像
昭和20年(1945年)8月15日、終戦。
『別冊女性自身 ご成婚10周年記念家庭保存版 皇室と昭和の秘録/大写真集』昭和44年4月1日発行<陛下、あのお言葉を忘れません>記事
私は11才の皇太子殿下の剣道のお相手をいたしました
信国鉄蔵さん(80才) 元皇太子殿下内舎人(うどねり)
少年時代の皇太子殿下
剣道のお相手をしたのは終戦の年の夏。殿下のご上達ぶりには驚くばかりでした。剣道ではとくに胆(はら)が大事ですといつもお教えいたしました。
そして敗戦の当日、殿下は「信国(のぶくに)、日本は科学がだめであったね」と沈んだ面持ちです。
私はどうお慰めしようもなかったが「東宮さま(皇太子殿下)、信国がいつも申し上げている肚はこういうときのためでございます」と申し上げると、殿下は「しっかりするよ」と深くうなずかれました。
1945年12月 赤坂御所前でアメリカの新聞記者がパパラッチした初等科六年生の明仁親王。後日宮内庁から殿下がこの写真をご所望という申し出があったらしい。
1945年 学校の美術の時間? はさみで紙を切り工作している明仁親王12歳(裏焼き画像修整済み)
1946年元旦 終戦の翌年、昭和21年の新年画像撮影。香淳皇后に御髪を直され笑顔の昭和天皇に、隣に継宮義宮らお子様方も。
1946年(昭和21年)1月1日 明仁親王小学校六年の書初め「平和國家建設」
1946年1月 学校から帰って御所の庭でニワトリに餌をやる継宮明仁親王殿下
1946年1月 御所内で自転車に乗る継宮明仁親王殿下
1946年1月 学習院初等科で授業を受けられる明仁親王殿下
1946年1月 学習院初等科ご卒業を間近に控えた頃の継宮明仁親王殿下(よみうり写真館)
1946年 学習院初等科教室内での継宮明仁親王殿下
1946年頃 学習院初等科制服姿、カメラを斜め掛けして庭園を歩く継宮明仁親王殿下
1946年3月 学習院初等科卒業式の後、記念の催し物をご覧になっている明仁親王(手前)
1946年7月24日 沼津御用邸近くの海岸で海水浴を楽しまれる継宮明仁親王殿下
1946年10月 明仁親王と英語教師のヴァイニング夫人
1946年10月 学習院中等科にて英語の授業を受けられる明仁親王とヴァイニング夫人1
1946年10月 学習院中等科にて英語の授業を受けられる明仁親王とヴァイニング夫人2 隣の席にいる少年は橋本明氏である
1946年11月16日 砂かぶりで興味深く大相撲秋場所をご覧になる明仁親王殿下
1946年12月 卓球をされる学習院中等科時代の明仁親王
1947年頃? 「高雄型巡洋艦の模型」を手にしてあどけない笑顔を見せる継宮と義宮のお二人。叔父上にあたる高松宮殿下が巡洋艦高雄の分隊長をしていた縁でいただいたものかもしれない。
1947年頃の昭和天皇ご一家。左から厚子内親王、正仁親王、昭和天皇、貴子内親王、香淳皇后、和子内親王。写真に写っていない明仁親王が撮影したと思われる。
1947年5月28日 中等科2年、学友たちが見守る中、初めてテニスをなさる継宮明仁親王殿下
1947年頃、当時少しぽっちゃりしていた明仁親王。学習院のグラウンドで。
1947年頃、学習院にて、寒天培地をルーペで観察なさる明仁親王殿下
1947年10月30日、図版入りの本をご覧になる明仁親王殿下
1948年頃 継宮明仁親王殿下とヴァイニング夫人
1948年頃 にっこりと笑みを浮かべた継宮明仁親王殿下
1948年4月13日 京都大学白浜水族館に皇太子殿下ご来訪、標本を前に説明している左手の人物は、当時の実験所所長・宮地伝三郎教授
1948年5月 御所の中でスクーターに乗る明仁親王
比較:同じくスクーターがお好きだった昭和天皇
1948年 柱を背にして立つ明仁親王ポートレート
1948年 御所の庭で陽射しを浴びた明仁親王ポートレート
1948年 学習院の制帽をかぶり木に寄りかかった継宮明仁親王殿下ポートレート
1948年 学習院の制帽をかぶった継宮明仁親王殿下のやや下からのアングルによるポートレート
1948年 神宮競技場にてスポーツ観戦か?昭和天皇と継宮明仁親王殿下
1948年 御所の庭でボールを蹴る継宮明仁親王殿下
1948年 米軍関係者と握手される継宮明仁親王殿下と義宮正仁親王殿下
1948年 学友らとともに工場の作業場を見学?されている継宮明仁親王殿下
1948年 庭にたたずむ制服・制帽姿の明仁親王
1949年 明仁親王と祖母・貞明皇太后
1949年10月 メジャーリーグ3Aサンフランシスコ・シールズが戦後初来日で親善試合。フランク・オドール監督と握手をされる継宮殿下と義宮殿下
1949年12月26日 16歳を迎えられた継宮明仁親王殿下 弓道をたしなまれるご様子
1950年 昭和天皇ご一家
1950年ごろ 新聞を読む昭和天皇と明仁親王、明仁親王は16歳の誕生日に贈られたプレイドスーツ姿で訪問
1950年9月 妹・清宮(後の島津貴子さん)とソファに座った継宮のお写真
1950年9月24日 清宮、継宮、順宮の姉弟妹
1950年12月 白馬嶺雪号で障害越えを決める皇太子さま
比較:1927年(昭和2年)乗馬障害飛越をされる昭和天皇
1951年2月 蔵王へスキーに行かれたときにご学友と、あと旅先で知り合った女性たち?と記念撮影。一列め中央が橋本明氏、二列め左から肩を組んでいる千家崇彦氏と皇太子殿下、大久保忠恒氏。
1951年2月 同じく蔵王スキー旅行した男性学友仲間たちと記念写真。千家氏、皇太子殿下(当時)、大久保氏、橋本氏、そしてあと一人が猪谷千春氏(男性)。2009/4/19放送日本テレビ「皇室日記」で橋本氏がこの旅行について詳しく説明をしている。
橋本明・千家崇彦両氏は、学習院高等科3年当時「皇太子銀ブラ事件」を起こした仲間である。
1952年3月 学習院高等科卒業式、壇上でご両親である昭和天皇・香淳皇后が見守る中、卒業証書を受け取り檀から降りようとしている明仁親王
1952年 18歳頃の皇太子明仁親王
1952年4月 学習院大学へ進学された継宮さま
1952年4月24日 白馬で障害越えの美技を披露なさる明仁親王殿下
1952年8月 浅間山麓で乗馬をされる継宮(=今上陛下)と義宮(=常陸宮)のご兄弟。
1952年11月10日 成年式・立太子式を迎えられた明仁親王殿下下 カラー画像
1952年11月10日 成年式・立太子式を迎える継宮殿下当時18歳(読売新聞)
1952年11月10日 立太子の礼を終え、皇居仮宮殿バルコニーからお祝いに詰めかけた国民にお応えになる昭和天皇と香淳皇后と当時の今上陛下
1952年11月10日 成年式・立太子式を迎えた正礼装の明仁親王殿下
1953年 19歳頃の皇太子明仁親王
1953年3月30日から10月12日までの半年余りにわたり初の外遊。ヨーロッパ12か国および米国・カナダを歴訪。6月2日イギリス・エリザベス2世の戴冠式へ昭和天皇の名代として参列。これで単位不足になって進級できずに大学を中退されることになる。
1953年3月30日 英国エリザベス女王戴冠式のため渡英する皇太子殿下と、出発見送りにお出ましの両陛下
1953年3月30日 明仁親王殿下(当時満19歳)ハワイご訪問、歓迎の華やかなレイを首からかけられ歩む殿下とそれを和服姿で迎える地元日系の娘たち。プレジデント・ウィルソン号で横浜港を出発しハワイ・ニューヨーク経由で4月27日に英国ご到着。
1953年4月1日 エリザベス女王戴冠式のため渡英の途上、カナダにお立ち寄りの明仁親王殿下(Getty) / 同画像(LIFE)
1953年4月1日 エリザベス女王戴冠式のため渡英の途上、カナダにお立ち寄り、現地の歓迎と取材を受ける明仁親王殿下
1953年4月12日 カナダ空軍機の操縦席で乗り物好きな若者の笑顔を見せる皇太子さま
1953年4月 カナダ・ブリティッシュコロンビア州のフィールド駅にて歓迎の子どもたちと話す天皇陛下(当時皇太子さま)
1953年5月 英国ロンドンご訪問の継宮殿下
1953年 ロンドンにて
1953年 ロンドン在住日系人とのガーデンパーティにて
1953年9月 アメリカ訪問中ニューヨーク郊外のルーズベルト元大統領邸を訪れエレノア夫人と共に墓参りをする明仁親王
1953年9月14日 訪米中ペンシルベニア州フィラデルフィアの「自由の鐘」をご覧になる皇太子殿下
1953年9月21日 明仁親王殿下がコプレイスクエア・シェラトンプラザでのボストン・ジャパンソサエティ主催歓迎午餐会ご出席の折、請われてメニューに英語でご署名「Akihito」
1953年9月 訪米中にNYヤンキーススタジアムでナイターをご見学になる明仁親王。試合前に記念ボールを手渡しているのはケイシー・ステンゲル監督、その右は球団オーナー。手前左から球史を飾るスラッガーとして一時代を築いたミッキー・マントル選手、キャッチャーで後に監督も勤めたヨギ・ベラ選手。
1953年9月 バージニア州ウィリアムズバーグにてアメリカ産の牡蠣を賞味される明仁殿下の珍しいショット。
1953年9月30日 訪米中の皇太子殿下が「ミス・ユニバース」3位入賞の伊東絹子さんとハリウッドのMGM撮影所でご対面。同所で映画人230人列席の歓迎昼食会が開かれ、ユニバーサル映画に出演した伊東嬢も招かれていた。伊東絹子(1932年6月29日生まれ、身長164cm、体重52kg、スリーサイズは各86・58・97cm)が日本人初となる入賞(第3位)を果たし「八頭身美人」が当時の流行語となった。当時の20歳代日本人女性は平均身長153.9cm、平均体重49.6kg、平均バスト80.7cm。
1953年10月 エリザベス女王の戴冠式に昭和天皇のご名代として出席の皇太子さま(当時弱冠二十歳)
1953年10月 同上別画像、最前列で中央寄りという席次にも注目
1953年10月 同上英国ご訪問にて 帽子をあげて挨拶される皇太子殿下
1953年10月 昭和28年エリザベス女王の戴冠式に昭和天皇のご名代として出席のための欧米各国親善訪問の最後、ハワイで長旅の疲れを癒された(今上20歳の時)
船中においてマージャンを楽しまれる継宮
1953年10月 初の欧米ご訪問から帰国されたばかりの明仁親王を囲むご一家
乗馬をされる21歳当時の明仁親王
珍しく物を召し上がる瞬間を撮影された皇太子殿下
タバコを勧められて吸われる皇太子殿下
1955年 将棋をさす昭和天皇と皇太子明仁親王、二人を見守る香淳皇后
1955年3月31日 御所内のテニス競技会の準決勝でプレーする明仁親王殿下
1955年12月 昭和天皇ご一家
1955年12月 白衣姿で研究にいそしむ明仁親王殿下
1946年4月10日 八重洲の大丸百貨店にて開催された「山下清展」にて貼り絵をご鑑賞の皇太子殿下
1956年9月10日 香淳皇后の母・久邇俔子さんご逝去、新宿区西落合の久邇邸にて弔問を終えられた皇太子殿下
1956年10月 戦後初の国賓として来日されたエチオピアのハイレ・セラシエ皇帝を鴨場にてご接待の皇太子殿下、お二人とも網を手にダンディなお姿。横におられるのは三笠宮殿下
1958年2月23日 秩父宮ラグビー場にて、対早大戦前、ラグビー・オールブラックスの選手らと握手される皇太子殿下
1958年4月1日 恩賜上野動物園をご訪問、ゾウとふれ合われる皇太子殿下
1958年6月 乗馬で障害飛越をする皇太子さま
米『The San Francisco Examiner』紙 1958年6月18日号記事<日本の皇太子妃・最有力は元プリンセス北白川嬢>ゲラ刷り。左は故永久王第一王女で、1947年に臣籍降下した元皇族・北白川肇子嬢。
1958年 兵庫県六甲山行幸で十国展望台訪問の皇太子殿下。かなり至近距離からカメラに囲まれ、落ち着いて眺望を楽しむことはできなさそうである。
1958年8月 軽井沢のテニスコートで笑顔の皇太子さま
日テレ・みのもんたの「午後○○思いっきりテレビ」“今日は何の日2008/5/28”より、テニスの試合を通じて出合ったお二人、そして心に決めた正田美智子さんの写真を机に飾っていたというエピソードを紹介。
御成婚関連
『週刊明星』1958年11月23日号<内定した!?皇太子妃 その人正田美智子さんの素顔>海外報道で初めて知らされたという内容記事である
同上『週刊明星』1958年11月23日号<内定した!?皇太子妃 その人正田美智子さんの素顔>スクープ記事と目次(残念ながら小さくて記事は読めません)
1958年11月27日 「皇太子殿下の婚姻に関する件」が皇室会議において可決された旨を通知する公式文書。皇室会議議長をつとめた内閣総理大臣 岸信介の署名あり
1958年11月27日 ご婚約内定を報じる毎日新聞と読売新聞
1958年11月27日 「皇室会議全会一致で皇太子妃に正田美智子さんを承認」と報じる読売新聞の記事
1958年12月21日 ご婚約時代、東宮御所で皇太子様のアルバムをご覧になる正田美智子嬢。百花をあしらった総柄の豪華なお振袖姿
1958年12月21日 東宮御所の庭に出られて池の白鳥をご覧になるお二人
1959年4月5日 御成婚直前に公開された結婚の儀のご装束
1959年4月10日 御成婚当日の毎日新聞朝刊。奥に御婚約内定の産經新聞も
1959年4月10日 結婚の儀・束帯と十二単姿のお二人 / 同
1959年4月10日 朝見の儀
1959年4月10日 朝見の儀を終えご成婚された皇太子ご夫妻と昭和天皇、香淳皇后
1959年4月10日 同上画像、皇太子ご夫妻の部分のもう少し拡大したバージョン
1959年4月10日 建物の外に現れた皇太子殿下とローブデコルテ姿の美智子妃殿下
1959年4月10日 ご結婚パレード馬車上のお二人
1959年4月10日 同上馬車パレードでにこやかに手を振られる両殿下反対側アングル画像
1959年4月10日 ご結婚パレード馬車に投石の暴漢が現れる事件発生
ご婚約を報じる当時の読売新聞と毎日新聞第1面
ご婚約・ご成婚を報じる当時の産経新聞と毎日新聞第1面
ご婚約・ご成婚を報じる当時の毎日新聞第1面
『皇太子殿下御結婚記念グラフ』西日本新聞社、イラストを用いた表紙
皇太子殿下御成婚記念 昭和34年の額面5円・10円・20円・30円切手シート
イタリアの雑誌(誌名不明)<LA PICCOLA SIGNORA DEL SOL LEVANTE>振袖姿とテニス姿の正田美智子さん写真掲載記事
1959年4月12日 皇太子さまのご結婚を祝福されるご一家、義宮(常陸宮)さまと清宮さま(島津貴子さん)も
1959年4月19日 伊勢神宮参拝時のお写真 / 同上ロゴなし
1959年4月18日 伊勢神宮参拝。神馬を務める元愛馬「初霜」号と再会して、懐かしむご様子の皇太子殿下。美智子妃が手袋の上からお持ちなのはニンジン。地模様入り生地のドレスで、おそらく納采の儀で受け取った白生地の1反。
1959年4月19日 伊勢神宮ご参拝 動画キャプ画像
参考動画:Youtube 20050130皇室と伊勢神宮」
昭和34年(1959年)4月6日夜、赤坂プリンスホテルで開かれた学習院中等科高等科合同同窓会にて、皇太子と長話をした学友橋本明氏がその内容を同月8日共同通信で報道(別冊DELUX女性自身特別号 昭和41年11月1日発行にて再現記事)、そのことが“友情をタテに、仕事をするな”との考えを持つ皇太子の怒りを買う。同月26日東宮御所での皇太子・美智子嬢結婚披露宴に橋本氏も招待されるが、まだ怒りを解き切っていなかった皇太子と衝突することに。
別冊DELUX女性自身特別号 昭和41年11月1日発行<皇太子大いに怒る 学友という立場を利用した私の事情>今上陛下の学友であり共同通信社記者となった橋本明氏コラム
橋本氏コラム末尾には、一般庶民の正田美智子嬢を皇太子妃として迎え入れることで問題が生じる可能性に触れられ、それに対し皇太子自身が『女性自身』昭和40年(1965年)8月30日号に寄せられたご意見で締め括られている。
『女性自身』昭和40年(1965年)8月30日号に皇太子殿下(=今上陛下)が寄せられたご意見 「現在、美智子の、つねに日本国民のことを考え、自分のつとめに忠実たらんとしている姿をみて、この自分の考えが間違っていなかったと感じている」
同上『週刊明星』1958年11月23日号<内定した!?皇太子妃 その人正田美智子さんの素顔>スクープ記事と目次(残念ながら小さくて記事は読めません)
1958年11月27日 「皇太子殿下の婚姻に関する件」が皇室会議において可決された旨を通知する公式文書。皇室会議議長をつとめた内閣総理大臣 岸信介の署名あり
1958年11月27日 ご婚約内定を報じる毎日新聞と読売新聞
1958年11月27日 「皇室会議全会一致で皇太子妃に正田美智子さんを承認」と報じる読売新聞の記事
1958年12月21日 ご婚約時代、東宮御所で皇太子様のアルバムをご覧になる正田美智子嬢。百花をあしらった総柄の豪華なお振袖姿
1958年12月21日 東宮御所の庭に出られて池の白鳥をご覧になるお二人
1959年4月5日 御成婚直前に公開された結婚の儀のご装束
1959年4月10日 御成婚当日の毎日新聞朝刊。奥に御婚約内定の産經新聞も
1959年4月10日 結婚の儀・束帯と十二単姿のお二人 / 同
1959年4月10日 朝見の儀
1959年4月10日 朝見の儀を終えご成婚された皇太子ご夫妻と昭和天皇、香淳皇后
1959年4月10日 同上画像、皇太子ご夫妻の部分のもう少し拡大したバージョン
1959年4月10日 建物の外に現れた皇太子殿下とローブデコルテ姿の美智子妃殿下
1959年4月10日 ご結婚パレード馬車上のお二人
1959年4月10日 同上馬車パレードでにこやかに手を振られる両殿下反対側アングル画像
1959年4月10日 ご結婚パレード馬車に投石の暴漢が現れる事件発生
ご婚約を報じる当時の読売新聞と毎日新聞第1面
ご婚約・ご成婚を報じる当時の産経新聞と毎日新聞第1面
ご婚約・ご成婚を報じる当時の毎日新聞第1面
『皇太子殿下御結婚記念グラフ』西日本新聞社、イラストを用いた表紙
皇太子殿下御成婚記念 昭和34年の額面5円・10円・20円・30円切手シート
イタリアの雑誌(誌名不明)<LA PICCOLA SIGNORA DEL SOL LEVANTE>振袖姿とテニス姿の正田美智子さん写真掲載記事
1959年4月12日 皇太子さまのご結婚を祝福されるご一家、義宮(常陸宮)さまと清宮さま(島津貴子さん)も
1959年4月19日 伊勢神宮参拝時のお写真 / 同上ロゴなし
1959年4月18日 伊勢神宮参拝。神馬を務める元愛馬「初霜」号と再会して、懐かしむご様子の皇太子殿下。美智子妃が手袋の上からお持ちなのはニンジン。地模様入り生地のドレスで、おそらく納采の儀で受け取った白生地の1反。
1959年4月19日 伊勢神宮ご参拝 動画キャプ画像
参考動画:Youtube 20050130皇室と伊勢神宮」
昭和34年(1959年)4月6日夜、赤坂プリンスホテルで開かれた学習院中等科高等科合同同窓会にて、皇太子と長話をした学友橋本明氏がその内容を同月8日共同通信で報道(別冊DELUX女性自身特別号 昭和41年11月1日発行にて再現記事)、そのことが“友情をタテに、仕事をするな”との考えを持つ皇太子の怒りを買う。同月26日東宮御所での皇太子・美智子嬢結婚披露宴に橋本氏も招待されるが、まだ怒りを解き切っていなかった皇太子と衝突することに。
別冊DELUX女性自身特別号 昭和41年11月1日発行<皇太子大いに怒る 学友という立場を利用した私の事情>今上陛下の学友であり共同通信社記者となった橋本明氏コラム
橋本氏コラム末尾には、一般庶民の正田美智子嬢を皇太子妃として迎え入れることで問題が生じる可能性に触れられ、それに対し皇太子自身が『女性自身』昭和40年(1965年)8月30日号に寄せられたご意見で締め括られている。
『女性自身』昭和40年(1965年)8月30日号に皇太子殿下(=今上陛下)が寄せられたご意見 「現在、美智子の、つねに日本国民のことを考え、自分のつとめに忠実たらんとしている姿をみて、この自分の考えが間違っていなかったと感じている」
御成婚後
1959年5月 東京ローンテニスクラブにて
1959年5月 テニスのダブルスをするお二人
1959年7月19日 青山の国立テニス場にて日本庭球協会主催の奉祝試合。この4日前の15日、一部マスコミが「美智子妃ご懐妊」を報じた後初めての外出。実際に宮内庁が正式発表したのはこの2ヶ月先(妊娠5ヶ月)。爽やかなストライプのお召し物に葉っぱのような飾り付帽子の清宮内親王、前にバラの飾りにネットを張ったトーク帽の美智子妃。二人に交互に話をなさって気遣う皇太子殿下と、美智子妃と内親王の表情に注目。
詳細不明 宮中晩餐会
1959年6月7日 皇太子殿下御成婚慶祝コリー祭りにて
1959年10月5日 伊勢湾台風の被害視察のため、三重県鈴鹿市にご到着、ヘリから降りられた長靴姿の皇太子殿下
1959年11月 浩宮が誕生する4ヶ月前、葉山海岸にて静養する両殿下と愛犬アナスタシア
1959年11月 葉山海岸にて身重の美智子妃に手を差し伸べる皇太子殿下
1960年1月4日 ご一家の姿を8ミリで撮影される皇太子殿下、弟義宮(後の常陸宮)殿下と妹清宮殿下もご一緒。
1960年2月23-24日 新宮(浩宮)ご誕生。新宮と対面し、宮内庁両院を出て来られた皇太子殿下(2月23日)、祝賀の礼装で宮内庁病院にお入りになる皇太子殿下(2月24日)
1960年か1961年頃 東京ローンテニスクラブの紺ジャケットでペアルックの皇太子両殿下。右側看板に「MEMB(ERS ONLY?)」「軽井沢会」「ご遠(慮下さい?)」の文字が見えるので軽井沢での静養か?
1960年7月18日 那須御用邸静養のため黒磯駅に来賓用列車でご到着、歓迎を受けお手振りで応えられる美智子妃。小花がたくさんついた帽子と、小さなリボンつきパンプスをお召し。傍には生後5ヶ月の浩宮を抱いている女官がいる。
1960年夏 那須御用邸にて浩宮を乳母車に乗せて散策されるご一家
1960年夏 那須御用邸にて生後5ヶ月の浩宮を抱く美智子妃
1960年 テニスウェアでベンチに座る皇太子殿下
1960年8月 ご静養先で揃って白いテニスウエア姿のお二人
1960年9月 日米修好百周年を記念して訪米される直前の明仁皇太子殿下公式ポートレート
1960年9月 日米修好百周年を記念して訪米される直前の美智子皇太子妃殿下公式ポートレート
1960年 お着物を替えて別ポートレート撮影?和服姿で椅子に腰掛けたポーズの美智子さまとスーツ姿で傍らに立つ皇太子さま
訪米関連写真は、LIFEにて「Akihito」等で検索すると高画質写真を大量に閲覧可能。
1960年 訪米前後のインタビューか?緊張した表情の両殿下。
1960年9月1日 ホワイトハウスでアイゼンハワー米大統領夫妻と会われる皇太子両殿下。大統領は美智子妃の美しさをしきりに絶賛。 高画質
1960年9月 同上時期、ハーター米国務長官夫妻によるレセプションにて。お里帰りの時と同じお着物をお召しの美智子妃。 高画質
1960年9月 サンフランシスコのミュアウッズ国定公園(Muir Woods National Monument)ご訪問の両殿下。優美な姿で歩かれる美智子妃。
1960年9月22日〜10月7日 皇太子明仁親王・美智子妃殿下ハワイご訪問。日米修好百周年記念でアメリカ合衆国より招待されたもの
1960年9月28日 アメリカのディズニーランドにてディズニー夫妻直々の案内で回転ティーカップに乗る皇太子両殿下(当時)。生後7ヶ月の浩宮をおいての渡米に沈んだ表情の美智子妃
同上、ディズニーランドにてミニカーのようなものに乗られる両殿下
同上、舟のような遊具(ピーターパンか?)に乗られる両殿下
訪米時、ワシントンDCのポトマック川を航行するマウント・ヴァーノン号にて
ワシントンで、オープンカー上で立ち上がる美智子さま(降車する瞬間か)
ロサンゼルスの両殿下
ロサンゼルスにて、お茶目な表情の美智子さま
1960年10月 両殿下訪米、ヤンキーススタジアムを再訪問、試合前にボールを投げる皇太子明仁殿下。左はケイシー・ステンゲル監督。
1960年10月 アメリカ公式訪問の両殿下、ハワイの海岸にて撮影。皇太子さまは白いスーツ、美智子妃は和服姿
ホノルルの両殿下(サンフランシスコのようだが、キャプションはホノルルとなっている)
ホノルルの両殿下、何かの式典か礼装姿の両殿下。
ホノルルにて、美智子さまの横顔
1960年 浩宮誕生記念写真展においでの両殿下、眼鏡をかける途中?の皇太子様の表情がお茶目である。
1960年 詳細不明 籐椅子に腰かけ海外の雑誌を手にして笑顔の皇太子殿下
1960年ごろ 劇場ご台覧の両殿下、紅葉柄着物姿の美しい愛妻を愛おしそうに見つめる皇太子様
1960年 エチオピアご訪問で狩猟地域を案内される両殿下。エチオピア王妃と手をつながれる美智子さま
1960年11月 イランご訪問
1960年11月15日 イランご訪問でパーレビ国王主催の晩餐会。皇太子殿下はホワイトタイにコート、美智子妃殿下はご成婚時のローブデコルテとストールを着回し。9月渡米後にイラン他4カ国一度にご訪問と超多忙。浩宮出産後9ヶ月でこのドレスが着られるまでお痩せに。【ローブデコルテ】
茶色のストライプスーツの皇太子さまと淡い黄色のお召し物の美智子さま
軽井沢にてテニスのお二人
時期不明 東宮御所の池の鯉に餌を与える皇太子さまと和服姿の美智子さま
1961年1月? 玩具のトラックにつかまり立ちしている浩宮と、それを見守る昭和天皇・香淳皇后・皇太子同妃両殿下・常陸宮殿下
1961年1月19日 皇太子殿下、浩宮とともに正田家にお里帰りされた美智子妃殿下
1961年6月24日 葉山海岸にて浩宮に長靴を履かせる美智子さまとそれを見守る皇太子さま(当時)
1961年6月24日 葉山御用邸静養の海岸にて、ご両親(現在の両陛下)に足を洗ってもらう浩宮
1961年8月28日 軽井沢ご静養に向かう駅での皇太子ご夫妻とご両親と両手をつないで歩く浩宮、真ん中後方に義宮(後の常陸宮)さまも
1961年夏? 軽井沢ご静養での軽井澤基督教書店前にて謹写、テニスウエア姿の皇太子同妃美智子両殿下
1961年10月 立山黒部貫光鋼索線(立山ケーブルカー)にご試乗、美女平ヘ向かわれる皇太子同妃両殿下(立山駅ホーム)
1961年10月 立山連峰・天狗平にて絵画の様にお美しい両殿下
1961年11月5日 「朝萩号」にて馬術障害競技にご出場の皇太子殿下と、ニンジンを手にした美智子さま
1962年1月31日 東南アジア歴訪インドネシアご訪問、大統領官邸での皇太子同妃両殿下
1962年1月31日 東南アジア歴訪インドネシアご訪問同上大統領官邸、皇太子同妃両殿下とスカルノ大統領(左)、手前の鉢のランには美智子妃殿下の名前がつけられた
1962年1月31日 東南アジア歴訪インドネシアご訪問、カリバタ英雄墓地をご参拝の皇太子殿下
1962年2月 インドネシアご訪問された際の写真。インドネシア側は少年少女合唱団が日本の「サクラサクラ」を歌って歓迎したとのこと
1962年2月23日 2歳の誕生日、ご両親の皇太子夫妻に手を引かれ、皇居に誕生日のあいさつに向かう浩宮
1962年3月2日 葉山御用邸静養でのご一家、ナルちゃんを先頭にして手もつながずに歩いているところに注目
1962年3月2日 葉山御用邸静養の一式海岸にて、浩宮と手をつながれる皇太子さまと美智子さま
1962年 森林総合研究所九州支所をご視察の両殿下
1962年5月2日 宮崎県の青島海岸、棕櫚の木の下で
1962年5月2日 同上宮崎県宮崎市青島海岸をご訪問の皇太子同妃両殿下カラー画像
1962年6月6日 上野動物園ご訪問、フラミンゴをご覧になっている皇太子同妃両殿下
詳細不明 白いお召し物がファッショナブルな皇太子ご夫妻。強い日差しから目を守るためのサングラスと青い大きな帽子に手袋も見事に身につけられる美智子さま
静養への移動電車、父皇太子さまに横抱っこされている浩宮にエレガントなお帽子とワンピース姿の美智子さま
1962年夏? ご静養先へ移動する駅にて、先を歩く皇太子さま、そして手つなぎで歩く母美智子さまと浩宮
1962年8月4日 沼津御用邸での散策で石から降りようとする浩宮と手を繋ぐ美智子妃、それを見守る皇太子様
1962年8月4日 沼津御用邸での散策にて、美智子妃の髪についているゴミを皇太子殿下が取られる有名な写真の全体。皇太子殿下の傍には、帽子を手にしている浩宮が。美智子妃のワンピースには大きなポケットがついており、ハンカチなど子供に必要な物がたくさん入るよう工夫されています。
1962年 軽井沢静養にて皇太子様が運転、助手席に美智子様が座りドライブ
1962年 昭和37年志賀高原で。どこか初々しいご夫婦の姿(今上陛下28歳、美智子皇后陛下27歳)
1962年 同上志賀高原、双眼鏡で遠くを眺める皇太子殿下と、同じくその方向を見つめる美智子さま
1962年9月17日 大原美術館で収蔵作品を鑑賞される両殿下
1962年10月27日 野球観戦をされる皇太子同妃両殿下
1962年10月30日 秋の園遊会。左から美智子妃、皇太子、昭和天皇、香淳皇后、義宮。香淳皇后と話をしているのは島津貴子さん
1962年11月5日 東宮御所車寄せにて、フィリピンご訪問からご帰国、両殿下を出迎えた浩宮を抱きあげる美智子さま(よみうり写真館)
ダンディーなコートとマフラー姿の皇太子さまと、ファッショナブルなコートとお帽子姿の美智子さま
1963年1月1日 新年ご一家写真として「三度目のお正月」と見出しが添えられたグラビア。小さな体がソファに沈み込み、足が浮き上がったちょっとお行儀の悪い格好になっている浩宮。常陸宮と香淳皇后と美智子妃はにこやかに見守っているが、昭和天皇と皇太子(当時)はやや硬い表情である。
1963年3月4日美智子妃第二子ご懐妊発表されるも胞状奇胎のため同月22日流産。この後バッシングもあり三ヶ月の静養生活に入られる。
1963年4月17日19:00、美智子妃は両陛下に挨拶をされてから皇太子様と共に葉山御用邸へ移動、翌日皇太子様は帰京され美智子妃は一人ご静養に。7月2日に一旦帰京後、同月8日に軽井沢静養へ出発。
1963年7月8日 ご静養へ向かう軽井沢駅での皇太子ご一家。どこか弱々しい笑顔の美智子様
1963年8月6日、戸隠高原のガールスカウトのアジア大会のお別れキャンプ・ファイヤーにご参加。前日より軽井沢プリンスホテル→野尻湖ホテルにご夫婦で投宿、8ヶ月ぶりのご公務。その後8月末に帰京。
1963年10月23日 皇太子さまのご提案による二泊三日の奥日光旅行、少年時代の殿下にとって思い出深い学習院光徳小屋でお過ごしになり、美智子さまは流産後の心身を癒された
1963年10月 学習院光徳小屋の簡素なテラスにてお二人揃って記念写真
1963年10月23日 同上奥日光の光徳小屋で二泊三日のご静養、紅葉の中を散策される両殿下
1963年11月26日 聖イグナチオ教会にてケネディ大統領追悼ミサにご出席の皇太子ご夫妻、この頃美智子様も公務に復帰されている
1963年12月20日 東宮御所にて愛犬とご一緒に撮影された皇太子殿下30歳お誕生日画像。犬はオーストラリアから贈られた野生犬「ディンゴ」と思われる。後年病気が心配で姉上池田厚子さんの動物園に引き取られたとのこと。
1964年1月10日 宮中歌会始(お題は“紙”)。現在よりも皇族の出席者は少ない。
1964年1月26日 箱根の駒ケ岳スケートリンクにて第19回冬季国体スケート競技ご観戦の皇太子同妃両殿下、美智子さまは防寒フードつきのお召し物。
1964年2月22日 浩宮4歳誕生日画像として撮影されたお父様と腕相撲をする浩宮、笑顔で見守る母美智子さま
1964年3月 二泊三日の房総半島巡り家族旅行で地元の子どもたちから花束を受け取っているところ
1964年頃 おそらく浩宮幼稚園入園日かと推測される写真
1964年5月 皇太子同妃時代に公式訪問された時の写真(写真提供=タイ字紙マティチョン)
1964年5月 タイご訪問にて、プミポン国王およびシリキット王妃にカーティシーでご挨拶なさる美智子さま / 同連結画像
1964年7月23日 東久邇成子さんの三回忌、昭和天皇・香淳皇后(席は確認できるがお姿は写っていない)もご出席。秩父宮妃は洋装、美智子妃は黒留袖姿。
1964年8月 八方尾根に登山される皇太子ご夫妻
1964年8月 軽井沢でテニスの際、ベンチで休む両殿下。美智子さまは肩にハンカチをあてていらっしゃる。野次馬が大量にいるからか、皇太子殿下も苦笑い
1964年8月 同上、ダブルスを組む両殿下
1964年8月 同上、フェンスに手をかける美智子さま
1964年10月3日 学習院幼稚園運動会にて、ネクタイ姿でとんがり帽子をかぶり父親ペア競走に参加する皇太子殿下
1964年10月4日? 学習院幼稚園運動会に参加される皇太子ご一家。しかし浩宮は「カゼをひかれたあと」とかで、ござの上にごろりと一人だけ寝転がったりも。
1964年10月 東京オリンピックでレスリングをご覧になる皇太子同妃両殿下
1964年10月 水泳競技大会をご台覧の皇太子同妃両殿下。妃殿下の御席の左横には無造作に取材陣のカメラが。貴賓席で足を組む婦人にも注目。
1964年11月 障害者スポーツ大会(東京パラリンピック)開会式、車イスを連ねた選手達の入場行進を貴賓席からごらんになる名誉総裁の皇太子両殿下
1964年11月 同上障害者スポーツ大会にご臨席された皇太子夫妻と香淳皇后
皇太子(=今上陛下)ご一家房総半島旅行の宿泊先旅館で、スリッパを出されたもののどうしていいか分からず長いこと立ち竦んでいた浩宮徳仁親王ことナルちゃん。ご両親に質問してみるとか真似をしてみるとかの知恵が働かないごゆっくり風味エピソードである(2007/11/7 TBS皇室特番より)
1965年4月 羽田空港でラオス皇太子ご夫妻をお見送りのお二人
1965年4月 羽田空港でラオス皇太子ご夫妻をお見送り別画像。この後美智子妃の礼宮様ご懐妊が発表される
1965年5月5日 ご成婚祝いで全国から寄せられた御祝金で横浜こどもの国を設立、開園式典光景(JNN2009/12/19より)
1965年5月 生花展をご覧になるお二人
1965年8月17日 軽井沢・峯の茶屋にて美智子妃(礼宮様ご懐妊中)手作りお弁当を広げる皇太子ご一家。茶屋休憩でもガラスコップに草花を活け飾ってある所ときちんと隙なく揃えられている美智子様のおみ足に注目
1965年11月30日 新宮(礼宮)ご誕生。美智子さまをお見舞い、新宮とご対面のあと、車で宮内庁病院を後にされる皇太子殿下と浩宮
1966年3月 ナルちゃん学習院幼稚園卒園式、ご両親である皇太子さまと美智子さま揃ってご出席
1966年3月 前年11月に誕生した礼宮をベビーカーに乗せ浩宮が押す係となって東宮御所庭を散策されるご一家。皇太子殿下はビシッとスーツ姿、美智子様は和服姿であるところも注目
1966年3月29日 横浜マリンタワーと氷川丸をご見学の皇太子ご一家。第2子礼宮様ご出産後4ヶ月で既にこのスタイルの美智子妃
1966年7月25日 国鉄上野駅ホームにて、軽井沢ご静養に向かうために臨時急行「浅間高原号」にお乗りになる皇太子ご一家。礼宮殿下は女官が抱いていて、その後ろには牧野純子東宮女官長の姿も。
1966年8月7日 岡山県日本原の高原にて第4回日本ジャンボリーにご出席。欧州外遊仕込みのスマートさで、車から降りられる美智子妃の手を取られる皇太子殿下。
1966年8月13日 皇太子ご一家団欒風景。ライオンのぬいぐるみを背にしている礼宮
『女性自身』1966年8月22日号<皇室特集 愛と喜びの21年史 幸せのきずな>表紙・グラビア
1966年12月 鎌倉にてテニスをなさる皇太子ご夫妻
1967年 南米ご訪問に出発されるご両親を見送りに手をつないで東宮御所玄関前に登場する浩宮礼宮兄弟。後ろにご両親皇太子同妃両殿下の姿が見える。玄関前で迎えているのは浜尾実東宮侍従。
1967年 南米ご訪問に出発されるご両親を見送る浩宮7歳と礼宮2歳
1967年7月25日 乗鞍岳登山をされる皇太子ご一家。まだ2歳にもならない礼宮様はお留守番。珍しく長い髪を三つ編にして後ろへ垂らしている美智子妃
1967年7月25日 同上乗鞍岳登山のご一家
1967年10月 島根県ご旅行中、古寺の石段を寄り添って降りられるお二人
皇太子さまと水玉模様のお召し物とターバン姿の美智子さま
1967年11月 皇太子さまご一家と2匹のリクガメ
1967年12月 昭和天皇ご一家元旦発表映像撮影、昭和天皇のいちばん近くにアーヤちゃんが
1967年12月 同上元旦ご一家映像撮影より、雑誌掲載カラーグラビア“おめでとう”ってアーヤもいえたよ
時期不明、皇太子殿下と美智子妃殿下のツーショットポートレート。完璧としか言いようの無い美しい和服姿の美智子さま
1968年4月5日 羽田空港にて、九州ご旅行へ出発される皇太子ご夫妻を見送りする浩宮8歳
1968年6月3日 横浜こどもの国へお出ましの皇太子(当時)ご一家、水遊びする浩宮と礼宮(よみうり写真館)
1968年7月 福島県の国立公園大会にて談笑される皇太子ご夫妻。Vネックのインナーを合わせるのは美智子妃の定番スタイル。皇太子殿下は黒白チェックのチーフを胸に。
1968年7月 福島県裏磐梯にて、手に手をとり歩まれるお二人の仲睦まじい光景
1968年8月5-10日 奥浜名湖ご静養(画像キャプションは7月だが浜松市HP動画で8月と確認できる)西気賀保養所でご滞在。5日午後、これから海水浴に出かける皇太子ご一家。地元の子供達と一緒に水泳を楽しまれた。この翌日6日に礼宮殿下はナマズと初めての出会いをされる。
1968年8月5-10日 同上奥浜名湖ご静養別画像
1968年8月5-10日 同上奥浜名湖ご静養別画像
1968年8月5-10日 奥浜名湖ご静養にて手ずから舟の櫓をこがれる皇太子殿下
1968年8月5日 奥浜名湖ご静養、船からゴムボートに乗り移ろうとする浩宮と、それを見守る美智子さま
1969年1月2日 新年一般参賀、美智子妃はこの時同年4月ご誕生の紀宮さまをご懐妊中。
1969年3月1日 「着帯の儀」の前と説明があるが9ヶ月の戌の日もこのように言い表すのかは不明(着帯の義は通常5ヶ月目に行う)。東宮御所にて皇太子殿下にご自分で縫われた産着などをお見せする美智子妃。ひな祭りに合わせ桃と菜の花が花瓶に活けてある。机の上にはデンデン太鼓やお人形など。ベビードレスを着せた籐製トルソーの頭部にはバラが飾られている。
1969年夏 軽井沢の牧場を一家でご訪問、白ウサギを抱っこする美智子さまと礼宮さま。後の佳子さまデコポンタンにつながるおでこちゃんぶりが確認できる連結画像。
1970年3月 行川アイランドに一泊ご旅行の東宮ご夫妻と礼宮さま
1970年2月20日 マレーシアの王宮にてムアザム副王主催の夕食会。前国王令息のラジャ・ムダご夫妻と歓談される皇太子同妃両殿下。果物がはっきり映るほどに磨かれたテーブルに注目。美智子妃と語らうラジャ・ムダ氏は嬉しそうなご表情。
1970年4月17日 オランダ・ベアトリクス王女(当時)とクラウス殿下が訪日、和服姿の東宮ご一家とご歓談。
1970年7月24日 静岡県浜名湖で和船に乗られる皇太子ご一家と鷹司和子さん(昭和天皇の第三皇女)。和子さんは夫・平通氏と死別しており、皇太子ご一家の思いやりが感じられる。後ろ姿が皇太子か、逞しい腕に注目。
1970年7月24日 浜名湖ご静養、ご家族で和船に乗り海水浴を楽しまれる皇太子ご一家と鷹司和子さん。船からジャンプして湖に飛び込む浩宮
1970年8月31日 ご静養を終えて帰京、国鉄上野駅に到着された皇太子ご一家。浩宮が紀宮を抱いている。浩宮と礼宮はお揃いの半袖白シャツに灰色半ズボン。美智子妃が紀宮様ご出産前からお召しのスーツは膝上丈スカート。
1970年11月8日 子供用テーブルセットで折り紙を折る礼宮と紀宮、浩宮は読書。子供たちを見守られる両殿下(当時)。兄弟お揃いのシャツとセーターに注目
1970年12月14日 東宮御所の和室にて歌留多競技大会に向けて浩宮を相手に札取りの練習をされる皇太子殿下。読み人(朗詠役)の美智子妃は着物をお召し。
1971年1月 昭和天皇ご一家画像、チョークのようなものを手に悪戯っ子の表情をしている礼宮が昭和天皇の傍らに
1971年1月 ご一家別Ver.画像、アルバムのようなものを見て楽しんでいる光景
1971年ごろ 昭和天皇ご一家画像
1971年1月1月 昭和46年正月、新年祝賀の儀でお揃いの皇族方
後列左から、宜仁親王、寛仁親王、高松宮、秩父宮勢津子妃、高松宮喜久子妃、三笠宮、三笠宮百合子妃。
前列左から、常陸宮華子妃、皇太子(=今上陛下)、美智子皇太子妃、常陸宮。
1971年6月3日 東京都港区元赤坂で、3人のお子さまたちに見送られアフガニスタンへ出発される両殿下
1971年6月 アフガニスタンのバーミヤン遺跡をご訪問された皇太子両殿。足元が非常に悪いのにローヒールとはいえパンプスでエレガントな所作の美智子妃。
1971年6月 同上アフガニスタンのバーミヤン遺跡をご訪問された皇太子両殿下。歩くだけでも大変な巨大遺跡なことがよく分かります。
1971年7月 長野県と山梨県ご訪問。上:場所不明。お話をお聞きになる両殿下/下:長野県八ヶ岳農場にて。長靴を履いておられる美智子妃の珍しい写真。暑いので顔が汗で光っている。美智子妃はピンクのブラウスにお揃いのエプロンをお召しか?(チュニックかも)。上写真では後ろにリボンが見える。
1971年11月10日 京都大学白浜水族館ご訪問の両殿下
1971年11月 来日したタイのラチワロンコン皇太子とご歓談される皇太子ご夫妻と同席のお子様三人。今上・浩宮・礼宮・紀宮は着物姿、美智子さまは恐らくタイシルクを用いたお召し物を身に着けている
1972年2月 苗場スキー場にてさりげないペアのスキーウェアでスキーを楽しまれる皇太子両殿下
1972年4月5日 ご成婚記念で作られた横浜こどもの国にお出ましする皇太子ご一家五人
1972年4月5日 こどもの国にてポニーと触れ合う皇太子ご一家5人
1972年9月 徳之島にて、磯辺で皇太子殿下が見つけられた物を一緒にご覧になる美智子妃殿下。籠をお持ちの美智子妃は長靴姿、魚類学がご専門の皇太子殿下はジャンパーがずり上がっているのも気にならないほど夢中なご様子。
1972年冬 雪道で尻もちをつかれる皇太子さまと心配そうな美智子さまと手を差し出す礼宮と突っ立って見ているだけの浩宮
1973年5月 オーストラリアの高官を揃って和服姿でご接待される皇太子さまと美智子さま。お子様方も一緒に。
1973年8月1日 三重県伊勢市で開催された全国高校総体の総合開会式、放鳩式で貴賓席に迷い込んだハト一羽を保護し机上に乗せている美智子さま
1974年 宮内庁の正式依頼を受けて作成された宮永岳彦画伯による皇太子・皇太子妃両殿下の肖像画(ブラジル・サンパウロ市日本文化協会所蔵)
1974年 翌春のネパール国王戴冠式に出席するための勉強をしている両殿下
1990年に全国の松坂屋で開かれた宮永岳彦画伯展覧会のパンフレットより。明治以降、宮内庁に正式に許可された肖像画はこの作品のみで、この展覧会が日本での初里帰り公開だと説明書き。
1974年11月 来日したベルギー国王・王妃両陛下の前でピアノを弾く浩宮(14歳)と皇太子ご一家。楽譜はブルグミュラー練習曲2番「アラベスク」。紀宮様がお持ちなのはベルギー王室からプレゼントされた水色ワンピースを着た大きなクマのぬいぐるみ
1975年1月 池の畔で撮影された新年のご一家、やんちゃそうな礼宮と池の水を触ってみる紀宮
1975年3月22日 全国発明工夫展授賞式にて
1975年5月 エリザベス女王来日、美智子さまがカートゥシーでお出迎えされる場面
1975年5月 イギリス・エリザベス女王来日を東宮御所前にて出迎える皇太子ご一家、6歳になった紀宮殿下がお車に向かってカーティシーをされる。
1975年5月 同上、車から降りられた女王陛下と歓談されるご一家
1975年5月 来日したエリザベス女王とご一家画像
1975年 父昭和天皇がアメリカご訪問中、国事行為代行として署名する皇太子殿下
1975年 昭和天皇・香淳皇后からの訪米土産を手に笑顔の礼宮と紀宮、それを見守る皇太子ご夫妻と浩宮と常陸宮ご夫妻
1975年7月17日 沖縄海洋博覧会の開会式に名誉総裁としてご臨席のため沖縄県行啓。島尻郡豊見城(現・豊見城市)に残る旧日本帝国海軍沖縄方面根拠地隊司令部の地下壕で参謀室をご視察される皇太子さま(当時)と美智子さま
1976年 16歳のナルちゃんと皇太子同妃両殿下
1976年6月8日 東宮御所車寄の皇太子同妃両殿下
1976年6月 イギリスご訪問。マンスフィールド伯爵家の晩餐会で音楽会をお楽しみの光景。まるで一幅の絵画のよう。
1976年 イギリス訪問、ウェールズのディープ・ネビゲイション炭鉱を視察される皇太子さま
1976月6月18日 英国ご訪問アスコット競馬場にて女王陛下と乗馬を楽しまれたのち歓談される乗馬服姿の皇太子両殿下。左から皇太子、一人おいて美智子妃、エリザベス王太后、エリザベス女王、ケント公
1976年7月5日 多摩御陵ご参拝、この当時すっかりやつれてしまった美智子妃
1976年7月27日 第18回自然公園大会ご出席で高知県行啓、足摺海底館を視察される皇太子殿下同妃殿下
オーストラリアご訪問(?)、コアラとお二人
1977年1月? 庭園にて撮影された新年ご一家画像、浩宮を身長で追い越しそうな半ズボン姿の小学生の礼宮
1977年3月22日 全国発明工夫展授賞式、受賞学生とともに展示をご覧になる両殿下
1977年6月 イギリス大使館開催のパーティ?詳細不明。美智子さまの着物は水色のぼかし地に金糸銀糸刺繍入り笹竹と流水模様、ダイヤの帯留で華やかな雰囲気に。
1977年8月 浜名湖にて静養のご一家。皇太子殿下と浩宮はお揃いの袴和装、美智子妃殿下は大きな花模様をあしらったフリルロングスカート、礼宮は半ズボンで紀宮はサロペット姿。
1978年5月 国賓として来日したネパールのビレンドラ国王同妃アイシュワリャ両陛下の歓迎式典に昭和天皇のご名代としてご出席の皇太子両殿下。ビレンドラ国王とアイシュワリャ王妃の二人は'01年6月1日王族銃乱射虐殺事件の犠牲者となった。
1978年5月 ネパール国王両陛下を迎えての宮中晩餐会、風邪を引かれた昭和天皇のご名代を務められる両殿下
1978年 ブラジルから帰国された皇太子同妃両殿下、それを出迎える浩宮礼宮紀宮、紀宮はお母さまに抱きついて嬉しそう。
1979年1月1日 新年ご一家画像、紀宮を抱きしめる格好の礼宮の仲良し兄妹、浩宮は常陸宮に尻を向けた格好に
1979年1月1日 同上新年ご一家画像、池の畔で撮影されたもの
1979年8月 軽井沢の石尊山に登山される皇太子ご一家。皇太子ご夫妻と紀宮は登山靴、浩宮と礼宮はスニーカー。母娘はチェック柄シャツでお揃い。皇太子殿下は非常に珍しいTシャツ姿。
1979年10月5日 オランダ公式ご訪問でユリアナ女王陛下(当時)・ベアトリクス王女殿下(当時)・クラウス殿下と。ブラックタイの皇太子殿下と優美な白いケープドレス姿の美智子さま / 同モノクロ画像
1979年10月 オランダ公式訪問、ヘットアウデローの庭園を馬車で散策されるベアトリクス女王・ヨハン・フリーゾ王子そして美智子妃
1980/1981/1982年 新年ご一家画像
1980年2月23日 浩宮成年式の祝宴、浩宮と父皇太子殿下はピンズ形式の略綬をご着用。祝辞を受けられたのか、客人にお辞儀をされる母美智子妃殿下。浩宮のもみあげと撫で付けた髪型に注目。下は成年式記念扇の銀製ボンボニエール。
1980年4月15日 スウェーデン国王ご夫妻を東宮御所に迎えおもてなし。秩父宮妃勢津子殿下もご同席、浩宮が不在の理由は不明。
1980年10月28日 スペイン カルロス国王・王妃が国賓として来日。迎賓館での歓迎式典で国王にカーティシーなさる美智子さま
1981年9月24日 インドネシアの子ども使節団とお言葉を交わされる美智子さま
1982年1月17日 蔵前国技館にて相撲ご観戦のため力士らの出迎えを受けられる皇太子ご一家。浩宮の髪型に注目
1983年2月21日 市川市の新浜鴨場のご一家。放鳥される礼宮さまと紀宮さま
1983年2月21日 同上新居浜鴨場、ご一家部分アップ(魚拓)
1983年3月13日 ベルギーご訪問の両殿下
1983年11月9日 レーガン大統領歓迎式典に向かわれる両殿下
1984年4月10日 銀婚式を迎えられ記者会見でお互いに「努力賞」「感謝状」と語るお二人
美智子さまが右胸につけられているのは麦の彫金ブローチ。デザイナー植田いつ子氏と親交のあった彫金作家藤原友彦氏作で、「実り」を象徴するものとして美智子さまより依頼されたもの。後に結婚50周年金婚式記者会見でも身につけられることになる。
1984年4月22日 皇太子ご夫妻銀婚式のお祝いのため昭和天皇と香淳皇后が東宮御所を訪れる。画像は庭園散策のご一家(浩宮は英国留学中で不在)
1984年8月 軽井沢散策のご一家
1984年10月4日 伊勢神宮の神馬「狭霧号」と皇太子同妃殿下
1984年11月 今上陛下(当時の皇太子殿下)もご執筆された『日本産魚類大図鑑』をご覧になるご一家
1985年8月 石川県行啓、皇太子ご夫妻と福祉施設視察をされる紀宮
1986年2月 ボストンフィルハーモニー交響楽団のパーティーにご出席の皇太子同妃両殿下。皇太子殿下の茶色ネクタイと、美智子妃殿下の茶&白で斜めに切り替えた大量のタックやドレープを取ったドレスで色合わせ。
↑と同じときか?、ダンスの最中、顔を近づけて目を交わして微笑まれる両殿下
1986年4月8日 子宮筋腫手術後の美智子さまと退院を迎える皇太子さまと紀宮さま
1986年5月 ダイアナ妃と共に来日の英国のチャールズ皇太子がお二人にご挨拶。影に隠れてしまっているが赤い着物姿の紀宮もご同席。
1985年12月11日 礼宮殿下成年式の茶会。未成年の妹紀宮はジュースをお持ち。下は成年式記念円形お印栂の銀製ボンボニエール。
東京競馬場ご観戦 左:1986年10月エジンバラ公皇太子妃殿下とともに 右:1987年10月
1986年12月5日 三原山噴火で東京都老人医療センターに収容された老人たちを見舞う美智子さま
1986年12月6日 昭和天皇ご在位60年祝宴のため東宮御所に到着された昭和天皇と、出迎えられる皇太子殿下、美智子さま、浩宮、礼宮。このほか常陸宮両殿下、三笠宮両殿下ら皇族方と、鷹司和子、池田厚子、島津貴子さんや、お孫さんら28人が出席したとのこと。
1987年8月9日 軽井沢でご静養の皇太子両殿下。どこにいらしても原爆が投下された時刻は黙祷をされるということ。
1987年8月9日 同上軽井沢ご静養のお二人カラー版画像
1987年 札幌インターハイを紀宮様とご視察
1987年10月1日 27年ぶりの公式訪米ホワイトハウスにて、レーガン米大統領、同ナンシー夫人主催のステイトバンケットに臨む皇太子妃同妃美智子両殿下
1987年10月1日 公式訪米、ホワイトハウス前にて、レーガン大統領と並ばれた皇太子殿下
1987年10月 レーガン大統領夫妻のご招待によって皇太子同妃両殿下御訪米。ホワイトハウスでヨーヨー・マのチェロ演奏を楽しまれる。
1988年2月 岩手県八幡平スキー場にて父と息子並んでスキーリフトに
1988年2月 岩手県八幡平スキー場にてスキーをされる皇太子殿下と浩宮
1988年4月8日 野球のセントラルリーグ開幕戦を観戦される皇太子同妃両殿下、浩宮、桂宮殿下、高円宮夫妻
1988年? 日光戦場ヶ原をご訪問の皇太子ご一家
1988年9月3日 那須御用邸にてご静養中の昭和天皇のお見舞い訪問を終え、那須塩原駅より帰京される皇太子同妃両殿下と鷹司和子さん連結画像
1989年(昭和64年)1月1日 皇居正殿松の間での新年祝賀の儀にて、昭和天皇に代わり挨拶を受けられる明仁皇太子殿下と皇族の皆様
1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇崩御。継承順位に従い、皇太子明仁親王殿下が即位。
1989年1月7日 昭和天皇崩御の当日、剣璽等承継の儀。「平成」は翌日8日からでこの時点ではまだ昭和。出席男性皇族の表情に注目
1989年1月7日 剣璽等承継の儀。剣と璽が置かれた後、礼をする一同。腰より低く頭を深々と下げた最前列の方に注目
1959年5月 テニスのダブルスをするお二人
1959年7月19日 青山の国立テニス場にて日本庭球協会主催の奉祝試合。この4日前の15日、一部マスコミが「美智子妃ご懐妊」を報じた後初めての外出。実際に宮内庁が正式発表したのはこの2ヶ月先(妊娠5ヶ月)。爽やかなストライプのお召し物に葉っぱのような飾り付帽子の清宮内親王、前にバラの飾りにネットを張ったトーク帽の美智子妃。二人に交互に話をなさって気遣う皇太子殿下と、美智子妃と内親王の表情に注目。
詳細不明 宮中晩餐会
1959年6月7日 皇太子殿下御成婚慶祝コリー祭りにて
1959年10月5日 伊勢湾台風の被害視察のため、三重県鈴鹿市にご到着、ヘリから降りられた長靴姿の皇太子殿下
1959年11月 浩宮が誕生する4ヶ月前、葉山海岸にて静養する両殿下と愛犬アナスタシア
1959年11月 葉山海岸にて身重の美智子妃に手を差し伸べる皇太子殿下
1960年1月4日 ご一家の姿を8ミリで撮影される皇太子殿下、弟義宮(後の常陸宮)殿下と妹清宮殿下もご一緒。
1960年2月23-24日 新宮(浩宮)ご誕生。新宮と対面し、宮内庁両院を出て来られた皇太子殿下(2月23日)、祝賀の礼装で宮内庁病院にお入りになる皇太子殿下(2月24日)
1960年か1961年頃 東京ローンテニスクラブの紺ジャケットでペアルックの皇太子両殿下。右側看板に「MEMB(ERS ONLY?)」「軽井沢会」「ご遠(慮下さい?)」の文字が見えるので軽井沢での静養か?
1960年7月18日 那須御用邸静養のため黒磯駅に来賓用列車でご到着、歓迎を受けお手振りで応えられる美智子妃。小花がたくさんついた帽子と、小さなリボンつきパンプスをお召し。傍には生後5ヶ月の浩宮を抱いている女官がいる。
1960年夏 那須御用邸にて浩宮を乳母車に乗せて散策されるご一家
1960年夏 那須御用邸にて生後5ヶ月の浩宮を抱く美智子妃
1960年 テニスウェアでベンチに座る皇太子殿下
1960年8月 ご静養先で揃って白いテニスウエア姿のお二人
1960年9月 日米修好百周年を記念して訪米される直前の明仁皇太子殿下公式ポートレート
1960年9月 日米修好百周年を記念して訪米される直前の美智子皇太子妃殿下公式ポートレート
1960年 お着物を替えて別ポートレート撮影?和服姿で椅子に腰掛けたポーズの美智子さまとスーツ姿で傍らに立つ皇太子さま
訪米関連写真は、LIFEにて「Akihito」等で検索すると高画質写真を大量に閲覧可能。
1960年 訪米前後のインタビューか?緊張した表情の両殿下。
1960年9月1日 ホワイトハウスでアイゼンハワー米大統領夫妻と会われる皇太子両殿下。大統領は美智子妃の美しさをしきりに絶賛。 高画質
1960年9月 同上時期、ハーター米国務長官夫妻によるレセプションにて。お里帰りの時と同じお着物をお召しの美智子妃。 高画質
1960年9月 サンフランシスコのミュアウッズ国定公園(Muir Woods National Monument)ご訪問の両殿下。優美な姿で歩かれる美智子妃。
1960年9月22日〜10月7日 皇太子明仁親王・美智子妃殿下ハワイご訪問。日米修好百周年記念でアメリカ合衆国より招待されたもの
1960年9月28日 アメリカのディズニーランドにてディズニー夫妻直々の案内で回転ティーカップに乗る皇太子両殿下(当時)。生後7ヶ月の浩宮をおいての渡米に沈んだ表情の美智子妃
同上、ディズニーランドにてミニカーのようなものに乗られる両殿下
同上、舟のような遊具(ピーターパンか?)に乗られる両殿下
訪米時、ワシントンDCのポトマック川を航行するマウント・ヴァーノン号にて
ワシントンで、オープンカー上で立ち上がる美智子さま(降車する瞬間か)
ロサンゼルスの両殿下
ロサンゼルスにて、お茶目な表情の美智子さま
1960年10月 両殿下訪米、ヤンキーススタジアムを再訪問、試合前にボールを投げる皇太子明仁殿下。左はケイシー・ステンゲル監督。
1960年10月 アメリカ公式訪問の両殿下、ハワイの海岸にて撮影。皇太子さまは白いスーツ、美智子妃は和服姿
ホノルルの両殿下(サンフランシスコのようだが、キャプションはホノルルとなっている)
ホノルルの両殿下、何かの式典か礼装姿の両殿下。
ホノルルにて、美智子さまの横顔
1960年 浩宮誕生記念写真展においでの両殿下、眼鏡をかける途中?の皇太子様の表情がお茶目である。
1960年 詳細不明 籐椅子に腰かけ海外の雑誌を手にして笑顔の皇太子殿下
1960年ごろ 劇場ご台覧の両殿下、紅葉柄着物姿の美しい愛妻を愛おしそうに見つめる皇太子様
1960年 エチオピアご訪問で狩猟地域を案内される両殿下。エチオピア王妃と手をつながれる美智子さま
1960年11月 イランご訪問
1960年11月15日 イランご訪問でパーレビ国王主催の晩餐会。皇太子殿下はホワイトタイにコート、美智子妃殿下はご成婚時のローブデコルテとストールを着回し。9月渡米後にイラン他4カ国一度にご訪問と超多忙。浩宮出産後9ヶ月でこのドレスが着られるまでお痩せに。【ローブデコルテ】
茶色のストライプスーツの皇太子さまと淡い黄色のお召し物の美智子さま
軽井沢にてテニスのお二人
時期不明 東宮御所の池の鯉に餌を与える皇太子さまと和服姿の美智子さま
1961年1月? 玩具のトラックにつかまり立ちしている浩宮と、それを見守る昭和天皇・香淳皇后・皇太子同妃両殿下・常陸宮殿下
1961年1月19日 皇太子殿下、浩宮とともに正田家にお里帰りされた美智子妃殿下
1961年6月24日 葉山海岸にて浩宮に長靴を履かせる美智子さまとそれを見守る皇太子さま(当時)
1961年6月24日 葉山御用邸静養の海岸にて、ご両親(現在の両陛下)に足を洗ってもらう浩宮
1961年8月28日 軽井沢ご静養に向かう駅での皇太子ご夫妻とご両親と両手をつないで歩く浩宮、真ん中後方に義宮(後の常陸宮)さまも
1961年夏? 軽井沢ご静養での軽井澤基督教書店前にて謹写、テニスウエア姿の皇太子同妃美智子両殿下
1961年10月 立山黒部貫光鋼索線(立山ケーブルカー)にご試乗、美女平ヘ向かわれる皇太子同妃両殿下(立山駅ホーム)
1961年10月 立山連峰・天狗平にて絵画の様にお美しい両殿下
1961年11月5日 「朝萩号」にて馬術障害競技にご出場の皇太子殿下と、ニンジンを手にした美智子さま
1962年1月31日 東南アジア歴訪インドネシアご訪問、大統領官邸での皇太子同妃両殿下
1962年1月31日 東南アジア歴訪インドネシアご訪問同上大統領官邸、皇太子同妃両殿下とスカルノ大統領(左)、手前の鉢のランには美智子妃殿下の名前がつけられた
1962年1月31日 東南アジア歴訪インドネシアご訪問、カリバタ英雄墓地をご参拝の皇太子殿下
1962年2月 インドネシアご訪問された際の写真。インドネシア側は少年少女合唱団が日本の「サクラサクラ」を歌って歓迎したとのこと
1962年2月23日 2歳の誕生日、ご両親の皇太子夫妻に手を引かれ、皇居に誕生日のあいさつに向かう浩宮
1962年3月2日 葉山御用邸静養でのご一家、ナルちゃんを先頭にして手もつながずに歩いているところに注目
1962年3月2日 葉山御用邸静養の一式海岸にて、浩宮と手をつながれる皇太子さまと美智子さま
1962年 森林総合研究所九州支所をご視察の両殿下
1962年5月2日 宮崎県の青島海岸、棕櫚の木の下で
1962年5月2日 同上宮崎県宮崎市青島海岸をご訪問の皇太子同妃両殿下カラー画像
1962年6月6日 上野動物園ご訪問、フラミンゴをご覧になっている皇太子同妃両殿下
詳細不明 白いお召し物がファッショナブルな皇太子ご夫妻。強い日差しから目を守るためのサングラスと青い大きな帽子に手袋も見事に身につけられる美智子さま
静養への移動電車、父皇太子さまに横抱っこされている浩宮にエレガントなお帽子とワンピース姿の美智子さま
1962年夏? ご静養先へ移動する駅にて、先を歩く皇太子さま、そして手つなぎで歩く母美智子さまと浩宮
1962年8月4日 沼津御用邸での散策で石から降りようとする浩宮と手を繋ぐ美智子妃、それを見守る皇太子様
1962年8月4日 沼津御用邸での散策にて、美智子妃の髪についているゴミを皇太子殿下が取られる有名な写真の全体。皇太子殿下の傍には、帽子を手にしている浩宮が。美智子妃のワンピースには大きなポケットがついており、ハンカチなど子供に必要な物がたくさん入るよう工夫されています。
1962年 軽井沢静養にて皇太子様が運転、助手席に美智子様が座りドライブ
1962年 昭和37年志賀高原で。どこか初々しいご夫婦の姿(今上陛下28歳、美智子皇后陛下27歳)
1962年 同上志賀高原、双眼鏡で遠くを眺める皇太子殿下と、同じくその方向を見つめる美智子さま
1962年9月17日 大原美術館で収蔵作品を鑑賞される両殿下
1962年10月27日 野球観戦をされる皇太子同妃両殿下
1962年10月30日 秋の園遊会。左から美智子妃、皇太子、昭和天皇、香淳皇后、義宮。香淳皇后と話をしているのは島津貴子さん
1962年11月5日 東宮御所車寄せにて、フィリピンご訪問からご帰国、両殿下を出迎えた浩宮を抱きあげる美智子さま(よみうり写真館)
ダンディーなコートとマフラー姿の皇太子さまと、ファッショナブルなコートとお帽子姿の美智子さま
1963年1月1日 新年ご一家写真として「三度目のお正月」と見出しが添えられたグラビア。小さな体がソファに沈み込み、足が浮き上がったちょっとお行儀の悪い格好になっている浩宮。常陸宮と香淳皇后と美智子妃はにこやかに見守っているが、昭和天皇と皇太子(当時)はやや硬い表情である。
1963年3月4日美智子妃第二子ご懐妊発表されるも胞状奇胎のため同月22日流産。この後バッシングもあり三ヶ月の静養生活に入られる。
1963年4月17日19:00、美智子妃は両陛下に挨拶をされてから皇太子様と共に葉山御用邸へ移動、翌日皇太子様は帰京され美智子妃は一人ご静養に。7月2日に一旦帰京後、同月8日に軽井沢静養へ出発。
1963年7月8日 ご静養へ向かう軽井沢駅での皇太子ご一家。どこか弱々しい笑顔の美智子様
1963年8月6日、戸隠高原のガールスカウトのアジア大会のお別れキャンプ・ファイヤーにご参加。前日より軽井沢プリンスホテル→野尻湖ホテルにご夫婦で投宿、8ヶ月ぶりのご公務。その後8月末に帰京。
1963年10月23日 皇太子さまのご提案による二泊三日の奥日光旅行、少年時代の殿下にとって思い出深い学習院光徳小屋でお過ごしになり、美智子さまは流産後の心身を癒された
1963年10月 学習院光徳小屋の簡素なテラスにてお二人揃って記念写真
1963年10月23日 同上奥日光の光徳小屋で二泊三日のご静養、紅葉の中を散策される両殿下
1963年11月26日 聖イグナチオ教会にてケネディ大統領追悼ミサにご出席の皇太子ご夫妻、この頃美智子様も公務に復帰されている
1963年12月20日 東宮御所にて愛犬とご一緒に撮影された皇太子殿下30歳お誕生日画像。犬はオーストラリアから贈られた野生犬「ディンゴ」と思われる。後年病気が心配で姉上池田厚子さんの動物園に引き取られたとのこと。
1964年1月10日 宮中歌会始(お題は“紙”)。現在よりも皇族の出席者は少ない。
1964年1月26日 箱根の駒ケ岳スケートリンクにて第19回冬季国体スケート競技ご観戦の皇太子同妃両殿下、美智子さまは防寒フードつきのお召し物。
1964年2月22日 浩宮4歳誕生日画像として撮影されたお父様と腕相撲をする浩宮、笑顔で見守る母美智子さま
1964年3月 二泊三日の房総半島巡り家族旅行で地元の子どもたちから花束を受け取っているところ
1964年頃 おそらく浩宮幼稚園入園日かと推測される写真
1964年5月 皇太子同妃時代に公式訪問された時の写真(写真提供=タイ字紙マティチョン)
1964年5月 タイご訪問にて、プミポン国王およびシリキット王妃にカーティシーでご挨拶なさる美智子さま / 同連結画像
1964年7月23日 東久邇成子さんの三回忌、昭和天皇・香淳皇后(席は確認できるがお姿は写っていない)もご出席。秩父宮妃は洋装、美智子妃は黒留袖姿。
1964年8月 八方尾根に登山される皇太子ご夫妻
1964年8月 軽井沢でテニスの際、ベンチで休む両殿下。美智子さまは肩にハンカチをあてていらっしゃる。野次馬が大量にいるからか、皇太子殿下も苦笑い
1964年8月 同上、ダブルスを組む両殿下
1964年8月 同上、フェンスに手をかける美智子さま
1964年10月3日 学習院幼稚園運動会にて、ネクタイ姿でとんがり帽子をかぶり父親ペア競走に参加する皇太子殿下
1964年10月4日? 学習院幼稚園運動会に参加される皇太子ご一家。しかし浩宮は「カゼをひかれたあと」とかで、ござの上にごろりと一人だけ寝転がったりも。
1964年10月 東京オリンピックでレスリングをご覧になる皇太子同妃両殿下
1964年10月 水泳競技大会をご台覧の皇太子同妃両殿下。妃殿下の御席の左横には無造作に取材陣のカメラが。貴賓席で足を組む婦人にも注目。
1964年11月 障害者スポーツ大会(東京パラリンピック)開会式、車イスを連ねた選手達の入場行進を貴賓席からごらんになる名誉総裁の皇太子両殿下
1964年11月 同上障害者スポーツ大会にご臨席された皇太子夫妻と香淳皇后
皇太子(=今上陛下)ご一家房総半島旅行の宿泊先旅館で、スリッパを出されたもののどうしていいか分からず長いこと立ち竦んでいた浩宮徳仁親王ことナルちゃん。ご両親に質問してみるとか真似をしてみるとかの知恵が働かないごゆっくり風味エピソードである(2007/11/7 TBS皇室特番より)
1965年4月 羽田空港でラオス皇太子ご夫妻をお見送りのお二人
1965年4月 羽田空港でラオス皇太子ご夫妻をお見送り別画像。この後美智子妃の礼宮様ご懐妊が発表される
1965年5月5日 ご成婚祝いで全国から寄せられた御祝金で横浜こどもの国を設立、開園式典光景(JNN2009/12/19より)
1965年5月 生花展をご覧になるお二人
1965年8月17日 軽井沢・峯の茶屋にて美智子妃(礼宮様ご懐妊中)手作りお弁当を広げる皇太子ご一家。茶屋休憩でもガラスコップに草花を活け飾ってある所ときちんと隙なく揃えられている美智子様のおみ足に注目
1965年11月30日 新宮(礼宮)ご誕生。美智子さまをお見舞い、新宮とご対面のあと、車で宮内庁病院を後にされる皇太子殿下と浩宮
1966年3月 ナルちゃん学習院幼稚園卒園式、ご両親である皇太子さまと美智子さま揃ってご出席
1966年3月 前年11月に誕生した礼宮をベビーカーに乗せ浩宮が押す係となって東宮御所庭を散策されるご一家。皇太子殿下はビシッとスーツ姿、美智子様は和服姿であるところも注目
1966年3月29日 横浜マリンタワーと氷川丸をご見学の皇太子ご一家。第2子礼宮様ご出産後4ヶ月で既にこのスタイルの美智子妃
1966年7月25日 国鉄上野駅ホームにて、軽井沢ご静養に向かうために臨時急行「浅間高原号」にお乗りになる皇太子ご一家。礼宮殿下は女官が抱いていて、その後ろには牧野純子東宮女官長の姿も。
1966年8月7日 岡山県日本原の高原にて第4回日本ジャンボリーにご出席。欧州外遊仕込みのスマートさで、車から降りられる美智子妃の手を取られる皇太子殿下。
1966年8月13日 皇太子ご一家団欒風景。ライオンのぬいぐるみを背にしている礼宮
『女性自身』1966年8月22日号<皇室特集 愛と喜びの21年史 幸せのきずな>表紙・グラビア
1966年12月 鎌倉にてテニスをなさる皇太子ご夫妻
1967年 南米ご訪問に出発されるご両親を見送りに手をつないで東宮御所玄関前に登場する浩宮礼宮兄弟。後ろにご両親皇太子同妃両殿下の姿が見える。玄関前で迎えているのは浜尾実東宮侍従。
1967年 南米ご訪問に出発されるご両親を見送る浩宮7歳と礼宮2歳
1967年7月25日 乗鞍岳登山をされる皇太子ご一家。まだ2歳にもならない礼宮様はお留守番。珍しく長い髪を三つ編にして後ろへ垂らしている美智子妃
1967年7月25日 同上乗鞍岳登山のご一家
1967年10月 島根県ご旅行中、古寺の石段を寄り添って降りられるお二人
皇太子さまと水玉模様のお召し物とターバン姿の美智子さま
1967年11月 皇太子さまご一家と2匹のリクガメ
1967年12月 昭和天皇ご一家元旦発表映像撮影、昭和天皇のいちばん近くにアーヤちゃんが
1967年12月 同上元旦ご一家映像撮影より、雑誌掲載カラーグラビア“おめでとう”ってアーヤもいえたよ
時期不明、皇太子殿下と美智子妃殿下のツーショットポートレート。完璧としか言いようの無い美しい和服姿の美智子さま
1968年4月5日 羽田空港にて、九州ご旅行へ出発される皇太子ご夫妻を見送りする浩宮8歳
1968年6月3日 横浜こどもの国へお出ましの皇太子(当時)ご一家、水遊びする浩宮と礼宮(よみうり写真館)
1968年7月 福島県の国立公園大会にて談笑される皇太子ご夫妻。Vネックのインナーを合わせるのは美智子妃の定番スタイル。皇太子殿下は黒白チェックのチーフを胸に。
1968年7月 福島県裏磐梯にて、手に手をとり歩まれるお二人の仲睦まじい光景
1968年8月5-10日 奥浜名湖ご静養(画像キャプションは7月だが浜松市HP動画で8月と確認できる)西気賀保養所でご滞在。5日午後、これから海水浴に出かける皇太子ご一家。地元の子供達と一緒に水泳を楽しまれた。この翌日6日に礼宮殿下はナマズと初めての出会いをされる。
1968年8月5-10日 同上奥浜名湖ご静養別画像
1968年8月5-10日 同上奥浜名湖ご静養別画像
1968年8月5-10日 奥浜名湖ご静養にて手ずから舟の櫓をこがれる皇太子殿下
1968年8月5日 奥浜名湖ご静養、船からゴムボートに乗り移ろうとする浩宮と、それを見守る美智子さま
1969年1月2日 新年一般参賀、美智子妃はこの時同年4月ご誕生の紀宮さまをご懐妊中。
1969年3月1日 「着帯の儀」の前と説明があるが9ヶ月の戌の日もこのように言い表すのかは不明(着帯の義は通常5ヶ月目に行う)。東宮御所にて皇太子殿下にご自分で縫われた産着などをお見せする美智子妃。ひな祭りに合わせ桃と菜の花が花瓶に活けてある。机の上にはデンデン太鼓やお人形など。ベビードレスを着せた籐製トルソーの頭部にはバラが飾られている。
1969年夏 軽井沢の牧場を一家でご訪問、白ウサギを抱っこする美智子さまと礼宮さま。後の佳子さまデコポンタンにつながるおでこちゃんぶりが確認できる連結画像。
1970年3月 行川アイランドに一泊ご旅行の東宮ご夫妻と礼宮さま
1970年2月20日 マレーシアの王宮にてムアザム副王主催の夕食会。前国王令息のラジャ・ムダご夫妻と歓談される皇太子同妃両殿下。果物がはっきり映るほどに磨かれたテーブルに注目。美智子妃と語らうラジャ・ムダ氏は嬉しそうなご表情。
1970年4月17日 オランダ・ベアトリクス王女(当時)とクラウス殿下が訪日、和服姿の東宮ご一家とご歓談。
1970年7月24日 静岡県浜名湖で和船に乗られる皇太子ご一家と鷹司和子さん(昭和天皇の第三皇女)。和子さんは夫・平通氏と死別しており、皇太子ご一家の思いやりが感じられる。後ろ姿が皇太子か、逞しい腕に注目。
1970年7月24日 浜名湖ご静養、ご家族で和船に乗り海水浴を楽しまれる皇太子ご一家と鷹司和子さん。船からジャンプして湖に飛び込む浩宮
1970年8月31日 ご静養を終えて帰京、国鉄上野駅に到着された皇太子ご一家。浩宮が紀宮を抱いている。浩宮と礼宮はお揃いの半袖白シャツに灰色半ズボン。美智子妃が紀宮様ご出産前からお召しのスーツは膝上丈スカート。
1970年11月8日 子供用テーブルセットで折り紙を折る礼宮と紀宮、浩宮は読書。子供たちを見守られる両殿下(当時)。兄弟お揃いのシャツとセーターに注目
1970年12月14日 東宮御所の和室にて歌留多競技大会に向けて浩宮を相手に札取りの練習をされる皇太子殿下。読み人(朗詠役)の美智子妃は着物をお召し。
1971年1月 昭和天皇ご一家画像、チョークのようなものを手に悪戯っ子の表情をしている礼宮が昭和天皇の傍らに
1971年1月 ご一家別Ver.画像、アルバムのようなものを見て楽しんでいる光景
1971年ごろ 昭和天皇ご一家画像
1971年1月1月 昭和46年正月、新年祝賀の儀でお揃いの皇族方
後列左から、宜仁親王、寛仁親王、高松宮、秩父宮勢津子妃、高松宮喜久子妃、三笠宮、三笠宮百合子妃。
前列左から、常陸宮華子妃、皇太子(=今上陛下)、美智子皇太子妃、常陸宮。
1971年6月3日 東京都港区元赤坂で、3人のお子さまたちに見送られアフガニスタンへ出発される両殿下
1971年6月 アフガニスタンのバーミヤン遺跡をご訪問された皇太子両殿。足元が非常に悪いのにローヒールとはいえパンプスでエレガントな所作の美智子妃。
1971年6月 同上アフガニスタンのバーミヤン遺跡をご訪問された皇太子両殿下。歩くだけでも大変な巨大遺跡なことがよく分かります。
1971年7月 長野県と山梨県ご訪問。上:場所不明。お話をお聞きになる両殿下/下:長野県八ヶ岳農場にて。長靴を履いておられる美智子妃の珍しい写真。暑いので顔が汗で光っている。美智子妃はピンクのブラウスにお揃いのエプロンをお召しか?(チュニックかも)。上写真では後ろにリボンが見える。
1971年11月10日 京都大学白浜水族館ご訪問の両殿下
1971年11月 来日したタイのラチワロンコン皇太子とご歓談される皇太子ご夫妻と同席のお子様三人。今上・浩宮・礼宮・紀宮は着物姿、美智子さまは恐らくタイシルクを用いたお召し物を身に着けている
1972年2月 苗場スキー場にてさりげないペアのスキーウェアでスキーを楽しまれる皇太子両殿下
1972年4月5日 ご成婚記念で作られた横浜こどもの国にお出ましする皇太子ご一家五人
1972年4月5日 こどもの国にてポニーと触れ合う皇太子ご一家5人
1972年9月 徳之島にて、磯辺で皇太子殿下が見つけられた物を一緒にご覧になる美智子妃殿下。籠をお持ちの美智子妃は長靴姿、魚類学がご専門の皇太子殿下はジャンパーがずり上がっているのも気にならないほど夢中なご様子。
1972年冬 雪道で尻もちをつかれる皇太子さまと心配そうな美智子さまと手を差し出す礼宮と突っ立って見ているだけの浩宮
1973年5月 オーストラリアの高官を揃って和服姿でご接待される皇太子さまと美智子さま。お子様方も一緒に。
1973年8月1日 三重県伊勢市で開催された全国高校総体の総合開会式、放鳩式で貴賓席に迷い込んだハト一羽を保護し机上に乗せている美智子さま
1974年 宮内庁の正式依頼を受けて作成された宮永岳彦画伯による皇太子・皇太子妃両殿下の肖像画(ブラジル・サンパウロ市日本文化協会所蔵)
1974年 翌春のネパール国王戴冠式に出席するための勉強をしている両殿下
1990年に全国の松坂屋で開かれた宮永岳彦画伯展覧会のパンフレットより。明治以降、宮内庁に正式に許可された肖像画はこの作品のみで、この展覧会が日本での初里帰り公開だと説明書き。
1974年11月 来日したベルギー国王・王妃両陛下の前でピアノを弾く浩宮(14歳)と皇太子ご一家。楽譜はブルグミュラー練習曲2番「アラベスク」。紀宮様がお持ちなのはベルギー王室からプレゼントされた水色ワンピースを着た大きなクマのぬいぐるみ
1975年1月 池の畔で撮影された新年のご一家、やんちゃそうな礼宮と池の水を触ってみる紀宮
1975年3月22日 全国発明工夫展授賞式にて
1975年5月 エリザベス女王来日、美智子さまがカートゥシーでお出迎えされる場面
1975年5月 イギリス・エリザベス女王来日を東宮御所前にて出迎える皇太子ご一家、6歳になった紀宮殿下がお車に向かってカーティシーをされる。
1975年5月 同上、車から降りられた女王陛下と歓談されるご一家
1975年5月 来日したエリザベス女王とご一家画像
1975年 父昭和天皇がアメリカご訪問中、国事行為代行として署名する皇太子殿下
1975年 昭和天皇・香淳皇后からの訪米土産を手に笑顔の礼宮と紀宮、それを見守る皇太子ご夫妻と浩宮と常陸宮ご夫妻
1975年7月17日 沖縄海洋博覧会の開会式に名誉総裁としてご臨席のため沖縄県行啓。島尻郡豊見城(現・豊見城市)に残る旧日本帝国海軍沖縄方面根拠地隊司令部の地下壕で参謀室をご視察される皇太子さま(当時)と美智子さま
1976年 16歳のナルちゃんと皇太子同妃両殿下
1976年6月8日 東宮御所車寄の皇太子同妃両殿下
1976年6月 イギリスご訪問。マンスフィールド伯爵家の晩餐会で音楽会をお楽しみの光景。まるで一幅の絵画のよう。
1976年 イギリス訪問、ウェールズのディープ・ネビゲイション炭鉱を視察される皇太子さま
1976月6月18日 英国ご訪問アスコット競馬場にて女王陛下と乗馬を楽しまれたのち歓談される乗馬服姿の皇太子両殿下。左から皇太子、一人おいて美智子妃、エリザベス王太后、エリザベス女王、ケント公
1976年7月5日 多摩御陵ご参拝、この当時すっかりやつれてしまった美智子妃
1976年7月27日 第18回自然公園大会ご出席で高知県行啓、足摺海底館を視察される皇太子殿下同妃殿下
オーストラリアご訪問(?)、コアラとお二人
1977年1月? 庭園にて撮影された新年ご一家画像、浩宮を身長で追い越しそうな半ズボン姿の小学生の礼宮
1977年3月22日 全国発明工夫展授賞式、受賞学生とともに展示をご覧になる両殿下
1977年6月 イギリス大使館開催のパーティ?詳細不明。美智子さまの着物は水色のぼかし地に金糸銀糸刺繍入り笹竹と流水模様、ダイヤの帯留で華やかな雰囲気に。
1977年8月 浜名湖にて静養のご一家。皇太子殿下と浩宮はお揃いの袴和装、美智子妃殿下は大きな花模様をあしらったフリルロングスカート、礼宮は半ズボンで紀宮はサロペット姿。
1978年5月 国賓として来日したネパールのビレンドラ国王同妃アイシュワリャ両陛下の歓迎式典に昭和天皇のご名代としてご出席の皇太子両殿下。ビレンドラ国王とアイシュワリャ王妃の二人は'01年6月1日王族銃乱射虐殺事件の犠牲者となった。
1978年5月 ネパール国王両陛下を迎えての宮中晩餐会、風邪を引かれた昭和天皇のご名代を務められる両殿下
1978年 ブラジルから帰国された皇太子同妃両殿下、それを出迎える浩宮礼宮紀宮、紀宮はお母さまに抱きついて嬉しそう。
1979年1月1日 新年ご一家画像、紀宮を抱きしめる格好の礼宮の仲良し兄妹、浩宮は常陸宮に尻を向けた格好に
1979年1月1日 同上新年ご一家画像、池の畔で撮影されたもの
1979年8月 軽井沢の石尊山に登山される皇太子ご一家。皇太子ご夫妻と紀宮は登山靴、浩宮と礼宮はスニーカー。母娘はチェック柄シャツでお揃い。皇太子殿下は非常に珍しいTシャツ姿。
1979年10月5日 オランダ公式ご訪問でユリアナ女王陛下(当時)・ベアトリクス王女殿下(当時)・クラウス殿下と。ブラックタイの皇太子殿下と優美な白いケープドレス姿の美智子さま / 同モノクロ画像
1979年10月 オランダ公式訪問、ヘットアウデローの庭園を馬車で散策されるベアトリクス女王・ヨハン・フリーゾ王子そして美智子妃
1980/1981/1982年 新年ご一家画像
1980年2月23日 浩宮成年式の祝宴、浩宮と父皇太子殿下はピンズ形式の略綬をご着用。祝辞を受けられたのか、客人にお辞儀をされる母美智子妃殿下。浩宮のもみあげと撫で付けた髪型に注目。下は成年式記念扇の銀製ボンボニエール。
1980年4月15日 スウェーデン国王ご夫妻を東宮御所に迎えおもてなし。秩父宮妃勢津子殿下もご同席、浩宮が不在の理由は不明。
1980年10月28日 スペイン カルロス国王・王妃が国賓として来日。迎賓館での歓迎式典で国王にカーティシーなさる美智子さま
1981年9月24日 インドネシアの子ども使節団とお言葉を交わされる美智子さま
1982年1月17日 蔵前国技館にて相撲ご観戦のため力士らの出迎えを受けられる皇太子ご一家。浩宮の髪型に注目
1983年2月21日 市川市の新浜鴨場のご一家。放鳥される礼宮さまと紀宮さま
1983年2月21日 同上新居浜鴨場、ご一家部分アップ(魚拓)
1983年3月13日 ベルギーご訪問の両殿下
1983年11月9日 レーガン大統領歓迎式典に向かわれる両殿下
1984年4月10日 銀婚式を迎えられ記者会見でお互いに「努力賞」「感謝状」と語るお二人
美智子さまが右胸につけられているのは麦の彫金ブローチ。デザイナー植田いつ子氏と親交のあった彫金作家藤原友彦氏作で、「実り」を象徴するものとして美智子さまより依頼されたもの。後に結婚50周年金婚式記者会見でも身につけられることになる。
1984年4月22日 皇太子ご夫妻銀婚式のお祝いのため昭和天皇と香淳皇后が東宮御所を訪れる。画像は庭園散策のご一家(浩宮は英国留学中で不在)
1984年8月 軽井沢散策のご一家
1984年10月4日 伊勢神宮の神馬「狭霧号」と皇太子同妃殿下
1984年11月 今上陛下(当時の皇太子殿下)もご執筆された『日本産魚類大図鑑』をご覧になるご一家
1985年8月 石川県行啓、皇太子ご夫妻と福祉施設視察をされる紀宮
1986年2月 ボストンフィルハーモニー交響楽団のパーティーにご出席の皇太子同妃両殿下。皇太子殿下の茶色ネクタイと、美智子妃殿下の茶&白で斜めに切り替えた大量のタックやドレープを取ったドレスで色合わせ。
↑と同じときか?、ダンスの最中、顔を近づけて目を交わして微笑まれる両殿下
1986年4月8日 子宮筋腫手術後の美智子さまと退院を迎える皇太子さまと紀宮さま
1986年5月 ダイアナ妃と共に来日の英国のチャールズ皇太子がお二人にご挨拶。影に隠れてしまっているが赤い着物姿の紀宮もご同席。
1985年12月11日 礼宮殿下成年式の茶会。未成年の妹紀宮はジュースをお持ち。下は成年式記念円形お印栂の銀製ボンボニエール。
東京競馬場ご観戦 左:1986年10月エジンバラ公皇太子妃殿下とともに 右:1987年10月
1986年12月5日 三原山噴火で東京都老人医療センターに収容された老人たちを見舞う美智子さま
1986年12月6日 昭和天皇ご在位60年祝宴のため東宮御所に到着された昭和天皇と、出迎えられる皇太子殿下、美智子さま、浩宮、礼宮。このほか常陸宮両殿下、三笠宮両殿下ら皇族方と、鷹司和子、池田厚子、島津貴子さんや、お孫さんら28人が出席したとのこと。
1987年8月9日 軽井沢でご静養の皇太子両殿下。どこにいらしても原爆が投下された時刻は黙祷をされるということ。
1987年8月9日 同上軽井沢ご静養のお二人カラー版画像
1987年 札幌インターハイを紀宮様とご視察
1987年10月1日 27年ぶりの公式訪米ホワイトハウスにて、レーガン米大統領、同ナンシー夫人主催のステイトバンケットに臨む皇太子妃同妃美智子両殿下
1987年10月1日 公式訪米、ホワイトハウス前にて、レーガン大統領と並ばれた皇太子殿下
1987年10月 レーガン大統領夫妻のご招待によって皇太子同妃両殿下御訪米。ホワイトハウスでヨーヨー・マのチェロ演奏を楽しまれる。
1988年2月 岩手県八幡平スキー場にて父と息子並んでスキーリフトに
1988年2月 岩手県八幡平スキー場にてスキーをされる皇太子殿下と浩宮
1988年4月8日 野球のセントラルリーグ開幕戦を観戦される皇太子同妃両殿下、浩宮、桂宮殿下、高円宮夫妻
1988年? 日光戦場ヶ原をご訪問の皇太子ご一家
1988年9月3日 那須御用邸にてご静養中の昭和天皇のお見舞い訪問を終え、那須塩原駅より帰京される皇太子同妃両殿下と鷹司和子さん連結画像
1989年(昭和64年)1月1日 皇居正殿松の間での新年祝賀の儀にて、昭和天皇に代わり挨拶を受けられる明仁皇太子殿下と皇族の皆様
1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇崩御。継承順位に従い、皇太子明仁親王殿下が即位。
1989年1月7日 昭和天皇崩御の当日、剣璽等承継の儀。「平成」は翌日8日からでこの時点ではまだ昭和。出席男性皇族の表情に注目
1989年1月7日 剣璽等承継の儀。剣と璽が置かれた後、礼をする一同。腰より低く頭を深々と下げた最前列の方に注目
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