東宮御所にて雅子夫人が東宮職と意思疎通をするために採用している方法。
その他雑誌等でも似たような表現で雅子夫人と東宮職のディスコミュニケーションっぷりが繰り返し記事に書かれている。2004/5/10の徳仁皇太子による「人格否定」発言の波紋は大変大きく報じられているが、その背景には東宮職のみならず両陛下との絶縁状態が存在していることが分かる。
「両陛下からも遠のき、ご成婚後の十年、儀式などの場合を除けば数えるほどしか親子の交流がない。もはや断絶状態」「可愛い盛りの愛子内親王が、陛下をほとんどご訪問されていない」については、2008年2月12日終に羽毛田宮内庁長官が定例記者会見にて皇太子に“苦言”を呈するという形で公式発表されており、問題は当時から改善されるどころか更に悪化している。
ドア下からメモを差し出す、いわば手動ファックス状態で他者とやりとりしている雅子と、その雅子に足蹴されても言い成り状態の徳仁皇太子とが今後周囲と関係改善できる望みは、かなり薄いと言わざるを得ないだろう。
参考:【私は病気ではありません】
『美智子さまの恋文』橋本明、新潮社(2007)
第五章新しい時代に
孤立の狭間で p196-197より
(補足:2004/3/25-4/26の軽井沢小和田家別荘転地療養について)何が雅子妃を脅かしたのであろうか。
皇太子は(補足:2004/5/10「人格否定」発言において)用語上の誤りを犯されたのではなかったろうか。「皇室の環境」を「皇室を取り巻く外界の条件」という意味で使ったのであれば、皇族の諸事を分掌する宮内庁がこの場合“外界の条件”に相当するからだ。宮内庁という役所に雅子妃を精神的に追いつめた原因があるのかどうか、吟味してみよう。
宮内庁内部組織でもとかく独自世界を構築しがちな東宮職で、首のすげ替えが頻繁に行われていたことにはすでに触れた。この事実の背後に、雅子妃に嫌われた人事対象者の存在が垣間見られる。ご夫妻が東宮職の長たる東宮大夫あるいは東宮侍従長に、より良い人材を求めて早期交代を促しておられたとしたら、東宮職の機能がある意味で麻痺し、稼動していなかったと受けとめてもいいのではあるまいか。
事情通は、「宮妃(=東宮妃雅子のこと)が意思を示すのは、指示を書いた紙切れをドアの下からしのばせて」と語る。では夫君はどうされているのか。すかさず、「信を置く側近がほとんどいないようだ」と答えが返ってくる。
「殿下はご成婚後、人柄が変わってしまわれた」
「内部に閉じこもって固く蓋をしてしまわれた」
「誰が東宮御所の閉ざされた扉をこじ開けられるのか、わからない。宮内庁参与の職にある文化人・学者らもお呼びがかからない。殿下のお心を開放できる方は見当たらない」
親子関係についても、こういう声があがる。
「両陛下からも遠のき、ご成婚後の十年、儀式などの場合を除けば数えるほどしか親子の交流がない。もはや断絶状態」
「可愛い盛りの愛子内親王が、陛下をほとんどご訪問されていない」
打診を重ねると驚くべき実態が噴き出てくる。
(補足:2004/5/10「人格否定」発言)会見翌日の夜、東宮は欧州三カ国ご出発の挨拶のため、御所を訪れた。だが異例といわれたほど短時間のご訪問となり、役所を通じて知らされたお帰り時間は、大幅に繰り上がっていたという。
両陛下はご自身大変に驚かれたご様子と伝えられた。驚愕してわけもわからないでいる国民に対して、東宮には説明責任がある。そう判断され、帰国したら「直接国民に説明するよう」求めたという報道が宮内記者会から流れた。
この時期、林田東宮大夫は「私が辞めたら東宮さまがお一人になってしまわれる」と感想を漏らしただけで、その後は口を閉ざした。
その他雑誌等でも似たような表現で雅子夫人と東宮職のディスコミュニケーションっぷりが繰り返し記事に書かれている。2004/5/10の徳仁皇太子による「人格否定」発言の波紋は大変大きく報じられているが、その背景には東宮職のみならず両陛下との絶縁状態が存在していることが分かる。
「両陛下からも遠のき、ご成婚後の十年、儀式などの場合を除けば数えるほどしか親子の交流がない。もはや断絶状態」「可愛い盛りの愛子内親王が、陛下をほとんどご訪問されていない」については、2008年2月12日終に羽毛田宮内庁長官が定例記者会見にて皇太子に“苦言”を呈するという形で公式発表されており、問題は当時から改善されるどころか更に悪化している。
ドア下からメモを差し出す、いわば手動ファックス状態で他者とやりとりしている雅子と、その雅子に足蹴されても言い成り状態の徳仁皇太子とが今後周囲と関係改善できる望みは、かなり薄いと言わざるを得ないだろう。
参考:【私は病気ではありません】

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