2ちゃんねる既婚女性板(通称・鬼女板)最強のスレッドを、まとめる場所です。 皇室ニュースの理解にも役立つことを目指しています。 管理人はドス子の事件簿と同じです。 また、コンテンツの充実には有志の住人に多大に協力頂いております。 2009/1/29、「ドス子」の意味がよくわからないという声があるようですので、試みに補足として(皇太子妃雅子殿下の事件簿)と追加させていただきました。


1987年(昭和62年)12月20日、小和田雅子が目黒区小和田家近くの路上にて取材カメラマンに対し、かなり厳しい言葉を発し指差し恫喝(画像左)をするという事件が勃発した。1987年12月20日付けの日刊スポーツで報じられ、複数の書籍にてその事件が記されている。
『週刊新潮』1988年3月3日号<特集「頂上が見えた」というご発言で絞られる浩宮妃候補>記事 p135
 皇室ジャーナリストの河原敏明氏も、かつては小和田雅子さん本命説をとっていたが、今では「芽はつぶされた」という。
 一つは、先述した父親・恒氏のOECD大使への赴任と、雅子さん海外研修の一件で、
もう一つは、取材陣に対して、彼女が“あなたたちどこの社なの。名刺を出しなさい”と、強い態度で応対している点です。これはスポーツ紙に報道されたんですが、お妃選考者たち、特に東宮職の幹部などは、“これは手強い女性だな。温厚な浩宮様が、ダイアナ妃に振り回されるチャールズ皇太子の二の舞を演じなければよいが”と、きっとそう思うはずです。(以下略)」
『皇太子妃 雅子さま』河原敏明、講談社1993年4月27日発行p20-22
 
私は昭和六十二年十二月中旬、まだどこの社も雅子さんをお妃候補として活字にする前に、外務省に出勤する雅子さんを見に行ったことがある。くるっとした大きな瞳、知的で容姿端麗、そして活発そうな印象だった。英語はもちろんフランス語、ドイツ語など語学も達者。ハーバード大学を優秀な成績で卒業し、東大在学中に外交官試験にパス、お父さんも外務省の高官、という経歴も申し分なかった。
それらの経歴はすでに取材ずみだったので、いまご本人をみてお妃にはうってつけの女性だと直感した。背がちょっと高すぎるようなきはしたが。
これまで、特定の女性と何度も会うことなどない慎重派の皇太子が、雅子さんだけはつづけてお会いになっていたという事実に、私も「これは……」という思いをますます強くしたのだった。
ところが、この年の瀬も押し詰まった十二月十九日付で「日刊スポーツ」が、
「浩宮妃候補急浮上・二十四歳の外交官小和田雅子さん」
として大きく報道してしまった。
私が同紙に、三、四日後まで記事にしない条件で(雅子さんの写真だけを今のうちに撮しておくよう、と)取材経過を話したのだが、何かの手違いですぐ記事にしてしまったのだった。
ところが翌二十日の同紙の続報をみて、私は雅子さんはむずかしくなるかな、と思った。十九日の“スクープ”によって、二十日の朝には別の三社のカメラマンたちも小和田邸に集まった。その時雅子さんは、カメラマンに対してかなり強くやめるように主張したそうである(二十日付同紙)。
こういうしっかりした態度は仕事をしている人にとって当然かもしれないし、若い女性が雅子さんを支持するゆえんであるようだ。
しかしこの気丈さに、次の皇后さまこそぜひとも旧華族や常磐会から、と意気ごむ人たちや一部の保守層が反発するだろうことは、美智子さまの例をみるまでもないからである。
『消えたお妃候補たち』小田桐誠著 P.143「マスコミが小和田雅子をキャッチ」より抜粋
 
 同年(注:1987年)12月21日発売の『週間女性』(88年1月14日号)が店頭に並ぶ二日前の19日、『日刊スポーツ』が「浩宮妃候補に急浮上」と「ハーバード大卒のスーパーレディ」小和田雅子浮上の背景とその人となりを伝えた。
(中略)
 同紙が発売されると、東京・目黒区南にある小和田邸に取材陣が殺到。19日朝には小和田父娘と取材陣との間でこんなやりとりもあった。
 自宅を出てきた小和田雅子の前方に、早朝から張り込んでいた写真週刊誌などマスコミ4社のカメラマンが群がり、一斉にフラッシュをたいた。彼女は顔をこわばらせ、
「なんですか、あなたたちは。やめなさい」
と抱えていたバッグで顔を隠した。カメラマンたちは構わずシャッターを押し続ける。
「あなたたち、どこの会社なの。名刺を出しなさい」
と憤りをあらわに二の矢を放った。それでも取材攻勢はやまない。このため彼女は自宅に駆け戻り、息を切らしながら「お父様ァッ、お父様ァーッ!」と叫んだ。
『SPA!』1993年2月10日号 田中康夫 神なき国のガリバー
『言いたいこと、言うべきこと〜神なき国のガリバーvol.3〜』田中康夫 扶桑社1994年7月20日初版発行 p36-39に再録)
 「日出ずる国の象徴」なる座に将来、就くことを運命づけられた人物の妻となる彼女(=小和田雅子)が最も彼女らしく見える髪型なり服装なり化粧なりを、本人、あるいは周囲が的確に会得していることは、当然、求められて然るべき、だ。
 であれば、これらの点に関して報道する際“自己規制”など些かなりともマスメディアは行うべきではなく、また、忌憚なき論評こそがそこで繰り広げられるべき、と僕は考える。
 仮に幸いにして彼女に、何れの場面(シチュエイション)に於いても自身の持つ魅力を十二分に引き出せる術が具わっていたとしても猶、だ。況して、改善すべき点がある場合に於いてをや、であろう。
 思うに、クラウンプリンス・ナルが数年来、魅力を感じていた要素の一つだったであろう“彼女らしさ”の中には、「婚約」発覚後、大分の変化を来たした部分がある。例えば、自宅前で激写(フォーカス)された際、舌打ちしながら明らかに「馬鹿野郎」と呟き、「どこの社(プレス)よ、名乗りなさい」と気丈な反応を見せた魅力を、今の彼女の中に見出すことは、難しい。


この指差し恫喝姿は『FOCUS永久保存版1981-2000』2000年(平成12年)12月18日号の28ページにてばっちり確認でき、またAAにもなっている。

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※AAはこの指差し恫喝画像から作成された。

また1993年1月の婚約発表後『文藝春秋』1993年3月号にて、小和田恒・優美子夫妻がインタビューに応じ、この事件について次のような言い訳をしている。
『文藝春秋』1993年3月特別号 娘・雅子が決意した日(小和田恆・優美子) p118-119より
「名刺を出しなさい」事件の真相(小タイトル)
――そういう努力を重ねて外交官としてスタートを切られたわけですが、今回皇太子殿下とご婚約され、雅子さんは再び全く新しい世界へ旅立つことになりました。これからは、少し、このたびのご婚約の経緯などについて聞かせて下さい。記者会見でも、いろいろなことがあり、ご本人もお二人も悩んだ時期もあったとおっしゃっておられましたが。
小和田 そのあたりのことについては、申し上げることを差し控えさせていただきたいことも多々ございますので……。
――現在、さまざまな報道が氾濫し、噂や正確とは思えない諸情報も流布されているようです。その幾つかについて、これから聞かせていただきたいと思います。まず、皇太子殿下がはっきりとした意思表示をされ、小和田家に正式な打診のようなものがあったのは、八七年の十二月だと思われます。雅子さんが外交官試験に合格した八六年十月、東宮御所で開かれたスペイン・エレナ王女の歓迎レセプションで初めて殿下と会われ、それから幾度かの出会いを経て翌年の末に正式な申し込みがあった……。
小和田 当時、私たちとしましては、そうしたお妃選考の過程で雅子の名が上がっているなどということはまったく存じておりませんでした。たしか八七年の十二月二十日過ぎだったと思います。突然わが家の前にカメラマンの方々が二、三十人現れたのです。雅子は、いつものように外務省に出かけようとして玄関に出たのですが、びっくりして慌てて家の中に駆け戻ってきました。「お父様、お父様」と息を切らしているものですから、「どうしたの」と聞きましたら、何だか分からないけれど、玄関のところにカメラマンの方が沢山いて、写真をパチパチ撮られたと言うのです。私の方も何が起きたのかまったく分かりません。どうしたのだろうと思いましたが、娘ももう社会人のはしくれですし、集まっている人たちに「どうしたんですか」と自分で聞いてみたら、と気軽に申しました。それで雅子は、勇気を奮ってもう一度出て行って「どこの方ですか」と訊ねたんですね。
 それが、後になって「名刺を出しなさい、名前を名乗りなさい」と言い放ったという話になって、「皇室評論家」と称する人などから、気の強い女性であるといった歪められた話になって伝えられてしまったのです。

果たしてこの指差し恫喝画像に相応しいのは
・「どこの方ですか」
・「名刺を出しなさい、名前を名乗りなさい」
のいずれであろうか。小和田恆証言が正しいのか、それとも“雅子が気の強い女性であると歪められた話として報じた「皇室評論家」と称する人”が正しいのか、それは画像を目にした人間が各自判断できることであろう。

この手の振る舞いはてっきりこれだけかと思っていたら『週刊文春』2006年3月16日号にて、駅のホームにいる雅子の姿を撮影した記者(向かいのホームにいた)を見つけ、彼女は階段を駆け上り下りまでしてやってきて記者の胸倉を両手で掴んで揺すぶって「フィルムを出してください!」と叫んだ事件も存在していたことが明らかになった。
『週刊文春』2006年3月16日号 悲劇のプリンセス「不適応」の理由 雅子さま友人・恩師・同僚…50人の証言<上> p40より
自宅前に張り込んだ(12)元写真誌記者C氏は、反省をにじませながらこう話す。
「自宅から駅に向かう雅子さまにぶら下がって話を聞こうとしたことがあります、ところが『マスコミは嘘ばかり!』とおっしゃったので、私もしつこく『どの辺りが嘘でしょうか?』とお聞きしたんですが、何もお話いただけず、駅に着いてしまいました。
雅子さまは満員の上りホームに立っていらした。私はこの取材で初めて雅子さまにお目にかかったんですが、あまりに美しかったので、『何とか写真に収めたい』と反対側の下りホームに行って、レンズを向けたのです。
撮った瞬間に雅子さまが気づかれました。すると全力疾走で上りホームと下りホームをつなぐ陸橋を駆け上って、私のほうにまっすぐ向かって来られたんです。そして私の胸倉を両手でつかんで揺すぶって、
『フィルムを出してください!』
と抗議されました。
その勢いに私は一言も口が利けず、フィルムをどうしたかも忘れてしまいました」
『月刊テーミス』2004年11月号 「懸念は払拭されたのか皇太子ご一家ビデオ公開は裏目に出た」p32-33より
雅子さまの「マスコミ嫌い」は、結婚前から有名だった。お后候補報道が過熱した当時、雅子さまの一挙手一投足は連日、各社のカメラマンにマークされた。外務省の元同僚によると、雅子さまは「マスコミってウジ虫みたい」とこぼしたという。
小和田番だった大手新聞社のカメラマンは、「駅のホームで電車を待っていた雅子さまを撮ろうとしたら、タートルネックのセーターの襟を伸ばして顔を隠されました。そこまで神経質な人が、皇室に嫁いで大丈夫かなと心配になった」と述懐する。

マスコミの取材に神経質になる気持ちは理解できなくもないが、20代の素人女性が成人男性を指差し恫喝したり胸倉を掴むといった行為はそうそうできるものではない。また、いくら心を許した同僚相手でも「ウジ虫みたい」とこぼしたり、タートルネックを伸ばして顔隠しというのも、エリートキャリア官僚を自認している割にはあまりに子供っぽい振る舞いだろう。

水俣病被害者に対し「死んだ魚を食べる乞食がカネせびりに来たな」「腐った魚を食べるから汚い病気にかかる。伝染るから近づくな」(株主総会で一株株主の患者達に)「庶民が何を言うか!」「黙れ貧乏人が!」と恫喝したチッソ社長母方祖父・江頭豊の血がなせる業かとも言われる。


◆参考:2007年11月27日、守屋武昌前防衛事務次官の収賄疑惑騒動の中、まるで元外務事務次官(1991年8月〜1993年7月)小和田恒の長女・小和田雅子の指差し恫喝事件を連想させるような、守屋前防衛事務次官長女のやらかした事件ニュース
守屋家の和服放水娘「名刺出せ」…カメラマン流血
ttp://www.zakzak.co.jp/top/2007_11/t2007112827_all.html
 
 守屋武昌前防衛事務次官と妻は28日午前、東京地検特捜部の出頭要請を受け、東京・神楽坂の自宅から港区内の法務省分室に向かった。守屋氏が自宅を出た瞬間、自宅前に集まった約80人の報道陣が、守屋氏が乗るタクシーに殺到し、現場は大混乱となった。一方、連日の過熱報道に苛立つ、家族らの怒りも爆発した。
 これまでも、過熱する報道に不快感を露わにしてきた守屋家の人々。イライラが頂点に達したのは、27日夜だった。午後9時45分ごろ、額賀福志郎財務相との宴席同席問題で、証人喚問の召喚状を手渡すため、守屋氏宅を訪問した参院事務局職員と報道陣に対し、30代とみられる長女がホースを握り、玄関前を約5メートルに渡って水をまき散らした。「高そうなコートを着たテレビ局の記者が全身水浸しになっていました」(現場の記者)
 このトラブルのため、召喚状は深夜になって参院職員が守屋氏本人に手渡すこととなった。
 守屋家の前では、疑惑がささやかれ出した先月下旬から報道陣が連日待機し、家人の中でも特に同居する長女の苛立ちが目立っていた。「名刺出しなさい。あなたどこの記者ですか」と威嚇。報道機関に電話で抗議するなど報道陣に対し、ひとり戦いを挑んでいた。「ある時は、手伝いに来ていた親族の女性に制止されるほどの興奮ぶりだった」(現場の記者) 約4メートルの脚立を組むテレビ局のクルーに「何やっているんですか!」と怒鳴りつけたり、道路上に“場所取り”のため張ったビニールテープに対して猛抗議をしたり、警察が駆けつける騒ぎになるなどトラブルが頻発していた。このため、所轄の牛込署から警察官が常駐し、規制線が張られるなど、異例の厳戒態勢が敷かれてきた。
 長女が出かける際はいつもしっとりとした和服姿。大学では長唄を専攻し、「年齢以上に大人びて、落ち着いている」というのが近所の評判だ。
 この日も長女の怒りは爆発した。自宅を出る守屋夫妻に連れ立ってマスクに帽子姿で現れた長女は夫妻が乗る個人タクシーの前を誘導。殺到する報道陣の前に両手を広げて抵抗した。タクシーが去った後は報道陣に対し、ひとりひとり「どこの社か」と詰めよった。
 混乱を極めた現場では警備に来ていた警察官がタクシーと接触して救急車で搬送され、カメラマンが頭から血を流す場面もあった。
ZAKZAK 2007/11/28
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