友脳こと、雅子夫人擁護記事を発表し続ける元盗撮カメラマン・友納尚子大先生が主張する、雅子が体調を崩し公務を休むきっかけになったもののこと。友脳は「雅子サマは産後の肥立ちが悪かった」と雑誌にてしつこいほど繰り返し記事にしたため主張している。
「産後の肥立ちが悪い」とは、出産で多大に体力を消耗した母親の体調が回復せず、直後から始まる授乳育児家事労働等々に肉体が追いつかず、医療が発達していなかった時代には命を失うことも珍しくなかった現象である。「肥」という漢字が示すとおり、出産を終えた母親の肉付きが体調のバロメーターとなっている。
一般に出産後体調が回復せず痩せてげっそりやつれている状態を「肥立ちが悪い」というのだが、現在も確認できる2001年12月1日愛子出産後の雅子の姿は「産後の肥立ちが悪い」とはまるで程遠い、むっちりと肉がつきまくった様子である。
仕事も家事も子育ても東宮家職員によるサポートが日本一充実している雅子の環境は、基本的に家族しか助けてくれる人間がいない一般人母親とは比べものにならないほど恵まれていると断言できる。友脳大先生におかれては、下手な嘘を吐き続けるのも程々にした方がよいと思われるお粗末さである。
参考:【友脳】、【背脂】、【ふっくら】
| 『週刊文春』2008年4月24日号 雅子さま「お言葉が少ない」「笑わない」バッシング報道への苦悩「愛子さま育児日記」(ジャーナリスト友納尚子) p24-25より引用 雅子妃の涙――。それは愛子さまが生まれてからの決して平坦とはいえなかったご自身の境遇と重ね合わせたものだったのかもしれない。 雅子妃がご病気となったきっかけは、いわゆるお世継ぎ問題と産後の肥立ちが悪いことが重なったことだった。出産直後にはすぐ第二子へのプレッシャーがかかってきた。身体の変調を訴えたが、公務が調整されることもなかった。 昼間、体を起こしていることが困難になり、どうにか愛子さまの面倒を見ながら、壁によりかかられていることもあったという。 そして愛子さまが二歳になられた直後の〇四年一月、ご公務を休み本格的な静養に入られた。雅子妃はご出産後の記者会見で「生まれてきてありがとうという気持ちでいっぱいになりました」と涙ぐまれたが、その愛子さまの育児すら困難な状況になっていた。 さらにこの頃、愛子さまにかかわる「バッシング報道」が始まったことにも雅子妃は心を痛めていた。 〇四年五月に、イギリスの高級紙『タイムズ』が「うつ病のプリンセス」と題した記事で、「雅子妃は囚人のようなものだ」と報じ、「愛子さまが自閉症だという噂もある」と、まったくのデタラメを報じたのだ。この記事を紹介する形で、国内メディアも続いた。「雅子さまだけではない『愛子さまも危ない!』という閉ざされた宮内庁への『危惧』」(週刊新潮)、「『タイムズ』が報じた愛子内親王に関する心配ごと」(週刊現代)などである。宮内庁担当記者によれば、愛子さまについて、「笑わない」「声を聞いたことがない」という噂は雅子妃のご静養以前から出ていたという。こうした心ない噂に、雅子妃は「自分のことを言われるよりつらい」と語っていたという。 |
| 『週刊文春』2008年6月12日号 「新聞は読めるようになったけれど」…皇太子ご夫妻の日常(ジャーナリスト友納尚子) p31より引用 九九年、念願のご懐妊の兆候があったが、残念ながら稽留流産となってしまう。そして二〇〇一年、待望の第一子愛子さまがご誕生された。 雅子妃は産後の肥立ちが悪く、体調がすぐれないことを訴えても、周囲にはなかなか聞き入れてもらえなかったという。雅子妃と職員との間に、少しずつ気持ちのズレが生じていくようになっていった。 |
| 『週刊朝日』2008年6月20日号 皇太子夫妻ご成婚15年 雅子さまの病状を悪化させた「3つの過ち」(ジャーナリスト友納尚子) p24より引用 2001年、待望の愛子内親王がご誕生された。雅子妃は産後の肥立ちが悪かった。出産後はホルモンの分泌量が急激に変化し、出産した女性の約半数が経験するという。 雅子妃もお疲れが残り、涙が急に溢れてきたこともあったようだ。 2ヵ月後、ご公務に復帰されたが、ご体調は優れなくなるばかりだった。愛子さまが内親王だったため周囲から喜ばれていないように感じられ、不安を募らせていかれたという。 |
| 『週刊文春』2009年5月7・14日ゴールデンウィーク特大号 皇太子と雅子さま病いと修羅を越えて(ジャーナリスト友納尚子) p46-47より引用 愛子さま誕生の数日後から、お一人生まれたのだから次は親王を、と第二子の誕生を期待する声がかけられた。皇太子ご夫妻も応えたいと思われただろうが、治療の苦難が頭をよぎり、すぐには、と躊躇されたという。 雅子妃は産後の肥立ちもすぐれず、心身ともに疲れきっていた。ベッドから起き上がれないことが多く、情緒も不安定で急に泣き出したり、急に自信をなくして底なしの不安に襲われ、皇太子にとめどなく訴えられることもあったという。 |
| 『週刊文春』2009年12月17日号 深層レポート 皇太子殿下を守って差し上げたい 雅子妃の復活 これまで書けなかった全真相(ジャーナリスト友納尚子) ▼お誕生日ムードを吹っ飛ばした宮内庁長官発言 ▼治療回数は激減。ご進講は欠かさず出席 ▼愛子さま「ご出産」の産後の肥立ちが…… ▼「別居・離婚報道」をどう受け止められたか ▼皇太子、愛子さまに「待つといいことがたくさんありますね」 p25-26より引用 雅子妃が久しぶりにお出ましになったのは、十月の学習院初等科の運動会だった。インフルエンザで延期されたため愛子さまは首を長くして待っておられたという。ご夫妻は、愛子さまのダンスやリレー選手として走る姿を嬉しそうにご覧になっていた。 愛子さまも赤坂御用地で、バトンの受け渡しやダンスなどを一生懸命に練習なさっていたことを思い出されたことだろう。 雅子妃のお誕生日の文書のなかでは、 「愛子が学校生活を楽しみながら成長してきてくれていることを何よりもうれしく、ありがたく思っております」 と述べられている。 東宮御所内にも犬のゆり、かめ、ハムスターなどがいる。愛子さまはそれぞれに名前をつけ、できるかげりお世話をされている。 「愛子さまは『ああ、忙しい。忙しい』と言いながら、ご自分のことをなさっています」(宮内庁関係者) 実は愛子さまをご出産された後の産後の肥立ちが悪いことが適応障害の原因の引き金だったのだが、今は愛子さまの存在こそがご回復に繋がっている。 |
「産後の肥立ちが悪い」とは、出産で多大に体力を消耗した母親の体調が回復せず、直後から始まる授乳育児家事労働等々に肉体が追いつかず、医療が発達していなかった時代には命を失うことも珍しくなかった現象である。「肥」という漢字が示すとおり、出産を終えた母親の肉付きが体調のバロメーターとなっている。
一般に出産後体調が回復せず痩せてげっそりやつれている状態を「肥立ちが悪い」というのだが、現在も確認できる2001年12月1日愛子出産後の雅子の姿は「産後の肥立ちが悪い」とはまるで程遠い、むっちりと肉がつきまくった様子である。
仕事も家事も子育ても東宮家職員によるサポートが日本一充実している雅子の環境は、基本的に家族しか助けてくれる人間がいない一般人母親とは比べものにならないほど恵まれていると断言できる。友脳大先生におかれては、下手な嘘を吐き続けるのも程々にした方がよいと思われるお粗末さである。
参考:【友脳】、【背脂】、【ふっくら】
◆「産後の肥立ち」が実に良好であることを示す雅子画像群
2001年12月8日 宮内庁病院を退院、般若顔と非常に危なっかしい手つきで愛子を抱く雅子
2002年1月1日 新年発表画像(右端の皇太子が切れてます)雅子の甲の肉に注目【甲の肉】
2002年1月30日 アムステルダムで行われるオランダのウィレム・アレクサンダー王太子の結婚式に出席する夫徳仁を東宮御所車寄にて見送る、出産後2ヵ月経過した雅子。「産後の肥立ちが悪い」どころか、まるで妊娠後期のマタニティ仕様っぽいジャケットをまだ着用している(よみうり写真館)
2002年3月1日 東宮御所庭園にて、首がまだ座ってないような愛子ちゃんの頭の支えが不安な抱っこをする東宮一家の画像
2002年3月13日 同上「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」、酷い歯並びで大口開けて笑う雅子
2002年4月2日 愛子誕生を語る記者会見にて雅子による「生まれたての子供」「生まれてきてありがとうという気持ちでいっぱいになりました」微妙日本語発言がなされる
2002年4月27日 新潟県全国みどりの愛護つどい式典壇上の夫妻、スーツの上からでも身体の肉付きが分かる雅子
2002年7月20日 両陛下のチェコ・ポーランド・オーストリア・ハンガリーご訪問からの帰国を迎える夫妻、淡いグリーンのフェミニンなスーツが全然似合っておらず残念なことになっている雅子
2002年7月25日 白い豹柄地紋・皇室では考えられないアニマル模様スーツ姿の雅子
2002年8月25日 須崎御用邸静養へ、愛子を抱っこしている丸々とよく肉が付いた雅子と徳仁
2002年8月26日 天皇ご一家の須崎御用邸静養にて“REVE DE FEMME”=「女の夢」プルオーバー姿ですっかりおばちゃん風味の雅子と、抱っこされている愛子と美智子さま【女の夢】
2002年8月26日 同上美智子さまと雅子と愛子の別画像、雅子の下っ腹がまるまるとしているのが光線の具合でよく分かる。
2002年8月29日 今度は那須御用邸静養、那須塩原駅にて愛子を抱く、むっちりと太った姿の雅子。なおこの前日から夫妻は栃木県での「全国農業青年交換大会」に出席しており、そこに愛子が「一人旅」で合流した
2002年9月5日 那須御用邸静養からの帰京の那須塩原駅にて、ボサボサの髪、ダブダブの黄色いシャツの上からも胸より腹が出っ張っていることがわかる。右手で籐かごのバッグを持ったまま愛子ちゃんのお尻を掴んで抱っこし、左手でお手振りしている雅子
2002年9月5日 那須御用邸静養からの帰京の東京駅にて、愛子を抱いている黄色いアッパッパのような服の雅子
2002年10月28日 御料牧場静養にて、牛と触れ合う愛子と雅子
2002年12月14日 ニュージーランドのクライストチャーチにある国際南極センターを訪問の二人、当センターに当時の写真が残る
2003年1月1日 新年ご一家画像。玩具がいっぱい置かれた床に座る愛子と雅子、そして同じく床に乙女座りで写真に収まる皇太子
2003年4月 葉山御用邸静養、散歩で芝生の上にて大口開けて戯れる雅子と愛子
2003年5月30日 皇太子一家、東宮御所の庭にて
2003年6月23日 インドネシア・メガワティ大統領訪日式典の皇太子夫妻と秋篠宮両殿下、そして小泉首相
2003年7月14日 公園デビュー時期、滑り台で愛子を遊ばせるときまで手つなぎを忘れず肩を脱臼させそうな雅子、横からのシルエットが丸々している。
2003年8月18日 那須静養の帰り、雅子に抱きつく様子が全く無い愛子(週刊女性2003/9/2号<愛子さま、おウマさんとは会えなかったけど――元気になって、ホッ!>8月那須静養で愛子が風邪気味胃腸炎を併発したため、牧場散策を中止したとのこと)
2003年8月25日 一旦の帰京後またも那須静養、宮内庁高根沢御料牧場での皇太子一家、何故か厳しい表情で遠くを見る雅子【静養】
2003年9月2日 同上「トゥームレイダー2」チャリティー試写会にて、アンジェリーナ・ジョリーと握手するのに顔でなく胸元に視線がいってる皇太子と、でっぷりした背中と腰周りの雅子
2003年9月4日 小和田家里帰り画像、小和田祖父母の方を指差す愛子
2003年10月26日 迎賓館にてメキシコのビセンテ大統領夫妻来日歓迎式典、紫色スーツ姿の雅子を横のアングルから見た姿が余りに丸々しすぎており、まるで薩摩芋の「農林1号」だとの感想多し。
2003年10月26日 愛知県行啓、大股で歩く紫色スーツ姿の雅子
2003年10月30日 雅子が最後に出席した園遊会、ぱっつんぱっつんでドスコイな和服胴回りに注目
2003年11月8日 第3回全国障害者スポーツ大会開会式のため静岡県袋井市を訪問、雅子が着用している紫色スーツがまるで綿入れのごとくパンパンになってしまう丸々とした体型である。
2003年11月17日 夫婦ツーショットでの雅子40歳誕生日(12/9)発表用写真を撮影、雅子の豹柄アニマルプリントスカーフに注目
2003年12月3日 帯状疱疹で宮内庁病院に向かう雅子と付き添いの皇太子
2004年1月1日 新年ご一家画像、中央に無表情な愛子と、それを相手するために床に座るはめになった秋篠宮内親王姉妹という構図
2004年9月24日 自閉症疑惑を「事実無根で不本意」と完全否定にかかった発表で合わせて公表された画像、青山・こどもの城に通うなどして始めた雅子と愛子のリトミック光景画像【不本意】
2004年11月20日 雅子母方祖母・江頭寿々子死去で小和田家弔問する皇太子一家。愛子の左手が変な角度でだらんとしつつ人差し指だけが少し立っている
2004年12月9日 愛子誕生日用と一緒に撮影されたストライプパンツスーツ姿の雅子単独画像
2005年1月1日 新年発表天皇ご一家映像。かなり大きな体格の愛子ちゃんが雅子の膝の上に抱かれている
…以上、雅子の「産後の肥立ち」が悪かったことを示すような画像は1枚たりとも見つけることはできなかった。→【マコオタ画像集(雅子関係)4】
存在するなら是非ご教示いただきたいものである。
2002年1月1日 新年発表画像(右端の皇太子が切れてます)雅子の甲の肉に注目【甲の肉】
2002年1月30日 アムステルダムで行われるオランダのウィレム・アレクサンダー王太子の結婚式に出席する夫徳仁を東宮御所車寄にて見送る、出産後2ヵ月経過した雅子。「産後の肥立ちが悪い」どころか、まるで妊娠後期のマタニティ仕様っぽいジャケットをまだ着用している(よみうり写真館)
2002年3月1日 東宮御所庭園にて、首がまだ座ってないような愛子ちゃんの頭の支えが不安な抱っこをする東宮一家の画像
2002年3月13日 同上「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」、酷い歯並びで大口開けて笑う雅子
2002年4月2日 愛子誕生を語る記者会見にて雅子による「生まれたての子供」「生まれてきてありがとうという気持ちでいっぱいになりました」微妙日本語発言がなされる
2002年4月27日 新潟県全国みどりの愛護つどい式典壇上の夫妻、スーツの上からでも身体の肉付きが分かる雅子
2002年7月20日 両陛下のチェコ・ポーランド・オーストリア・ハンガリーご訪問からの帰国を迎える夫妻、淡いグリーンのフェミニンなスーツが全然似合っておらず残念なことになっている雅子
2002年7月25日 白い豹柄地紋・皇室では考えられないアニマル模様スーツ姿の雅子
2002年8月25日 須崎御用邸静養へ、愛子を抱っこしている丸々とよく肉が付いた雅子と徳仁
2002年8月26日 天皇ご一家の須崎御用邸静養にて“REVE DE FEMME”=「女の夢」プルオーバー姿ですっかりおばちゃん風味の雅子と、抱っこされている愛子と美智子さま【女の夢】
2002年8月26日 同上美智子さまと雅子と愛子の別画像、雅子の下っ腹がまるまるとしているのが光線の具合でよく分かる。
2002年8月29日 今度は那須御用邸静養、那須塩原駅にて愛子を抱く、むっちりと太った姿の雅子。なおこの前日から夫妻は栃木県での「全国農業青年交換大会」に出席しており、そこに愛子が「一人旅」で合流した
2002年9月5日 那須御用邸静養からの帰京の那須塩原駅にて、ボサボサの髪、ダブダブの黄色いシャツの上からも胸より腹が出っ張っていることがわかる。右手で籐かごのバッグを持ったまま愛子ちゃんのお尻を掴んで抱っこし、左手でお手振りしている雅子
2002年9月5日 那須御用邸静養からの帰京の東京駅にて、愛子を抱いている黄色いアッパッパのような服の雅子
2002年10月28日 御料牧場静養にて、牛と触れ合う愛子と雅子
2002年12月14日 ニュージーランドのクライストチャーチにある国際南極センターを訪問の二人、当センターに当時の写真が残る
2003年1月1日 新年ご一家画像。玩具がいっぱい置かれた床に座る愛子と雅子、そして同じく床に乙女座りで写真に収まる皇太子
2003年4月 葉山御用邸静養、散歩で芝生の上にて大口開けて戯れる雅子と愛子
2003年5月30日 皇太子一家、東宮御所の庭にて
2003年6月23日 インドネシア・メガワティ大統領訪日式典の皇太子夫妻と秋篠宮両殿下、そして小泉首相
2003年7月14日 公園デビュー時期、滑り台で愛子を遊ばせるときまで手つなぎを忘れず肩を脱臼させそうな雅子、横からのシルエットが丸々している。
2003年8月18日 那須静養の帰り、雅子に抱きつく様子が全く無い愛子(週刊女性2003/9/2号<愛子さま、おウマさんとは会えなかったけど――元気になって、ホッ!>8月那須静養で愛子が風邪気味胃腸炎を併発したため、牧場散策を中止したとのこと)
2003年8月25日 一旦の帰京後またも那須静養、宮内庁高根沢御料牧場での皇太子一家、何故か厳しい表情で遠くを見る雅子【静養】
2003年9月2日 同上「トゥームレイダー2」チャリティー試写会にて、アンジェリーナ・ジョリーと握手するのに顔でなく胸元に視線がいってる皇太子と、でっぷりした背中と腰周りの雅子
2003年9月4日 小和田家里帰り画像、小和田祖父母の方を指差す愛子
2003年10月26日 迎賓館にてメキシコのビセンテ大統領夫妻来日歓迎式典、紫色スーツ姿の雅子を横のアングルから見た姿が余りに丸々しすぎており、まるで薩摩芋の「農林1号」だとの感想多し。
2003年10月26日 愛知県行啓、大股で歩く紫色スーツ姿の雅子
2003年10月30日 雅子が最後に出席した園遊会、ぱっつんぱっつんでドスコイな和服胴回りに注目
2003年11月8日 第3回全国障害者スポーツ大会開会式のため静岡県袋井市を訪問、雅子が着用している紫色スーツがまるで綿入れのごとくパンパンになってしまう丸々とした体型である。
2003年11月17日 夫婦ツーショットでの雅子40歳誕生日(12/9)発表用写真を撮影、雅子の豹柄アニマルプリントスカーフに注目
2003年12月3日 帯状疱疹で宮内庁病院に向かう雅子と付き添いの皇太子
2004年1月1日 新年ご一家画像、中央に無表情な愛子と、それを相手するために床に座るはめになった秋篠宮内親王姉妹という構図
2004年9月24日 自閉症疑惑を「事実無根で不本意」と完全否定にかかった発表で合わせて公表された画像、青山・こどもの城に通うなどして始めた雅子と愛子のリトミック光景画像【不本意】
2004年11月20日 雅子母方祖母・江頭寿々子死去で小和田家弔問する皇太子一家。愛子の左手が変な角度でだらんとしつつ人差し指だけが少し立っている
2004年12月9日 愛子誕生日用と一緒に撮影されたストライプパンツスーツ姿の雅子単独画像
2005年1月1日 新年発表天皇ご一家映像。かなり大きな体格の愛子ちゃんが雅子の膝の上に抱かれている
…以上、雅子の「産後の肥立ち」が悪かったことを示すような画像は1枚たりとも見つけることはできなかった。→【マコオタ画像集(雅子関係)4】
存在するなら是非ご教示いただきたいものである。

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