2ちゃんねる既婚女性板(通称・鬼女板)最強のスレッドを、まとめる場所です。 皇室ニュースの理解にも役立つことを目指しています。 管理人はドス子の事件簿と同じです。 また、コンテンツの充実には有志の住人に多大に協力頂いております。 2009/1/29、「ドス子」の意味がよくわからないという声があるようですので、試みに補足として(皇太子妃雅子殿下の事件簿)と追加させていただきました。


◆雅子関係画像集(1992年皇太子妃の座ゲト大作戦時期〜1993年6月9日結婚〜1993年末)

1992年8月16日 皇太子と小和田雅子、東京・五番町の柳谷謙介・元外務次官宅でセッティングされた5年ぶりの再会デート
1992年8月17日 首相官邸にて、天皇陛下の中国公式訪問に関する有識者意見聴取に出席した小和田恒外務事務次官(よみうり写真館)
1992年9月 外務省同僚上田奈生子さんと北海道支笏湖旅行、熊出没注意の看板とあだ名
1992年9月 同上外務省同僚上田奈生子さんと北海道支笏湖旅行でのスナップ
1992年10月3日 皇太子と雅子、宮内庁新浜鴨場(柳谷謙介同席)で極秘デート。皇太子はあずき色のワゴン車に隠れて東宮御所を抜け出して逢引したという手の込んだ工作だった。この場で皇太子はプロポーズをし、雅子は「お断りすることがあっても構いませんか?」と返事を保留、10月20日ごろ断りの返事(とことん高値で売りつけようという目論見か)。
1992年11月28日 先月プロポーズを断ったくせに、またも東宮仮御所に出向き皇太子とデート。
1992年12月2日 皇太子のプロポーズを受ける10日前に銀座のデパートで「クリニーク」のボディー用クレンジングクリーム(4,500円)と顔用クレンジングクリーム(4,000円)を購入
化粧品はランコムを愛用で、普通1年もつアイブローを何故か1ヶ月毎に購入していたとも記事に。母親と双子妹を考えても明らかに多すぎる量である。
1992年12月12日 小和田雅子、またも東宮仮御所訪問、プロポーズ受諾の返事。
1992年12月12日 徳仁からのプロポーズを受け入れた当日、小和田家と親交の深い書家小川東洲個展鑑賞に出向く小和田恒・優美子・雅子小川東洲
1992年12月12日 同上小川東洲個展鑑賞にて、個展企画人の元巨人軍コーチ瀧安治氏と記念撮影する雅子。
1992年12月12日 新宿三越で開催された小川東洲個展鑑賞後、会場から出てくる小和田恒・雅子
1992年12月12日 同上小和田家と親交の深い書家小川東洲氏個展鑑賞後、中華料理店でターンテーブルを囲み、小川夫妻・小和田家両親と共に記念撮影する雅子。優美子雅子ともに椅子の背によりかかり不敵なポーズである。
参考ようつべ:19930106皇太子さま婚約内定報道1<小川東洲にインタビュー>
1992年12月25日 なんとプロポーズを受けてから1週間後、やっと両陛下と引き合わされることになる雅子。いかにこのプロポーズ大作戦が両陛下に対し隠密で動いていたことが分かる。
1992年12月 皇太子との婚約発表間近、何故かマスコミに公開されている小和田の両親に書いた「一足遅れ」のクリスマスカード一足遅れのクリスマスカード
1992年12月28日 外務省年末仕事納めの出勤姿
1992年12月28日 外務省年末仕事納めの日、駐車場から不機嫌顔で歩いて出勤する雅子連結画像
1992年1月4日 外務省年末仕事始めの日、車で出勤、ドアに施錠している雅子
1993年1月6日 小和田雅子が皇太子妃に内定報道
1993年1月6日 小和田雅子皇太子妃内定報道当日のテレ朝ニュースステーション画面
1993年1月6日 朝日新聞号外<皇太子妃に小和田雅子さん>を手に解説するテレ朝ニュースステーションの久米宏キャスター
1993年1月 スポーツ紙(中日スポーツ)一面でも婚約内定記事
1993年1月8日 皇太子妃選定の皇室会議(1/19)に提出用の写真を佐藤写真帝国ホテル写真室で撮影、雅子が着ているのはキミジマの18万5千円スーツ
1993年1月8日 帝国ホテルへ皇室会議提出用の写真を撮りに出かける小和田雅子と母優美子
1993年1月8日 コンクリ御殿前に集まった大量のマスコミカメラの前を挨拶しながら通る優美子雅子母娘
1993年1月8日 コンクリ御殿前に集まった大量のマスコミカメラの前を挨拶しながら通る優美子雅子母娘(よみうり写真館)
1993年1月8日 皇室会議提出用写真を撮りに出かける小和田雅子連結画像
同上、君島スーツにゴージャスコートの雅子
1993年1月8日 髪をいじるポーズの雅子
1993年1月8日 とにかく満面嬉しそうな笑顔の雅子、左右の瞼が揃ってないガチャ目なことが分かる。
1993年1月8日 皇室会議提出用写真を撮影した帝国ホテル前にて報道陣に下品な仕種で会釈する雅子
1993年1月8日 皇室会議提出用写真撮影を終え、帝国ホテルを出る雅子
1993年1月8日 皇室会議(19日)提出資料用に撮影された雅子顔写真(を使ったアサヒグラフ表紙)アイプチ
1993年1月8日 君島スーツにゴージャスコートを翻し、髪を靡かせ実に嬉しそうな満面笑顔の雅子
1993年1月8日 君島スーツ&ゴージャスコートで花束を手に髪を靡かせ大股歩きの雅子
1993年1月8日 帝国ホテルでの写真撮影が終わり、花束を片手にコンクリ御殿に帰るゴージャス白コート雅子コンクリ御殿
1993年1月8日 人生で最高潮、実に嬉しげ・誇らしげな小和田雅子の姿『皇太子さまと雅子さん ご婚約記念写真集』(朝日新聞社編、1993年月発行)より
1993年1月8日 写真撮影のため出かけた帝国ホテルから帰宅、ドアを開け「ながら」自宅前に集まった報道陣に嬉しそうな笑顔で会釈
雅子の白コートはHERNOのカシミア100%で定価55万円、コートの下はこのおかげですっかり有名になったキミジマのピンクスーツ。 母優美子は世界中を席巻する動物愛護風潮の空気すら読めないミンクの毛皮コート姿。
1993年1月9日、肺炎を起こしたセキセイインコ(ピッピ)をなんと素のケージに入れたままで運ぶ優美子。小鳥飼育においては病気でない通常時ですら、隙間風や温度変化は禁物である。
1993年 皇太子と小和田雅子を引き合わせた“陰の仲人”元・国連大使中川融氏
『AERA』1993/1/19号<プリンス・プリンセス決断までの二千日〜恋の回廊を抜けた二人>記事
『AERA』1993/1/19号 編集部・大庭牧子、井原圭子<机を並べた本誌女性記者 東大に現れた謎の美女>記事
 顔立ちを見て、日本人じゃないのではという人もいた。
 雅子さん本人も冗談まじりにこう言っていた。
「ネパール人とのハーフじゃないかってよく聞かれるのよ」
『週刊新潮』1993/1/21号<「皇太子妃内定」巷談(1)なぜ外人記者「スクープ」なのか(2)小和田さんを承諾させた皇太子の「条件」(3)皇后ご両親に会わなかった昭和天皇>記事
『週刊新潮』1993/1/21号<「皇太子妃内定」巷談(4)金貨からデザイナーまでの「便乗」(5)「お妃教育」は前進しているか>記事
『週刊現代』1993/1/23号<皇太子と小和田雅子さん「世紀の恋」スクープ秘話>記事その1 / 記事その2
 実はこの高3−大学1年の期間、雅子さんは小社がアメリカで編集制作していた『エンサイクロペディア オブ ジャパン』(英語版日本百科事典)の編集を手伝っていた。
 同事典の編集責任者、板坂元・創価女子短大教授(副学長)が、当時の雅子さんを回想してこう語る。
参考:臍の穴が浮き出るほど激太り雅子(1990年8月)の画像を、横縮小かけて細く見せかける編集をしたと思しき同誌比較
『週刊読売』1993/1/25臨時増刊号 小和田雅子表紙&特集<麗しのPrincess>
『女性自身』1993/1/26号<本誌スクープどおり“ひとめ惚れ”から7年を貫かれて「雅子さんしかいない!」の愛実る!>表紙記事一部
『週刊現代』1993/1/30号<小和田雅子さん全角度大研究>記事その1 / 記事その2
『アサヒグラフ』1993/1/30臨時増刊号、小和田雅子表紙
『フライデー』1993/1/29号、小和田雅子表紙
NHK番組雑誌『STERA』1993/1/29号<小和田雅子さん平成のプリンセスに内定>表紙
1993年1月13日 婚約内定後19日ぶりに東宮仮御所でのデートに出かける雅子、小和田邸前でのインタビュー中表情連結画像
参考ようつべ:20090412やはりこの人しかいなかった
1993年1月13日 婚約内定後19日ぶりに東宮仮御所でのデートに出かける雅子
1993年1月13日 同上東宮仮御所でのデートに出かけるため、車に乗り込む雅子
1993年1月13日 婚約内定後19日ぶりに東宮仮御所「4時間半のアツアツデート」から戻ってきた雅子
1993年1月13日 目玉をきろーんと斜め右上に回した表情の雅子
コートは帝国ホテル内ショップで購入のSARLI(サルリ、ドイツ製)13万3千円、結婚後の鴨場接待(1993年12月20日)でも着用している。バッグはホースヘア(多分コンテス)で40万円。ボストンバッグはセリーヌで、中身は二人で見るために持参したアルバムとのこと。
1993年1月13日 雅子を出迎える妹礼子
1993年1月15日 紀宮と一緒に婚約記念写真展に出向いた浩宮、等身大小和田雅子パネルを前にして
1993年1月16日 花束を持って西麻布の美容院HIRO・INを出る赤色コートの雅子
1993年1月17日 東宮仮御所へ行くため目黒区の自宅を出る紺色コートの雅子
1993年1月18日 週刊読売臨時増刊1993/01/25号「麗しのPrincess マサコスマイル」
婚約発表に際し靴を注文するものの、靴デザイナー河村龍介氏にそれまで履いていた既製品靴を渡して製作させ、後に「靴のフィッティングがぴったりいっていないように思われますが」と文句をつけるおかしな雅子。靴の採寸最中に飼い犬ショコラをうろちょろさせる非常識ぶりも(『女性自身』1993/12/7号より)甲の肉】【ショコラ
1993年1月19日、皇太子徳仁親王と小和田雅子との婚姻について皇室会議が開催される。
1993年1月19日 皇室会議開催当日N○Kにて流された雅子の友人土川純代氏提供映像(1992年5月撮影)より。コンロに火を点けたままレンジ拭き掃除をしたり、手を拭いた後の湿った雑菌付きタオルをペーパータオルロールの上に置こうとする(当然タオルは落下)、どう見ても台所仕事に無知なことが丸分かり「家庭的女性演出PV」乙な雅子の姿土川純代
参考:当該ようつべ動画
1993年1月19日 皇室会議が終了し、御所へのご挨拶に出発する小和田恒・優美子・雅子の三人と、玄関前に現れた双子妹礼子と節子。雅子優美子のハイヤーへの下品な乗り込み方に注目。
参考:当該ようつべ動画
1993年1月19日 両陛下に婚約のご挨拶の小和田恒・優美子・雅子の三人
1993年1月19日 両陛下に婚約のご挨拶の小和田優美子と、右画像2002年2月福田貴代子(福田康夫夫人)との帯の比較福帯
1993年1月19日 なんと背中にも「福」の文字が入っている優美子の帯
1993年1月19日 ご挨拶後金屏風の前で記者会見に答える小和田優美子と、右画像2002年2月福田貴代子(福田康夫夫人)との帯の比較
1993年1月19日 福帯を締めた優美子何様が上から目線で語る「私ども国民の手本になるような家庭を」小和田何様
1993年1月19日 金屏風の前で記者会見に答える小和田夫妻連結画像(午後3:35)、優美子の後ろ髪がぐちゃぐちゃ状態である。
同上 小和田優美子アップ画像
掲載誌不明「初々しさにあふれた婚約会見」と無理ありすぎなタイトルをつけられた徳仁雅子会見グラビア
朝日新聞 1993年1月19日<宮内庁「ノー」を撤回>記事
1993年1月19日 婚約会見開始直前、着席時に股座に手をやりまるでち○こポジションを直すような仕草をする雅子。後に『皇太子さまと雅子さん ご婚約記念写真集』(朝日新聞社編、1993年2月発行)に掲載されることになる。 1993年1月19日 婚約会見を終えた二人が歩くツーショット / 同上、別写真
1993年1月19日 婚約記者会見斜めから撮影された雅子と、車で一緒に移動する徳仁と雅子。たくあん衣装雅子はとにかく嬉しそうな表情で車内からお手振りまでしている。
1993年1月19日夜 美智子皇后から贈られたルビーの指輪を左手薬指につけている雅子(カラー画像)
同上、美智子皇后から贈られたルビーの指輪を左手薬指につけている雅子(モノクロ画像説明入り)
同上、美智子皇后から贈られたルビー指輪の雅子別画像
1993年1月19日 美智子さまから譲られたルビー(ダイヤとコンビなので脇が白く光っている)指輪を手に帰宅した雅子正面からの画像。ひとさし指が怖すぎると評判である。『華麗日本の皇室』主婦と生活社(平成6年発行)149頁より
「ルビーの指輪」について:元は昭和34年の御成婚の際に良子皇后(当時)から美智子妃に贈られたもの。プラチナ台に約7ctのカボションカットのルビー、両脇に細かいダイヤモンドという逸品。皇室には婚約・結婚の際に指輪交換をする風習がないため、美智子皇后のお心遣いによるものである。
ちなみに川嶋紀子さん(婚約当時)の場合、紀子さんが礼宮様(当時)にナマズの指輪を贈られた同日、美智子皇后(当時)ご愛用の真珠にダイヤがついた指輪が贈られた。
また喜久子妃は、雅子妃御成婚の折に「象牙御紋付金蒔絵御扇子」をお祝いに差し上げた。この扇子は喜久子妃の母君、徳川実枝子さんが昭憲皇太后より賜った美術品と言えるもの。
1993年1月19日夜 マスコミカメラになんだか凄い笑顔を見せる雅子(魚拓)
1993年1月19日夜 同上小和田邸前で両親と共に、三人ともテカテカに脂光りした顔
1993年1月20日 皇太子・雅子婚約会見の翌日、各宮家へ挨拶まわりに出かける小和田夫妻(よみうり写真館)
1993年1月20日 読売新聞 雅子の伝蓋中1からの友人・土川純代さんによる旅行の思い出などを綴った手記<皇太子妃になる「オワ」へ>記事その1 / 記事その2伝蓋】【大食い雅子さま】【土川純代
1993年1月20日 朝日新聞<キャリアから転身のプリンセス 東大や学習院大の女子学生ら45人に聞いてみたら…>記事
「『皇室外交』という言葉に惑わされてませんか」東大文学部4年
「昔は断ったのに、なぜ急に結婚する気になったのですか」東大理科2類1年
「いままで付き合った人はいないの」学習院大経済学部1年
「皇太子のどこが好きになったの」学習院大理学部1年
『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下>記事【恒久子】
『FLASH』1993/01/26号「私のやったことは歯車のひとつ」と語る柳谷謙介氏(68・国際協力事業団総裁)と、小和田恒がやけに手際良く家族スキー旅行ビデオを記者に配る予定だったとの記事
『FLASH』1993/01/26号「皇太子と小和田雅子は'84年にアルザスで逢っていた?!」という記事コルマール
『女性セブン』1993/1/28号<愛の秘話公開雅子さん妃の決断>表紙
『週刊新潮』1993/1/28号<特集・キャリアウーマン「皇太子妃」で皇室は変わるか その1>記事
『週刊新潮』1993/1/28号<特集・キャリアウーマン「皇太子妃」で皇室は変わるか その2>記事デビッド・カオ
『アサヒグラフ』1993年1月30日臨時増刊号 朝日新聞社会部・斎藤智子<雅子さんとの泣き笑いの日々>コラム記事大食い雅子さま
 なんとかして会うため、マンガ入りの手紙を送ったり、電話をしたり、行き先もコンサート、映画館と手を変えた。食事もフランス料理にヤキトリ屋、日本料理屋……。デートをリードしなくてはならない男の苦労が、身にしみてわかった。
『週刊女性』1993/2/2号<雅子さん(29)殿下の一途愛 愛の花束から5年 プロポーズを待っていた!>表紙・グラビア
『週刊新潮』1993/2/4号<もう始まっている「雅子妃」いじめ>記事
「例えば、六日に内定報道が広がった時点で、宮内庁だけはこれを一切、公には認めませんでした。ですから、十九日までのあらゆる対応は外務省がやっていました。小和田家には多数の報道関係者が押しかけていましたが、外務省の職員が窓口になり、その日、雅子さんが家の中で何を食べ、何を着ていたかといった状況を細かくレクチャーし、予定なども知らせてくれる。ところが、十九日以降、宮内庁が仕切るようになってから何日目かには、“もう家の中の様子は一切報告しません”となったものだから、現場に混乱が起ってしまったのです」
 十九日の婚約会見でも、
始まる数分前に、お二人が下見のため会場に入ってきました。すでにカメラもマイクもセットされていたので、“ここに座るの”などとやり取りしているところが、一部、中継されてしまったのです。こういう場面は微笑ましくて非常にいいと思うんですが、宮内庁は、“会見だけを映す約束だからダメだ”と言うんですよ」
『週刊新潮』1993/2/4号<TEMPO「雅子妃の母」大騒動で「教授」就任できず>記事ババン
『週刊ポスト』1993/2/5号<「アルザスの恋」現場写真と手紙>(下画像)コルマール
『週刊ポスト』1993/2/5号<小和田雅子さん「決断」までの書かれざるエピソード/「常磐会」新年会で交わされた雅子さん評>記事
『週刊現代』1993/2/6号<“皇太子妃の父”が迎える外交官としての正念場 小和田恒>記事
婚約当時発売の雑誌記事【在日外国人が見たプリンセス】「雅子さん、できれば歯並びを…」「キコさまの会見などに比べて、マサコさんがよくしゃべった」「米国では歯並びは太りすぎと同じで、自己管理のひとつ」
1993年 散歩でショコラの糞を片付けようとするのはいいが、ロングスカートを完全に地べたに引きずってしまっている妹節子ショコラ】【礼節姉妹
1993年 コンクリ御殿前で祝いの樽酒を振舞うことに、蓋を開ける際に樽を押さえていた男性(警察関係?)が木槌で手を叩かれてしまうハプニング
1993年 小和田家に「手紙をもってきた小学生」登場、可愛い少女と小和田家とのほのぼの秘話を期待し記者が「小和田さんとはお知り合いですか?」と質問したものの、「いいえ、テレビで見ただけです」「なんか、電車ん中であったような気がすんです」との答。あからさまに仕込み臭い小学生女児2名である。

1993年1月29日 婚約内定直後、真紅コート姿で小首をかしげ満面笑顔を向けてコンクリ御殿に入る、マスコミカメラ意識しまくりの雅子
1993年2月3日 移動車内の徳仁と小和田雅子、この当時からカメラ目線バッチリの雅子
1993年2月5日 小和田夫妻と上野の森美術館「MOMA展」へ。キミジマの黒リボンスーツに、クリスチャン・ディオールのブレスレット。雅子の横目使いと、熱く語る父・恒と母・優美子の表情に注目。
1993年2月5日 同上、上野の森美術館「MoMA ニューヨーク近代美術館展 1993TOKYO」鑑賞の雅子と母優美子連結画像。したり顔のオーバーアクションで喋りながら、自分を誇示している様子
同時期に撮影されたと見られる青コートの雅子。本人的にはキメ顔の左斜め上目づかいである
1993年2月8日 赤坂御所で両陛下と夕食会。皇太子と車内2ショット
1993年2月9日 外務省退職、職場で上司や同僚らに囲まれ花束を手にする雅子カラー画像
1993年2月9日 小和田雅子が人生で最高潮にめかし込んでいた時期の表情集
1993年2月9日 外務省退職の日、父恒とともに渡辺美智雄外相に挨拶
1993年2月9日 小和田雅子外務省退職の日。隣の笑顔の女性は雅子に「ネズミ」「ネズ母さん」とあだ名を付けられ、飼い犬「ショコラ」扱いまでされた同期入省の上田奈生子さん
『女性自身1993年6月30日号緊急増刊永久保存版 雅子妃誕生 愛「決断」のすべて!』より、1987年に雅子と同期入省した上田奈生子さんご本人による、穏やかでありつつも怒りが秘められた様子の「ネズミ」「ショコラ」あだ名事件についての証言あだ名】【ショコラ
1989年「私は関係していないと思います」発言→1993年1月19日真っ黄色たくあん婚約会見→1993年2月9日外務省退職
『VIEWS』1993/2/10号 橋本大二郎<殿下にお幸せになっていただけるように―雅子さんで何かが変わる>記事
『文藝春秋』1993年3月号井田真木子<新皇太子妃物語―平成皇室が迎えた比類なきキャリアの“背景”その1> / その2小和田毅夫】【おえらいの?
『文藝春秋』1993年3月号小和田恒・優美子<娘・雅子が決意した日―両親が語る新皇太子妃の素顔その1>樽ネズミ
その2///指差し恫喝】/その6//
『文藝春秋』1993年3月号 皇太子殿下御学友・賀陽正憲<会見に見た宮様の大御心>お祝いコメント
『文藝春秋』1993年3月号 小和田雅子を推薦した元駐ソ大使中川融<仲介役の一人として>お祝いコメント
『諸君』1993年3月号 保坂正康<天皇家の「生存への選択」〜殿下にとって小和田家の歴史は何を意味したのか?>記事その1 / 記事その2
『週刊新潮』1993/2/25号<美智子皇后「30年の想い」を晴らせた春の宴>記事
1993年2月20日 父恒と観劇に出かける、両足を開いて仁王立ち姿で何故か股のあたりに手をやる雅子
1993年2月22日 コンクリ御殿前にて、青い衣装に真珠ネックレス、真ん丸顔の二重顎で嬉しそうな笑顔をマスコミカメラに向ける雅子
1993年2月22日 母・優美子と“母校”田園調布雙葉学園を訪問した青色スーツの雅子
1993年2月22日 外務省の送別会に出席する折、女の子から突然花束を贈られた雅子
コートから右膝下内側が見えていてうんこ座り状態と思われる。コートは多分ジュンアシダで32万円。あと日が落ちた官庁街に唐突に現れた花束贈呈の女の子、どう見ても仕込みです。
1993年2月23日 徳仁誕生祝いの夕食会に招かれやってきた、嬉しそうな表情の雅子
『週刊新潮』1993/3/4号<「雅子妃」30年の厚い友情に美しい「訣別」のかたち>記事
1993年2月28日 東京・六本木にて田園調布雙葉学園第28回生学年会でスピーチする雅子
1993年2月28日 同上六本木での田園調布雙葉学年会で同級生と写真に写る雅子
1993年2月28日 同上六本木での田園調布雙葉学年会での花束を手にした雅子を中心に記念写真(『フライデーSPECIAL 6/26増刊号<明るくお茶目で面倒見がいい 雅子さまクラスメートと共有する「青春の日々」>記事と記念集合写真グラビア
同級生がマスコミ取材で“逸話”を話してしまったことを詫びると「私は、しゃべられて困ることはないから、別に気にしていないわよ」と豪語の雅子。スカートめくりや消しゴムかす背中入れや非常ベル鳴らして授業妨害などは、一切悪いことでないと認識している模様。
なお同記事では雅子がアメリカからの帰国後田園調布雙葉編入学試験に不合格で、目黒区立立原町小学校・新宿区立富久小学校に通っていた事実が完全に隠蔽されている。
永井雄一著『小和田雅子さん素顔の29年』データハウス、帯文句「エリート外交官から皇室へ」
『週刊新潮』1993/3/11号<英王室が駄目なので「お妃教育」に変化>記事
1993年3月 水戸の老人ホームに入居していた父方祖父母・小和田毅夫&静を見舞う雅子と優美子。雅子は皇室会議提出写真と同じキミジマスーツを着用小和田毅夫
『女性セブン』1993/3/18号<思いは新婚生活へ、皇太子さまが熱中取材!>
p48より 皇太子さまの“熱中取材”は2時間にも及んだ。皇太子さまの口から雅子さんの話が聞かれなかったのは、
「納采の儀が終わるまでは、正式には“内定”です。私的な場でお相手のことを語らないのは、殿下がけじめをつけられているということでしょう」(宮内庁関係者)
1993年3月12日 「お妃教育」のため、目黒の自宅を出て宮内庁に到着、曽我東宮侍従の出迎えを受ける青色コート姿の雅子。肩掛けバッグを持ち替える手のしぐさや大股歩きの足運びがいかにもガサツである
1993年3月12日 お妃教育がスタート。8科目50時間のご進講は、美智子さまのときにくらべ47時間も少なくなっている。
1993年3月12日 お妃教育講義を受ける雅子、首元にべったりと恐らくアトピー痕隠しの画像修正がほどこされている。
1993年3月12日 お妃教育講義風景、講師は侍従・掌典長を務めた永積寅彦氏
正田美智子さんのお妃教育→大学を主席で卒業ということで一般教養は省かれたが、それでも97時間ものご進講を受けられた。
小和田雅子のそれ→学歴ロンダリングにもかかわらず1ヶ月半50時間の進講で修了。神道についての進講では英語テキストを所望した。
1993年3月14日 東宮御所でのデートのため、自宅前に出てきた青色コートの雅子。不自然なほど体の軸が傾いた姿勢、横目、イヒヒ笑いである(よみうり写真館)
1993年3月 お妃教育から帰宅した雅子、白塗りの顔が浮いたようになっている
1993年3月17日 浩宮誕生に携わった元宮内庁病院産婦人科医長・目崎鑛太氏が小和田家にご挨拶、犬(=ショコラ)を抱いたまま応対する小和田優美子ショコラ
『週刊新潮』1993/3/25号<日延べ「納采の儀」から六月九日「結婚の儀」までの宮内庁>記事
1993年3月21日 母優美子とともにバイエルン放送交響楽団演奏会へ、チェーンバッグがお揃いの母娘
1993年3月22日 母優美子とともに、東京国立近代美術館「フォーヴィスムと日本近代洋画」展鑑賞の雅子。ストライプスーツに横目
『噂の真相』1993年4月号<皇太子妃・雅子を生んだ小和田家の犯罪のルーツを徹底追跡!>記事チッソ
1993年4月 雅子が小学2年生のとき通っていた新宿区立富久小学校の恩師、中坪先生を自宅に招いた優美子と雅子。客人にスリッパも出さず、自分たちの足元にはちゃっかりスリッパがあることに注目
1993年4月4日 東宮仮御所に出向きデート、赤坂御苑散策の二人。雅子は白地に水色チェックのスーツ姿
1993年4月4日 同上赤坂御苑散策デートで桜の下の二人
1993年4月4日 同上赤坂御苑散策デートの二人
1993年4月4日 同上赤坂御苑散策デートで桜の下の二人 TV番組キャプチャ画像
参考ようつべ:20090412やはりこの人しかいなかった
1993年4月4日 同上東宮仮御所でアルバムを見る二人
1993年4月6日 どこで売ってるのか分からないオリンピックカラーのような派手なブラウスを着た雅子
1993年4月12日 納采の儀の小和田夫妻と雅子の表情連結画像
1993年4月12日 納采の儀、使者に対面する優美子とガンを飛ばす雅子
参考ようつべ:19930412納采の儀
1993年4月12日 納采の儀にて、菅野東宮大夫の口上に「謹んでお受けいたします」と答え、三方を受け取るため手にしている扇子を帯の鳩尾真ん中に差し込む雅子連結画像
1993年4月12日 納采の儀、使者である菅野東宮大夫から差し出された目録が置かれた三方を変な風に持つ、金ピカ“錦鯉”な小和田雅子。納采の品として三方の上には大きな鯛が二尾乗っている錦鯉
1993年4月12日 納采の儀で、三方を台に斜めから置こうとし慌ててずいずいと正面に移動し直すなど、落ち着きなくキョドる大きなお尻の後姿雅子
参考:最初お辞儀をして頭を上げるタイミングが雅子一人だけ早く、三方を受け取りに進み出るのを緊張で忘れたのかボーっとしていて母優美子に横から促され、慌てて扇子ど真ん中挿し、前に進み出て下の台足部分を間違った持ち方をしそして斜めから置こうとしてこれまた慌てて正面に移動しなおす無様な雅子。そして親子三人揃って再度お辞儀をするはずがこれまた忘れていたのか雅子一人だけど真ん中扇子を抜き取るのが遅れ一人揃わぬ始末。そんな見っともない一連の光景が収められている当日のワイドショー番組ようつべ映像
1993年4月12日 金屏風前に納采の儀で小和田家に贈られた絹織物五巻・清酒一荷六本・形が良く大きなものを揃えるのに漁師さんが苦労したという雌雄の鯛一対。紅白のバラとカトレアを脇にしているの図
近所の鮮魚店「相木屋」にて、雄鯛は約30人前の刺身、雌鯛は約25切れの切り身にされ、小和田邸に戻される。一部は近所にも振舞われたとのこと(『女性自身』1993年6月29日号p75より)。
1993年4月12日 納采の儀、自宅前でポーズをとる振袖姿の小和田雅子正面の図、この時扇子は一応左寄り箇所にある。 
1993年4月12日 納采の儀、自宅をあとにする小和田雅子横向きの図 
1993年4月12日 納采の儀を終えたことを報告するため御所へ上がる小和田親子。写真は車を降りた所。嵐の中を来たのかと思うようなぐしゃぐしゃに乱れた振袖を押さえつつもしっかりカメラ目線の雅子、和服なのにがに股なことにも注目がに股
1993年4月12日 両陛下への納采の儀報告&ご挨拶を終え出てくる小和田恒・優美子・雅子の三人。雅子は振袖姿でやっぱり蟹股歩き。
1993年4月12日 納采の儀の後、両陛下へご挨拶をした小和田恒・優美子・雅子の三人。振袖姿の雅子の扇子がド真ん中挿しになっている
1993年4月12日 同上両陛下へのご挨拶後の恒優美子雅子。和服姿の優美子と雅子はどちらも真珠の帯留使い
1993年4月12日 納采の儀ご挨拶を終えハイヤーで戻ってきた小和田親子。品の無い所作で車を降りるペラペラ振袖姿の雅子
1993年4月12日 納采の儀で雅子に贈られた真珠の指輪を路上にて「どれどれ、見せてごらん」と値踏みをするように見る、まるで置屋のおかみ風味な母優美子
1993年4月12日 両陛下への納采の儀報告&ご挨拶を終えた、お扇子ド真ん中ぶっ挿し金ピカ“錦鯉”状態。コービスで全世界に配信されている画像で物凄いボコボコ目の下な雅子腐ったアサリの剥き身】【御婚約晴れ姿、お扇子ド真ん中挿し事件
1993年4月12日 両陛下への納采の儀報告&ご挨拶を終えた雅子の大きな画像。挨拶に上がる前は左脇にあった扇子が真ん中に移動、左手に皇太子から贈られた真珠の指輪をしている
1993年4月12日 同上扇子真ん中ぶっさし別画像(よみうり写真館より)
1993年4月12日 同上扇子真ん中ぶっさしまた別の画像(よみうり写真館より)
1993年4月12日 同上扇子真ん中ぶっさし画像(コービス)
1993年4月12日 同上扇子真ん中ぶっさし雅子横からの画像、下品なまでに抜きすぎてる衣紋にも注目(コービス)
1993年4月12日 同上扇子真ん中ぶっさし画像 横目の雅子と小和田夫妻(コービス)
1993年4月12日 同上扇子真ん中ぶっさし全身画像 横目の雅子と小和田夫妻(コービス)
1993年4月12日 同上扇子真ん中ぶっさし全身画像 会釈する雅子と小和田夫妻(コービス)
1993年4月12日 同上扇子真ん中ぶっさし姿で小和田邸へと入る雅子
1993年4月12日 納采の儀お披露目を終えて小和田邸へ入る雅子の後姿
1993年4月12日 納采の儀当日に何故か「小和田礼子(当時)ベトナム国連奮闘記」映像が紹介される。大口開けて笑う礼子礼節姉妹
1993年4月12日 「ベトナム滞在はどれくらい?」という質問に、「2年です。でも、できれば入院はしたくないわ」と英語で答える、顎がアイ〜ン状態な小和田礼子
1993年4月12日 雅子とさすが姉妹だと感じさせる、やや上目遣いの礼子表情
参考:「小和田礼子さんベトナム国連奮闘記」ようつべ
1993年4月13日 納采の儀翌日に放映されたフジテレビ「おはよう、ナイスデー」ビデオ発掘職人様による連結画像
1993年4月13日 同上フジテレビ「おはよう、ナイスデー」より、扇子ど真ん中ぶっ挿し雅子を横から撮影した画像
1993年4月15日 お妃教育から帰る雅子。スーツはキミジマ
1993年4月16日 お妃教育から帰宅の雅子。ピンクのスーツ、紺のインナー、グッチの茶色バッグ、黒い靴
1993年4月17日 皇太子との婚約を祖先の墓前に報告するため、新潟へ向かう小和田親子(よみうり写真館)
1993年4月17日 新潟県新潟市の泉性寺へ墓参りに向かう小和田夫妻と、ダーツ目状態でカメラ目線を決める雅子ダーツ目
1993年4月17日 同上泉性寺墓参の小和田親子3人大きなカラー画像、優美子の二連真珠ネックレスも確認できる。
1993年4月17日 新潟市泉性寺小和田一家墓参り。奇妙なことに古い墓石に新しい土台をつぎはぎしている。
1993年4月17日 同上泉性寺墓参りのもう少し鮮明な画像
1993年4月17日 同上泉性寺墓参り別画像と、墓正面画像
この墓については同県村上市西真寺から移したものという説もあるが、西真寺住職の話と大きく食い違う点もあり、今もなお謎に満ちている。
正面墓石画像から「小和田匡利墓」と個人名であることが分かる。匡利とは恒祖父・雅子曽祖父である小和田金吉の父親とのことだが、そのつながりは不明な点が余りに多く、地元村上市の調査でも判明していない。墓石側面には「明治七甲戌年 七月二十八日 永代経金一圓」と彫られている。なおこの小和田匡利が何者であるかは新潟県村上市の小和田本家も分からないということで、恒の父方家系は全く辿れないのが現実である。
1993年4月17日 墓前で手を合わせる雅子
1993年4月18日 お妃教育に出かける黄色ジャケットにストライプシャツ、髪を編み込んだ雅子
1993年4月18日 婚約時期の編みこみ髪型紹介ページでファンデーションが浮きまくり状態の雅子
『週刊文春』1993/4/29号<小和田雅子さん先祖の墓前に「婚約報告」>グラビア記事
 新潟駅から車で小和田家の菩提寺である泉性寺へ向かい、両親と一緒に墓前で神妙に手を合わせて「婚約報告」。
 その後、親戚宅で昼食をとるなり、慌しく帰京した。
1993年4月20日 雅子告期の儀、色補正なし大きな画像。山本侍従長により正式な日取りが伝えられる。ペパーミントグリーンのワンピースに、共布で靴まであつらえて張り切っていることが分かる。まるで花屋で買ってきたのをそのまま花瓶にぶっ挿したような統一感の無い百合・バラ・かすみ草(恆の後ろには胡蝶蘭)の花束にも注目
1993年4月20日 告期の儀小和田親子と、同月4日ナルちゃんとデートの雅子。その映像に「ご結婚に伴う費用」説明。
儀式…2億8,000万円/十二単など…3,300万円/総額…3億6,000万円
『週刊文春』1993/4/29号<結婚の儀まであと50日 雅子さん、少しお疲れなのでは>記事
1993年4月24日 東宮御所訪問の雅子、淡いイエロージャケットに暗い色のスカート、そして三色のポケットチーフの一色をとって大胆な紫インナーを着用
1993年4月27日 お妃教育最終日、へっぴり腰と顎を突き出した格好でお辞儀する雅子
1993年4月28日 皇太后さまに婚約報告の挨拶のため、皇居に向かう徳仁と前髪をいじるようなしぐさの小和田雅子(よみうり写真館)
1993年4月28日 皇太后さまに婚約報告を終えた皇太子と小和田雅子
1993年4月28日 「会うたびに愛、深まって」とかなり恥ずかしいキャプションをつけられている二人の画像、雅子は何かを眼にして妙な表情に
1993年4月28日 同上、何かを指差す皇太子とそれを目にして「ウェー!」と言うような変な表情になる雅子
1993年4月28日 雅子の表情アップ画像
左:1993年4月28日 皇太后さまへのご挨拶を終えた雅子/右:時期不明、似たような色合いとヘアバンド姿の紀子さま
結婚前の小和田雅子語録:「巨人軍の高田選手が好き」「米国で就職したら根無し草になってしまう」「私はお妃問題には関係していないと思っている」」「(仕事を)バリバリやっていくタイプではない」等々
『週刊女性』1993/5/25号<雅子さん母友人に語った愛娘を送る複雑心境/皇太子さまガールフレンドに「僕のフィアンセです」雅子さん初紹介の幸せ>表紙
1993年5月15日 小和田一家と母方祖父母江頭夫妻とで箱根旅行。カジュアル衣装センスが「?」な雅子
1993年5月15日 同上、小和田一家と母方祖父母江頭夫妻とで箱根旅行の雅子。後ろに江頭豊が写りこんでいる
1993年5月24日 宝石店「メレリオ・ディ・メレー」のアトリエに飾ってある雅子のサイン入り写真、有名人気取りか写真立てに直筆サインをしている。
『週刊新潮』1993/6/3号<ミカドと結婚する方法「ニューヨーカー」大特集>記事
米国高級週刊誌『THE NEW YORKER』May 10,1993“HOW TO MARRY A MIKADO”に掲載された小和田雅子容貌についての説明:
<くっきりとした容貌で、なかなか老けないことは確かである。しかし、彼女は美人コンテストの女王になるほどの美人ではない。モデル業の代理店であれば、背の低さ(一六〇センチの皇太子より二・五センチ高い)や突起した鼻、気の強そうなアゴ、歯並びの悪さ(日本人は八重歯と呼んで欧米人のえくぼと同様に魅惑的だとしている)に注目するだろう。>
上:母校聖心女子学院を訪問する美智子さん/下:母校伝蓋を訪れた雅子と母優美子伝蓋
「あなたはデンフタ伝説を知っていますか?」伝蓋
婚約時期撮影と思われる、川崎市の動物病院(ア○マルメデoカルセンター)でのショコラと雅子と優美子ショコラ
『部落解放』1993年6月号「皇太子妃決定に関わる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」記事ダボ
1993年6月1日 独身時代最後の東宮仮御所デートへと出発、濃いピンク色ワンピース、自意識過剰な視線の雅子
1993年6月1日 独身時代最後の東宮仮御所デート、濃いピンク色ワンピース雅子と徳仁
1993年6月1日 同上東宮仮御所のツツジの咲く庭でデート、濃いピンク色ワンピース雅子と徳仁
1993年6月1日 同上東宮仮御所にて、パイプ椅子に腰掛けてる二人。この当時は一応すっきりとした体型で、婚約結婚のためよほどダイエットに励んだものと思われる。
1993年6月1日 天皇ご一家と小和田家が赤坂御所で夕食会を持ち、夜遅くコンクリ御殿に帰宅。ショッキングピンクワンピース姿で顔と首の色が全然違う白塗り雅子(『女性自身』1993/6/22号グラビア)
東宮仮御所での新生活で使う洋食器として雅子が選んだのが、便器も作ったりする(いわば日本の東洋陶器=TOTOに相当する)ヨーロッパの中級クラス陶器メーカー「ビレロイ&ボッホ」のフルーツバスケットシリーズ。上流階級で生活するということが全然理解できてないチョイスである。保管庫7
1993年6月3日 センコー引越しプラザ(=チッソ子会社である扇興運輸、言うまでもなく江頭豊と深〜い関わりあり)が嫁入り道具をコンクリ御殿から運び出す光景チッソ
1993年6月3日 同上扇興運輸の2tトラック5台で荷物搬出、トラックコンテナ横に「センコー」の文字が確認できる別画像(『女性自身』1993/6/22号グラビア)
1993年6月4日 シェ・松尾で小和田一家と江頭豊・寿々子夫妻がお祝いディナー、オーナーシェフ松尾幸造氏と記念撮影する小和田雅子と父恒ミシュラン
1993年6月4日 ひらひら白大襟ぶりっこ衣装小和田雅子と、オーナーシェフ松尾幸造氏ツーショットぶりっこ
1993年6月4日 同じくシェ・松尾での小和田家ディナー。恒の両脇に礼子節子姉妹が立ち、更に脇に雅子と江頭寿々子・優美子が着席。小和田一家ディナーは同店2階にある個室インペリアルルームで開かれたとのこと。
1993年6月5日 小和田家で撮影された一家5人の団欒光景。いかにもカメラ撮影のために用意されたことが丸分かりのテーブル上の花、やけにごちゃごちゃ置かれている小物、座っているのが応接用にしては安楽椅子であることなどに注目
1993年6月5日 同上小和田家リビングにて、家庭用には似つかわしくない椅子にテーブル上の安っぽい造花に注目
1993年6月5日 同上小和田一家、テーブルの上には「HARVARD」写真集が置かれている。
1993年6月5日 同上小和田一家、テーブル上の造花が何故かベゴニアの金正日花によく似ている。
1993年6月6日 臍の穴が浮き出るほど1990年激太りの頃と同じ特徴ある服に身を包む小和田雅子
1993年6月6日 同上、激太り時代と同じスーツで東宮御所へ向かう雅子。バッグにかけた右手の指がVサインである(よみうり写真館)
1993年3〜6月の雅子ファッション画像集
『サンデー毎日』1993/6/13号<ご結婚直前“菊のカーテン”から漏れてきた 雅子さんへのブーイング>記事
婚約記者会見での雅子発言「(皇太子殿下は)とても人間ができた方でいらっしゃる」「私の言葉で一言付け加えさせていただければ」等に対しちょっと生意気な女・とにかくしゃべりすぎと、また雅子が東宮仮御所訪問時も玄関に入る際徳仁の先に立って歩く姿に日本ではこういうのは控えるべきではないかと、率直に危惧感を吐露する浜尾実元東宮侍従。
また、2月8日小和田雅子(そして小和田家の人間)を親類一同に紹介する両陛下主催の晩餐会で、「この時、天皇、皇后両陛下は全皇族と民間妃の親族を招待しようとしたが、秋篠宮さまを除き、皇族方は欠席された。これも、お妃内定のしこりが尾を引いていたのだろうか。」といったような、雅子入内が既に皇族内で歓迎されていない様子が如実にうかがえる内容である。

結婚関連

1993年6月8日 結婚前夜8時前、自宅前にて祝いの提灯を手にする小和田恒と雅礼節姉妹礼節姉妹
1993年6月8日 同上結婚前夜目黒区で提灯行列が行われ花束を貰う雅子。雅子の目と、靴の踵に何故か隙間が空いていることに注目。隣は妹の節子。
1993年6月8日 同上目黒区提灯行列で約500人が手に提灯と日の丸の小旗を持って練り歩いた。写真右は感極まって涙を浮かべる節子。左礼子が持っている冊子のようなものは芳名帳か。
1993年6月8日 提灯祝いの夜、地元の方から大きな花束を受け取り、とてもじゃないが嫌々嫁ぐ表情には到底見えない満面笑顔でカメラ目線の雅子
1993年6月8日 同上花束を手にしてとてもじゃないが嫌々嫁ぐとは到底信じられない喜色満面な雅子と涙を拭う妹節子
1993年6月8日 町内会提灯祝いでの雅子表情:1花束を受け取りお辞儀→2いちばん最初に顔から起き上がり→3髪をばさっ→4浮かれた様子で提灯持ったままお手振りし提灯ぶらんぶらん(結婚当日映像の編集Vであるため、左上時刻は関係ない)
1993年6月9日午前5時58分、着付けとヘアドレッサー担当の遠藤波津子氏ともう一人の人員が小和田家に入る。
午前6時27分、先に小和田家に入っていた山下和夫東宮侍従長、高木みどり東宮女官長(美智子さまの知己でもあった方)が外に出てくる。
午前6時30分、父恒、母優美子、妹礼子節子が出てきて玄関ドア前に並ぶ。雅子が小和田家から出てきて、妹から順に挨拶、いつの間にか母方祖父母の江頭豊・寿々子も登場。
1993年6月9日 小和田家玄関で妹、両親へに挨拶する雅子
1993年6月9日 小和田家玄関で妹、両親への挨拶の後、祖父母江頭夫妻が登場
1993年6月9日 江頭豊・寿々子夫妻に挨拶する雅子
1993年6月9日 雅子を囲む恒・優美子・礼子・節子、後ろに母方祖父江頭豊。祖母寿々子は陰に隠れている
1993年6月9日 小和田家を出る雅子を見送る恒・優美子・礼子・節子、そして後ろに母方祖父母江頭豊・寿々子夫妻も
1993年6月9日 同上小和田家を出る雅子と小和田・江頭家の面々。雅子と江頭豊と寿々子がカメラ目線
1993年6月9日 お手伝いさんに抱かれたショコラとお別れする雅子ショコラ
1993年6月9日 曽我東宮侍従に傘を差し掛けられながら小和田家を出る雅子
1993年6月9日 家族と挨拶を済ませ車に向かう雅子、上目遣いでとにかく笑顔の表情。横から見た白いパンプスを履いた脚が巨大
1993年6月9日 車で出発する雅子を見送る小和田夫妻と礼節姉妹、江頭夫妻の横向き画像。
1993年6月9日 小和田家前、雨降りの中車(車幅1890mm×全長5270mmのセンチュリー)とに乗り込む雅子
1993年6月9日 車で出発する雅子を神妙な表情で見送る小和田夫妻と礼節姉妹、ところが肝心の雅子は反対側のカメラにでも気を取られているような笑顔。嫌々嫁ぐとは到底思われない浮かれた様子である。
1993年6月9日 雅子を送り出した後、成婚の儀に出席するため着替えを済ませコンクリ御殿玄関前に現れた小和田恒・優美子・礼子・節子と、二世代住宅同居の江頭豊・寿々子
1993年6月9日 宮中装束の二人
1993年6月9日 「結婚の儀」のため賢所に向かう雅子
1993年6月9日 「結婚の儀」を終え賢所を出る雅子
1993年6月9日 同上、十二単姿で歩む中何故かカメラ目線の雅子
1993年6月9日 「結婚の儀」の最中、涙をハンカチで押さえる母優美子と妹節子
左:1993年6月9日 朝見の儀前に着替えのため一旦東宮仮御所へ戻る雅子、大福餅のごとく顔も首も白粉を塗ったくったまま移動/右:1990年6月29日 ご成婚当日同様に一旦宮邸へ戻る紀子様、お耳の後ろに落としきれなかった白粉が残っている
白塗り雅子別画像
1993年6月9日 徳仁と雅子の「朝見の儀」TVキャプ連結画像。扇子を下品にもがっしり握り締めてしまう雅子
1993年6月9日 洋装で、両陛下に拝礼する皇太子夫妻
1993年6月9日 朝見の儀で両陛下に拝礼する皇太子夫妻の拡大画像
1993年6月9日 朝見の儀での雅子の不自然な肘と、大股“後ろ歩き”キャプ画像Youtube
1993年6月9日 洋装で撮影の両陛下と皇太子夫妻、徳仁の立ち位置に注目。雅子の広がったスカートの前裾横に立っている。低身長隠しで真横に並ばず若干前に出ていることが分かる
参考:タカラのジェニーちゃんとボーイフレンドのジェフ成婚衣装二組。商品ではなく、皇太子成婚記念店頭用ディスプレイ品とのこと。何故かジェニーちゃんのローブデコルテデザインは前リボンで美智子さまご成婚ドレス仕様、十二単も雅子とは襲色目が全く異なる。
1993年6月9日 パレード前、皇居・宮殿南車寄にて、ふりふりフリルと大きなボタンのついた半袖ドレスの雅子
同上パレード前、皇居・宮殿南車寄にて、横目でチラ見表情をする雅子
同上パレード前、皇居・宮殿南車寄にて、ウェディングドレスに使われた明暉瑞鳥錦の豪華な織模様がはっきり写っている
結婚パレード、喜色満面で顔中笑顔の雅子
結婚パレード、実に嬉しそうな雅子のお手振り姿
結婚パレード、とにかく嬉しそうで邪悪さすら漂う満面笑顔のお手振り雅子と、その一方微妙な表情で車上お手振りする徳仁
結婚パレードの車上で涙をぬぐっている様な雅子
結婚パレード車内にて、手の甲で皇太子の肩をトントンして何かを指差し注意を向ける雅子指差し
結婚パレードにて、雅子右手袋の上から2つ目のボタンがはずれています。
結婚パレードの車上表情アップ
結婚パレードの車上表情アップ、浮かない顔の徳仁、不自然な笑顔に邪悪さを感じさせる雅子
結婚パレードの車上、皇太子と残念な歯並びが覗いてる雅子
結婚パレード車中を上空から撮影したもの、雅子が背もたれにすっかり寄りかかっているのが分かる
結婚パレードのオープンカーが東宮仮御所に到着した場面か? とにかく嬉しそうな表情、緊張の欠片もないリラックス状態で隣の徳仁とおしゃべりしている雅子
各新聞社発行写真集より、パレード写真(毎日・読売・朝日)
週刊文春掲載の成婚特集グラビア、汚い歯並びで前歯がにゅっと覗いた笑顔の雅子
週刊文春よりカラーグラビア / ロゴなし同画像
週刊文春目次「雅子さまの勝利」林真理子
1993年6月9日 結婚パレード後、降車する皇太子にお辞儀をする雅子
1993年6月9日 パレードを終えた皇太子と雅子の立ち位置が左右逆に。当初から段取りを把握できない傾向が如実に窺える出来事だった
1993年6月9日 結婚パレード後東宮御所へ、立ち位置が左右逆の徳仁・雅子
1993年6月9日 パレード終了後の二人(立ち位置逆状態)と見守る職員たち
1993年6月9日 雅子上半身衣装がよく確認できる画像、変なバッグの持ち方も
1993年6月9日 パレードを終え東宮御所へ入る二人
1993年6月9日 結婚にまつわる行事が一段落して芳名帳のようなものを見る二人。結婚したばかりなのに肘突き態度で初々しさがまるで無い雅子に注目
1993年6月9日 同上結婚した直後肘つき態度の雅子の姿が『ご結婚記念 皇太子殿下と雅子さま―「結婚の儀」から武蔵野陵参拝まで』(毎日新聞社編)に収録
1993年6月9日 金屏風の前で記者会見に答える小和田夫妻、恒は両方の肘掛を使って会見に応答
1993年6月9日 同上金屏風前会見ちょっと猫背の優美子表情集。この場で優美子は「新宮様もたいへんに可愛らしい赤ちゃまでいらっしゃって」と発言赤ちゃま】【ババン
『週刊女性』1993/6/22号<平成のご成婚スクープ 金箔タンス大騒動 雅子さまの母小和田優美子さんが本誌に語った全真相!>記事金箔箪笥
『女性自身』1993/6/22号<私だけが知っている!あの日の皇太子さま雅子さま/結婚の儀誌上中継エッ雅子さまは十三単衣だった!?/「三妃」に学ぶフォーマルな“真珠”使い!>表紙記事一部
東宮御所ダイニングセット
伝蓋同級生から結婚祝いで贈られたベネチアン・グラス細工の人形(と同じものがベネチアのガラス工房に展示)伝蓋
全国の雅子そっくりさん一般人投稿顔出し画像集「ウチの近所の雅子さま!」
恐らく結婚の祝宴に赴く車中と思われる、ティアラにドレス姿の雅子モノクロ画像奇跡の一枚
参考:同じくティアラにドレスの正装姿だが、かなりアレな感じに写っている雅子カラースナップ
1993年6月11日 天皇皇后両陛下主催の天皇家と小和田家の夕食会のため皇居に向かう車内の徳仁と和服姿の雅子
1993年6月11日 祝宴に臨まれるご一家、雅子は水色の着物姿
1993年6月12日 夜、結婚祝い提灯を手にしている徳仁と雅子。浮かれたようなおどけた嬉しげな表情をしている雅子である
1993年6月12日 御成婚を祝う提灯行列の人達に、提灯を振ってこたえる夫妻(よみうり写真館)
1993年6月13日 東京・山王祭では皇太子夫妻の写真を飾った山車が出るなど、祝賀ムードでいっぱい
1993年6月15日 宮中饗宴の儀(1日目)に向かう二人。森英恵デザイン、納采の儀の白生地をアプリコット色に染めたドレス。バッグはコンテス(ドイツ)のホースヘア製
1993年6月15日 昼(1日目)の宮中饗宴の儀のご一家。首はハイネックで隠し、ウェストはサッシュとドレープでカバーした苦心作。森英恵デザイン
1993年6月15日 夜の宮中饗宴の儀(1日目)。招待客約二千人のこの宴は昼夜3日間にわたり行われた。雅子のブルードレスは芦田淳デザイン。皇太子右後は身長は170cmあるかないかの藤森昭一宮内庁長官。雅子の顔と首とデコルテに白いファンデーションを塗りたくった結果、生え際や頭皮との色が全く違うことに注目
1993年6月15日 同上1日目の夜の宮中饗宴の儀<おーっと、イッキに杯をキュッ!>、乾杯で形だけ口をつける筈が一気に中身を飲み干してしまう雅子(上画像)
1993年6月16日 昼の宮中饗宴の儀(2日目)、雅子の風変わりな水色衣装は皇后陛下から贈られた絹織物五巻のうちの一つである生地「やまなみ」を用いた芦田淳デザインのもの
『週刊文春』1993/7/1?号<初々しい新婚サンは目と目で通じ合う>CatchUpモノクログラビア(号数は推察)
1993年6月17日 宮中饗宴の儀(3日目)昼の部、紀子妃殿下が既にお持ちの淡いピンク色ドレスにやたら似たドレスを着用している雅子(右上画像)
比較 左上:1993年1月14日、歌会始の儀の紀子妃殿下/左下&右下:1990年6月30日、ご成婚翌日、東宮御所へ挨拶にお出ましの紀子妃殿下

1993年6月17日 夜の宮中饗宴の儀(3日目)。各国大使招待のため振袖姿で肌を白塗りにしまくりの雅子
1993年6月17日 夜の宮中饗宴の儀を終え、東宮仮御所に戻る車内の雅子と徳仁。顔と首の色が全然違う雅子、この当時は右手で車内お手振りしている左手
1993年6月15-17日 宮中饗宴の儀まとめ
1993年6月21日 皇太子殿下御成婚祝賀記念式典にて、新婚2週間のこの時期はまだしおらしく頭を下げる雅子
同上結婚の祝賀式典壇上での白スーツ&赤帽子姿の雅子
同上結婚の祝賀、遠めには猫かぶりでそこそこ綺麗なのだが、首まで雑に塗られたファンデーションに注目
1993年 結婚祝いとして美智子さまとも親交のある作家・森村桂から七段重ねの手作りケーキが贈られるが、お披露目前に雅子が皇太子をそそのかして二人で食べて台無しにしてしまい、森村氏はケーキの作り直しをするはめになった
参照:『桂よ。 わが愛・その死』/『皇太子の恋にささげたウエディング・ケーキ
『週刊現代』1993/6/26号 保坂正康<雅子妃が始める第3次皇室革命の「課題」>記事
 さらに皇太子も雅子妃も、この時代の知性や理性、それに教養の面でぬきんでた面がある。それは外国語に堪能だとか教養の内容が深いことだけをいっているのではない。自らを律し、社会や歴史を見る目を肥やし、どのような事態にも対応できる姿勢があるということだ。(p41より)
……この保坂正康氏は後年『文藝春秋』2009年2月号<核心取材 秋篠宮が天皇になる日>を執筆することになる。
『フライデーSPECIAL』1993/6/26増刊号<人望も篤い“がんばり屋”仕事に打ち込んだ「外交官時代」の横顔>記事
『サンデー毎日』1993/6/27号<秘話スクープ!!殿下は“いちご大福”をご存じなかった 41回のデートで交わされたお二人のやりとり>記事
 ソフトボールの話題では、皇太子さまは雅子さまに宮内庁のソフトボールの親睦大会に、ぜひ参加するようにとお誘いになったこともあるという。その時、雅子さまは、「まさか、それだけはやめて下さい」と、苦笑されたそうだ。
(田園調布雙葉のソフトボール部友人に対し「私はボーイッシュだってと言われてたけど、(デートに持参したアルバムの)あなたの写真を指差して、こっちのお友達の方がボーイッシュよねって、殿下にお伺いしたら、そうですね、とおっしゃってたわよ」と話す無遠慮な雅子についてなど、いろんな証言あり。
『サンデー毎日』1993/6/27号<ロイヤルカップルに関する素朴なQ&A>
『週刊読売』1993年6月27日皇太子さまご結婚記念号<「田園調布雙葉」同級生メッセージ「オワ、お幸せに!」>記事伝蓋
編集部では、一人でも多くの同窓生から、お祝いのメッセージを集めるべく、アプローチした。ご婚約内定前後のあわただしい時とは違うので、かなりの祝福が寄せられると予想したが、思うような結果は得られなかった。(p37より引用。なおマスコミ登場しまくり土川純代はここでも名出しでコメントしている)
『女性自身』1993/6/29号 結婚パレードにて母方祖母江頭寿々子の姉・大伯母斉藤みつさんにお手振りした件について
『女性自身』1993/6/29号 結婚パレード後と6/11親族夕食会の後お見送りでも雅子が立ち位置を間違えた件について
『週刊女性』1993/6/29御成婚記念号<皇太子妃スクープ合戦>記事
社命で雅子さまとデート。焼き鳥屋や映画に誘って…
 新聞社も雅子さまの取材となると“仁義なき戦い”――。ある新聞社など昭和62年12月から平成元年11月まで、第3社会面で企画物を掲載。
「殿下への雅子さまの気持ちを確認しろ。友達になれ」
と社命が下っていた。担当になったのは女性記者。電話をかけるのは当然だが、花束を贈ったり、手紙を書いたり、映画へも。
「いろんな口実を作って、16回も一緒に食事に出かけてた。焼き鳥屋、イタメシ、オムレツ店等……とにかく自分をアピールするので一生懸命」
その女性記者は「女性を誘うときの男性の気持ちがわかった」と……。
『週刊女性』1993年6月29日御成婚記念号<ご成婚ワイド!テレビに映らなかった舞台裏のすべて… “鴨場デート”の仲介者も参列して…/水戸の祖父母はテレビ中継を見ず…>記事
 雅子さまの父方祖父母の小和田毅夫さんと静さんが暮らすのは、水戸市内の高級ケアハウス。おふたりはご成婚の日をどう過ごされたの?
「実は、前夜に、毅夫さんが気持ちが高ぶって眠れない、と伝えてきました。それで当日の午前中は、結婚の儀を伝えるテレビを見ずに、2人でゆっくり休まれたとのことです」
 と、関係者。
『週刊読売』1993/7/4号<特集アンビリーバブル!雅子さま受験の全問題集が売れている>
早大生3名にビクターエンタテインメント刊『雅子さまの華麗な経歴』掲載の雅子受験の問題について感想を聞いたところ「英語は難しめだが、数学と国語は中学レベル」。
週刊新潮 1993年7月8日?号<皇太子の恩師が見たご結婚宮中「茶会」の人々>記事
(1993年6月24日茶会の様子について、P.マサイアス元オックスフォード大)教授の見たところ、「お二人が最も楽しそうだったのはガイジンに囲まれているとき」だったのだ…。
1993年6月25日 結婚奉告のため伊勢神宮へ、すごい歯並びと左右ずれた受け口気味の噛み合わせの雅子
1993年6月26日 伊勢神宮参拝を終え近鉄奈良駅に到着した雅子、周囲の大歓声に思わず左手でお手振り左手
1993年6月26日 同じ場所での皇太子と雅子
1993年6月25日 伊勢神宮参拝動画キャプ画像、新婚であるにもかかわらず初々しさのまったくない雅子
同日、伊勢神宮参拝の皇太子夫妻
右:1993年6月26日伊勢神宮参拝(内宮の参道)/左:1993年6月29日昭和天皇武蔵野陵で結婚の奉告
1993年6月26日 『ご結婚記念 皇太子殿下と雅子さま―「結婚の儀」から武蔵野陵参拝まで』(毎日新聞社編)より、伊勢神宮参拝
1993年6月27日 神武天皇稜参拝のため奈良県近鉄橿原神宮前駅に到着、青いリボンつき帽子にリボンつき水色スーツで車を降りる雅子、真っ白バッグはフェラガモ
1993月6月27日 同上神武天皇稜参拝のため奈良県近鉄橿原神宮前駅(キャプションの「橿原神宮駅」は間違い)到着で降車する雅子。なぜかクロスしている脚の雅子の後ろに、出口を雅子のお尻に塞がれて車から降りられない哀れな皇太子の姿が。いまいち二人の呼吸が合っていないことが分かる。その様を複雑な表情で見る職員(SP?)の表情に注目
1993年6月27日 同上の格好で皇太子と一緒にお手振りする雅子、この時は腕の角度まで合っているなど調和がとれている風
1993年6月27日 『ご結婚記念 皇太子殿下と雅子さま―「結婚の儀」から武蔵野陵参拝まで』(毎日新聞社編)より、奈良・神武天皇陵参拝についてのページ。右上は参拝のため奈良ホテルを出たところ。左は粉吹きぶりと顔と首のの色違いがすごい雅子。
1993年6月27日 神武天皇陵参拝の皇太子夫妻、雅子は緊張のためなのか目付きが左右非対称の歪んだ表情に
1993年6月27日 神武天皇陵参拝のモンタント姿雅子、砂利に足をとられてヒール靴を履いた右足首が微妙な角度でぐねっている。
1993年6月27日 神武天皇陵参拝映像キャプ連結画像、緊張のためか雅子の表情が引き攣った状態。
参考ようつべ:200610神武天皇陵参拝
『週刊新潮』1993/7/8号<新婚御夫婦の伊勢と奈良>モノクログラビア記事
『週刊新潮』1993/7/8号<「皇太子」御夫妻 伊勢大和路で賞された「美酒佳肴」>記事
『女性自身』1993/7/23号<雅子さまハネムーンの第一夜は精進料理の夕食と「別寝室」の緊張!>表紙記事一部

結婚以後

1993年7月8日 東京サミットのため来日したアメリカ・クリントン大統領、ヒラリー夫人を宮中晩餐会にて出迎える東宮夫妻。ゼニゴケドレスに身をつつみ、満面の笑顔の雅子ゼニゴケドレス
1993年7月8日 東京サミットのため来日したフランス・ミッテラン大統領を宮中晩餐会にて出迎える東宮夫妻。ゼニゴケドレスに身をつつみ、ミッテラン氏をガン見する雅子
1993年7月8日 東京サミットで来日した各国首脳を迎え、皇居・豊明殿にて開催された宮中晩餐会にて、クリントン米大統領とエリツィン露大統領の間に着席する雅子
1993年7月8日 東京サミット晩餐会にて、「露語が堪能」との触れ込みによりエリツィン大統領の隣席に座らされた雅子、話が弾むクリントンと紀子妃に視線を向ける
1993年7月8日 同上東京サミット晩餐会、しつこくクリントン大統領と紀子妃をチラ見して気にする様子の雅子
1993年7月8日 同上東京サミット晩餐会、クリントン大統領と紀子妃に視線をやる雅子連結画像。右眉をクイッと上げた強烈な表情になっていることが分かる(2010/2/5東宮職医師団見解発表NNNニュース中参照映像より)
1993年7月8日 右眉をクイッと上げてクリントン米大統領と紀子妃を見やる雅子gif動画
1993年7月8日 同上東京サミット晩餐会のモノクロ画像、左から紀子妃、クリントン米大統領、雅子、エリツィン露大統領、皇后陛下、ミッテラン仏大統領
1993年7月8日 東京サミットで各国首脳が来日、「春秋の間」にて宮内庁楽部による舞楽鑑賞会
前列左からクリントン米大統領ご夫妻、ミッテラン仏大統領、両陛下、エリツィン露大統領、一人おいて皇太子夫妻。2列目に秋篠宮ご夫妻のお姿が。雅子の視線の先は…?
1993年7月8日 同上東京サミット晩餐会で雅子が着用していたドレス上半身のレース生地拡大写真。ペチャパイによりバストのあたりがぶかぶかで皺ができていることにも注目甘食
『週刊新潮』1993/7/22号<サミット晩餐会で国際的ご披露した「雅子妃」への驚嘆>記事
ロシア語ができるという触れ込みだった雅子はエリツィン大統領とロシア語通訳を介して会話したが緊張気味、一方紀子妃殿下はクリントン大統領やメージャー首相と通訳抜きでご歓談と書かれている。
『週刊新潮』1993/7/22号<美智子皇后を「女帝」と告発した「宮内庁職員」/サミット晩餐会で国際的ご披露した「雅子妃」への驚嘆>目次
1993年7月13-14日 岩手県29回献血運動推進全国大会出席のため、岩手到着時と視察先での夫妻
1993年7月14日 岩手県29回献血運動推進全国大会にて、宿泊先ホテル朝食メニューと壇上で居眠りする雅子居眠り
1993年7月14日 上記地方公務壇上居眠りが「雅子さま、お疲れコックリ」と書かれる(『天皇家のユーモア』より)
1993年7月14日 壇上で堂々居眠り雅子の表情変化、連結画像
1993年7月14日 岩手県29回献血運動推進全国大会にて(上:壇上で居眠りする雅子/下:俯いて移動する雅子)
『女性自身』1993/8/3号<あっ雅子さま、愛すべき“居眠り”!>表紙
『女性自身』1993/8/3号<短期集中連載第3回 雅子さまの幸せ“ハマナス日記”あっ!雅子さま愛すべき“うつらうつら居眠り”!>
『週刊文春』1993/7/29号<その時雅子さまは超眠たかった>CatchUpモノクログラビア
白目剥いてる居眠り表情を激写掲載している容赦なさに注目。
1993年7月14日 壇上居眠りからハッと目が覚めた瞬間の雅子表情
右画像:1993年7月14日 岩手県地方公務、盛岡白百合学園幼稚園視察公務にてくるくる飾りのついた黄色いお帽子姿でうんこ座りする雅子うんこ座り
右:1993年7月14日 岩手県地方公務にてにてくるくる飾りのついた黄色いお帽子姿のぶりっこ雅子/左:1987年12月20日 小和田邸近く路上にてカメラマンに指差し恫喝するぶりっこしてない小和田雅子ぶりっこ】【指差し恫喝
1993年7月14日 同上盛岡白百合学園幼稚園視察、雅子のアップ画像
1993年7月14日 同上、看護士さんから説明を聞く徳仁とくるくる帽子雅子
1993年7月20日 明治神宮参拝でローブモンタントの裾を踏んづける雅子
1993年7月20日 同上明治神宮参拝、雅子のローブモンタント生地が分かる拡大画像
1993年7月21日 第30回献血大会で、日赤名誉副総裁としての初仕事トレイ渡し
1993年7月27日 第35回自然公園大会のため山口県訪問の東宮夫妻、雅子は合わせが独特な白い衣装とトーク帽。この時の山口は台風5号が接近中で雨模様。
1993年7月28日 山口県行啓第35回自然公園大会にて、白い帽子、白スーツに紺色チェックのボウタイつきブラウスの雅子
1993年7月28日 山口県行啓第35回自然公園大会にて。一般参加者への「ご起立下さい」の声に“うっかり”立ち上がってしまった雅子。閉じた目からして居眠りでもしていた模様居眠り
1993年7月28日 同上第35回自然公園大会にて<あっ、先にお立ちになっちゃった!>、寝ぼけて一般向けアナウンスにつられうっかり立ち上がってようやく目を開けた雅子。隣では座るよう促している表情の徳仁(下画像)
1993年7月29日 同上山口県の老人ホーム白松苑を訪問。白帽子で首を傾げにっこりほほ笑む雅子
1993年8月1日 全国高等学校総合体育大会、皇太子と公務中ひそひそ話をする雅子
1993年8月1日 同上全国高等学校総合体育大会での夫妻
1993年8月1日 同上全国高等学校総合体育大会にて光線の具合もあいまってドス黒い顔の中汚い歯並びが覗いている雅子
1993年8月1日 同上全国高等学校総合体育大会、こちらは帽子の下が多少明るく見えているが、おかげで真ん丸輪郭に覗かせている乱杭歯がはっきり見える画像
『週刊新潮』1993/8/12・19号<「プリンセスの父」が選んだ「第二の人生」>記事ジジン
1993年8月13日 結婚後小和田家への初めての里帰りでショコラとキッスショコラ
1993年8月13日 里帰り当日出された食事は「母優美子さんの手作りパエリア!」……とのこと(『女性自身』1993/9/7号)だったが、後にそれは自由が丘「エルペスカドール」のシェフが出向き作ったものと判明する大嘘ぶり。ケータリング
『週刊新潮』1993/8/26号<里帰り「雅子さま」一家団欒の「食卓風景」>記事
1993年8月13日 里帰りから戻る場面、徳仁雅子を見送りに現れた小和田恒・ショコラを抱いた優美子、後ろにチッソ江頭豊の妻寿々子の姿もチッソ
1993年8月 初々しい新妻の雰囲気がまるでない白ストライプスーツの雅子
1993年8月25日 滋賀県にて開催全国農業青年交換大会最終日にて、帽子を着用しないカジュアルスタイルで出席してしまった雅子についてのグラビア記事(女性自身1993年9月14日号滋賀県のご公務で気配りTPO雅子さまショルダーバッグとお帽子なしのファッション改革!)ひたすらマンセーしているが、無帽姿がいかに異例なことなのかが窺えるキャプション文面である。
1993年9月3日 両陛下ヨーロッパ3ヶ国ご訪問出発お見送りの雅子。グラビア写真説明文「アップのお写真を見ると、ほほから首にかけて赤く、はれているのがくっきりと写っている」で言及されているのは、どう見てもアトピー痕である(女性セブン1993年9月23日号)
『女性自身』1993年9月21日号<ほのぼのスクープ!雅子さま「即席インスタントラーメン」大好き!>表紙スライド
『女性自身』1993年9月21日号<殿下と雅子さまはインスタントラーメンが大好き!雅子さまのご朝食には“硬めの卵料理を”の秘密!>記事
『週刊新潮』1993/9/30号<外務省の「池田大作」機関>記事せんべい
1993年10月1日 国立劇場にて開催の「能と狂言の夕べ」鑑賞の夫妻
1993年10月3日 学習院大にて開催された「皇太子殿下御結婚記念祝賀音楽会」鑑賞の夫妻。雅子は首元隠しで高すぎるスタンドカラーがやけに目立つ黄色ワンピース姿
1993年10月8日 岩手県盛岡グランドホテルにて、前沢牛しゃぶしゃぶ3人前をきれいにたいらげた東宮夫妻「お気持ちはよくわかりました。ありがとうございました」
何故か「次のご訪問の際には、皇太子さまも雅子さまも、さらなる食の冒険への“期待”をされてしまうのでしょうか。」と書かれる夫妻。
1993年10月9日 岩手県行啓で特別養護老人ホーム視察、雅子が落としたイヤリングを拾う皇太子
1993年10月13日 国立能楽堂にて、野村万作演ずる狂言「釣狐」を鑑賞の夫妻
1993年10月15日 雅子が初めて加わった秋の園遊会、青いスーツにて登場。一同横並びの図。
1993年10月15日 雅子初出席の秋の園遊会、横並びお出ましから招待客のところへ移動中。
『週刊新潮』1993/10/28号<雅子さま初めての園遊会>モノクログラビア
初めての園遊会で気さくに言葉をかけられたのは(女子マラソンの)浅利(純子)選手へ。「殿下と夕食をとりながらテレビを見てたのよ。」
1993年10月19日 老人ホーム・ケアレジデンス水戸住まいだった父方祖父小和田毅が老衰にて死去(享年95歳)、また結婚当初から4tトラック3台分の嫁入り道具整理のため母優美子が東宮御所へマイカーで頻繁に出入りしていたという記事『女性自身緊急増刊 新妻・雅子さま 輝いて「愛の1年」』より小和田毅夫
1993年10月19日 雅子の父方祖父・小和田毅夫氏死去により小和田家を弔問する東宮夫妻。徳仁はなぜか薄ら笑い風の表情。ツッタカター
1993年11月1日 「国際防災会議あいち・なごや'93」に出席のため愛知県行啓。視察先での二人揃って指差し画像
1993年11月1日 愛知県にて訪問した老人ホームで「このとき初めて」自分から老人の手を取る雅子
1993年11月1日 愛知県行啓、愛知県佐屋町の老人ホーム「佐屋寮」を慰問する東宮夫妻
『週刊新潮』1993/11/11号<美智子皇后さま「批判再考」>曾野綾子寄稿記事スライド
1993年11月3日 東京築地・朝日新聞本社にて、全日本健康推進校表彰式に出席の徳仁・雅子。周囲の人たちの表情に笑顔がなく、微妙な雰囲気
1993年11月 全国身体障害者スポーツ大会出席のため徳島県で浄瑠璃体験、ちなみに雅子のバッグはフェラガモ
1993年11月 愛知県の熱田神宮を独りで参拝する徳仁親王(右下画像)、父方祖父喪中のためか雅子は同行せず
1993年11月13日 「雅子妃殿下御父上誕生の地 樹種ハマナス 寄贈北蒲原郡聖籠町 平成五年十一月十三日 新発田市皇太子殿下後成婚記念実行委員会」との立札が設けられる。ジジン
1993年11月16日 有楽町マリオンで「クリフハンガー」試写会、シルベスター・スタローンと握手するナルちゃん。雅子は父方祖父小和田毅夫喪中のため欠席し、信子妃殿下がご同行。
1993年11月17日 農業研究一世紀記念式典に臨席。雅子はまたも真正面にでかいリボンのついた変な帽子、変な襟のついた妙なデザインの服を着用。
1993年11月18日 教育番組コンクール第20回「日本賞」授賞式に出席。姿勢の悪い歪んだ座り方をしている雅子
1993年11月18日 NHKセンターにて第20回日本賞授賞式で賓客(外国人が多い)と語らう雅子。白塗りしすぎのためか、顔がお面のようである。
1993年11月20日 明るい社会づくり運動全国大会にて、当時はしおらしく公務をする雅子と徳仁
1993年11月24日 サントリーホールのロイヤルシートでウィーンフィルハーモニー交響楽団コンサート鑑賞の徳仁・雅子
1993年12月9日 皇室入りしてはじめて誕生日を迎える雅子30歳
1993年12月17日 神田駿河台カザルスホールにて、カザルスホール・クァルテットコンサート鑑賞の徳仁・雅子
1993年12月20日 皇太子夫妻初めての鴨場接待、彼らが出席した僅か2回のうちの1回がこの時である鴨場接待
1993年12月20日 同上鴨場接待の雅子、このコートは婚約時代にも着ていたもの
1993年12月23日 天皇陛下誕生日の外国大使らを招いての祝賀の儀、一人だけやけに裾がもたついている黄色い総レースドレス姿の雅子。きちんと時間をかけた仮縫いをせずに製作したからでは?とも考えられている。
1993年12月23日 天皇誕生日一般参賀にはじめて出席の雅子と徳仁と紀宮殿下
1993年12月23日 同上天皇誕生日一般参賀初出席、黄色レースドレスの雅子
1993年12月23日 同上青みがかったオリジナルに、色調&コントラスト補正をかけた黄色総レースドレス雅子画像
1993年 詳細不明。胸元に巨大な蝶の飾り(スパンコール刺繍かブローチか不明)をつけて、首には4連ものパールネックレスをごてごてと付けている雅子
1993年 詳細不明。上画像派手な蝶飾りがついた雅子と同日撮影の徳仁
時期・詳細不明 東宮御所で徳仁と一緒にアルバムを見ている、派手な赤と黒のアーガイル模様のニットを着た雅子

国民政治年鑑1994年版<解放同盟、抗議文書「皇太子妃報道差別助長する」(朝日 93.2.25)/皇室報道に対する抗議と申し入れ(解放新聞 93.3.8)>引用ダボ

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