2ちゃんねる既婚女性板(通称・鬼女板)最強のスレッドを、まとめる場所です。 皇室ニュースの理解にも役立つことを目指しています。 管理人はドス子の事件簿と同じです。 また、コンテンツの充実には有志の住人に多大に協力頂いております。 2009/1/29、「ドス子」の意味がよくわからないという声があるようですので、試みに補足として(皇太子妃雅子殿下の事件簿)と追加させていただきました。


平成14年(2002年)12月5日「皇太子同妃両殿下の外国ご訪問前の記者会見の内容」における雅子夫人によるヨルダン・ハシェミット王国の呼び方。
平成14年(2002年)12月5日 皇太子同妃両殿下の外国ご訪問前の記者会見の内容
 そして,もちろんこちらにおりましても外国からのお客様をお迎えしたりとか,また,両陛下がお迎えになる外国のお客様とお会いしたりという形では,もちろん,外国の方とのつながりというものは続けてきたわけではございますけれども,今回久しぶりに公式に訪問させていただくということで,それから,申し忘れましたけれども,公式の訪問以外には,ジョルダンのフセイン国王が亡くなられた折のご葬儀と,それからベルギーの皇太子殿下がご成婚なられた時には,そちらに伺わせていただくことができましたことも大変有り難かったと思っております。

「ご葬儀に伺わせていただくことができて大変有り難かった」とも受け取れる微妙な言い回しも、そこまでして外国旅行に出かけたかったのかいと、しばしばスレ住民による突っ込みがなされる。

ヨルダンについてのWiki記述では、「ジョルダン」は以前の外務省での表記として用いられていたとの説明がある。
(外務省では省内の用語としてヨルダン・ハシェミット王国と表記する。以前の外務省は、ジョルダン・ハシェミット王国と表記していた。)
日本国内での通称は昔っから「ヨルダン」なのに、公式記者会見で外務省のジャーゴンとでもいうべき「ジョルダン」を用いたがるのは、さすが外務省でのキャリアに固執し続ける人柄が表れていると言える。

「大変有り難かったと」言及されている「ジョルダンのフセイン国王葬儀」は平成14年(2002年)2月8日のことであるが、合わせて例として挙げられている「ベルギーの皇太子殿下ご成婚」は平成11年(1999年)12月4日の出来事である。3年も前の海外訪問を一緒くたにしているところなんぞ、雅子のカイガイへの執着の強さがよく現れていると言えよう。

なお、平成16年(2004年)5月には「ヨルダンのハムダ王太子結婚披露宴」に東宮夫妻が招待されていたが、近い時期に同じく招待された「デンマークのフレデリック王太子結婚式」「スペインのフェリペ王太子結婚式」を優先し、ヨルダンのそれは断るという事件が発生している。
まあ法則が何かと囁かれる東宮夫妻に関わらなくて済んだという意味では、ハムダ王太子殿下にとっても宜しかったのかもしれない。
http://www.47news.jp/CN2/200404/CN2004042701000252.html
王室の結婚式参列 皇太子さま訪欧、閣議了解
 皇太子さまが外国王室の結婚式参列などのため、5月12日から13日間の日程でデンマーク、ポルトガル、スペインの3カ国を訪問されることが、27日の閣議で了解された。
 宮内庁によると、コペンハーゲンで5月14日、フレデリック・デンマーク皇太子の結婚式に出席。ポルトガルには親善目的で同15日から20日まで滞在し、大統領主催の晩さん会などがある。22日にはマドリードでフェリペ・スペイン皇太子の結婚式に参列する。帰国は24日。
 ヨルダンからも5月下旬にあるハムザ皇太子の結婚披露宴への招待状がご夫妻あてに届いていたが、宮内庁は「諸般の情勢を総合的に判断した結果」として訪問を見合わせた。
2004/04/27 00:03 【共同通信】


関連項目:【外国行かせろ会見


※参考画像
1999年12月3日 妊娠を隠してベルギー訪問強行、出迎えたフィリップ王太子とキス
1999年12月4日 ブリュッセルのサン・ミッシェル大聖堂、ベルギー・フィリップ王太子結婚式にてロイヤルブルーの衣装の雅子
1999年12月4日 同上結婚式でのロイヤルブルー衣装の雅子と皇太子、言うまでもないが欧州王族にとってロイヤルブルーは英国王室の色である
1999年12月4日 同上結婚式にて来賓と語らう皇太子夫妻、相手が皇太子の側に向いた途端それまでの笑顔が消え冷たい表情に変わる雅子(注:字幕スーパーはあくまで架空のものです)
参照:ようつべ動画「皇太子妃雅子さまの笑顔」:1分36秒〜話している相手が皇太子の方を向くと雅子の表情が…


1999年12月4日 同上ベルギー王太子結婚式での集合写真。ただ一人派手なロイヤルブルーの衣装に身を包んだ雅子、夫徳仁皇太子との距離と隣のスペイン・フェリペ皇太子との距離、どちらが近いか?
1999年12月 どうしてもとグルメ巡りで訪れたベルギーの郊外Durbuy (デュルビュイ)にあるレストラン「Les Sanglier des Ardennes」での記念写真、雅子は“La Princesse”ではなく“SON EPOUSE”と書かれ店側に貴賎結婚認定された状態
「S.A.I.(=Son Altesse Imperiale) LE PRINCE NARUHITO ET SON EPOUSE MASAKO OWADA」と説明が添えられた記念写真。
参考:Durbuyのレストラン「Les Sanglier des Ardennes」HP、結婚式が行われたブリュッセルから80km以上も離れた片田舎。この時雅子は妊娠中であった。
1999年12月 同上レストランでの別写真と思われる、乾杯のシャンパンか白ワインを注がれたグラスを手にしている妊娠初期の雅子と徳仁。レストランスタッフや随員と思しき人とも一緒。
参照:Mary's Netherlands & Belgium--DSCF0604
この12/3-7ベルギー訪問、往復に数時間かけてのレストラン巡りでワインも飲んだ帰国後12/10雅子に懐妊の兆候ありと朝日新聞が報道。12/30繋留流産となる。

2002年2月8日ヨルダンのフセイン国王葬儀に出発する雅子と皇太子
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