2012.2.3.
今月6日にちくま新書から『分析哲学講義』が刊行されます。目次や内容紹介などを、こちらのページにまとめておきます。
"分析哲学講義"のページ

半年間もこのブログを更新していませんでしたが、所属先の時間学研究所では、各種セミナーから餅つき!まで、いろいろありました。
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半年間もこのブログを更新していませんでしたが、所属先の時間学研究所では、各種セミナーから餅つき!まで、いろいろありました。
2011.8.4
7月31日、東京大学本郷・山上会館にて、『〈私〉の哲学 を哲学する』(永井均・入不二基義・上野修・青山拓央著、講談社)合評会に参加してきました。全著者のほか、多くの方が来られていました。節電のための暑さで私はボンヤリしていましたが、客観的にはいろいろ応答していたようです。そのなかで、哲学的な「揺れ」あるいは「引き裂かれ」についても述べたのですが、大森荘蔵さんに関してそれを論じた拙文がネットに出ていたのでリンクしておきます(リンク先PDFの末部に掲載)。
「野矢茂樹著『大森荘蔵―哲学の見本』書評」, 『科学哲学』, 41-2号, 日本科学哲学会, pp. 129-134, 2008. 12.
2011.6.30
拙著『分析哲学講義』(仮題)の草稿を書き終えました。新書サイズで二五〇頁ほどです。いま数人の方に見て頂いており、ご意見をもとに推敲しています。現時点での章立てとともに、文献紹介リストを〈こちら〉に載せておきます。
2011.5.19
情報処理学会『情報処理』6月号の特集「時間とコンピュータ」に、エッセイを寄稿しました。タイトルは「時間分岐/人生の棋譜化」で、名人戦中の羽生名人と並んでエッセイを載せて頂き光栄です。本特集に将棋関連のエッセイが混じっているのは、昨年、情報処理学会創立50周年記念イベントとして、女性プロ棋士対コンピュータ将棋ソフトの対局があったからでしょう(速報記事)。
男性プロ棋士対ソフトの対局はしばらく行なわれていませんが、また行なわれることを期待しています。棋士の選出は難しいですが、個人的には、世界一将棋の強い哲学徒である糸谷哲郎五段(大阪大学)を推薦します。
男性プロ棋士対ソフトの対局はしばらく行なわれていませんが、また行なわれることを期待しています。棋士の選出は難しいですが、個人的には、世界一将棋の強い哲学徒である糸谷哲郎五段(大阪大学)を推薦します。
2011.5.18.
6月11日(土)・12日(日)に山口大学にて、日本時間学会第3回大会が開催されます。初日には、下記のシンポジウムと特別講演もあります(予約不要・無料)。詳細は学会ホームページをご覧ください。
時間学公開学術シンポジウム 6月11日(土)1:30PMより
「時間体験の基礎―心理学,哲学,生物学からのアプローチ」
・「時間の体験についての実験心理学による解明」 一川 誠 (千葉大学文学部准教授・実験心理学)
・「時間の非対称性と価値や幸福の問題」 柏端 達也(千葉大学文学部准教授・哲学)
・「ゾウの時間、ネズミの時間から、ハエの時間まで」 粂 和彦(熊本大学発生医学研究所准教授・時間生物学)
特別講演 6月11日(土)4:30PMより
・「非線形科学と時間」 蔵本 由紀 (京都大学名誉教授)
2011.4.28.
いま書いている本のなかから、本筋に関わらない与太話を引用します。下記の両者が本当に似ているかを、争うつもりはもちろんありません。
『名指しと必然性』は講演録を手直しして出版したものですが、もとになった講演は、一九七〇年にアメリカで行なわれています。一九七〇年という年はなかなか象徴的で、そこには多くの文化的転回点がありますが、たとえば私は個人的に、分析哲学史における『名指しと必然性』をジャズ史における『ビッチェズ・ブリュー』(一九七〇)というアルバムと重ねて見ています。ジャズ・ファンにはこの比喩だけで、かなりのニュアンスが瞬時に伝わるでしょう。あるスタイルが円熟し、技巧化の果ての閉塞が見えたとき、ある種の開き直りと混沌を含んだ、新たなスタイルが提出される。そのことによって全体の景色が変わる。両作品にはそうした側面があります。ついでに言えば、ばらばらの情報が同時並行で流れていく点も似ています。
『名指しと必然性』における転回は、論理実証主義とその前史・後史に顕著な、形而上学への強い疑念をあっさり無視している点と、同時に、やはり強い疑念の対象であった様相概念(「可能」「必然」などの諸概念)を全面的に用いている点に現れています。そこには、なぜそうすべきかについての明確な論証があるわけではなく、新しいスタイルのもとでの見事な「演奏」があるだけですが、その演奏に魅せられた人々は新たなスタイルを徐々に取り入れていきました。
2011.4.27.
友人が、web上で読める哲学雑誌を創刊しました。ご覧の通りの力作です。案内文を転載しておきます。
高校生からの哲学雑誌『哲楽』創刊号、日英で公開しました。サンデル教授、チョムスキー博士のインタビュー記事に、日本の若手哲学徒・研究者による珠玉のエッセイが続きます。web版->http://philosophy-zoo.com/tetsugaku-magazine epub版->http://philosophy-zoo.com/tetsugaku-magazine/kiyak...
2011.4.14.
一年ほど前に書いたエッセイ(幸せで、それを知っているなら「群像」2010年3月号)が、某大学の入試問題に使われたそうです。読み返してみるに、ある真実をとらえていると思いますが、その正しさゆえに今現在これを書くことはできないでしょう。
2011.4.6.(4.12.追記)
『新版 タイムトラベルの哲学』(ちくま文庫)について、amazonでこちらのレビューを書いて頂いたのですが、残念ながら内容は誤解の多いものでした。これ自体はよくあることですが、こうしたレビューを見て哲学一般への誤解(哲学は科学と無縁である)をも深めてしまう方が居るようなので、レビューの中心を占める時間対称性の問題について、簡単にコメントをしておきます。
結論から言えば、エントロピーに言及しても物理法則の時間対称性は維持され、時間の向きの問題は解消しません。拙著215頁で挙げられているヒュー・プライスの著作や、渡辺慧『時間の歴史』に、その理由が詳しく述べられています(後者には数式による証明もあります)。上記二冊が手に入らなければ、ロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』も参考になります。
重要なのは、物理法則が時間非対称であることと、初期状態が低エントロピーであることの区別で、マクロな経験におけるエントロピー増大は後者のみで(時間対称的な法則のもとで)説明可能です。しかしこの場合、なぜその初期状態が「初期」状態なのか――その状態が存在する時間を、なぜ未来ではなく過去と見なすのか――をエントロピーで説明することはできません。つまり、エントロピーによって時間の向きは定まりません。
関連:
文庫版まえがき
amazonでの同書単行本版のレビュー
物理学者による相対論的タイムトラベルの本では、『時間旅行者のための基礎知識』草思社(→amazon)がとくに良書です。こちらを読んでから拙著を読まれると、多くの誤解が避けられます。
結論から言えば、エントロピーに言及しても物理法則の時間対称性は維持され、時間の向きの問題は解消しません。拙著215頁で挙げられているヒュー・プライスの著作や、渡辺慧『時間の歴史』に、その理由が詳しく述べられています(後者には数式による証明もあります)。上記二冊が手に入らなければ、ロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』も参考になります。
重要なのは、物理法則が時間非対称であることと、初期状態が低エントロピーであることの区別で、マクロな経験におけるエントロピー増大は後者のみで(時間対称的な法則のもとで)説明可能です。しかしこの場合、なぜその初期状態が「初期」状態なのか――その状態が存在する時間を、なぜ未来ではなく過去と見なすのか――をエントロピーで説明することはできません。つまり、エントロピーによって時間の向きは定まりません。
追記(4.12.) エントロピー増大の統計力学的説明をご存じで、しかし上の解説がぴんと来ない方は、こちらの抜書を参照してください。拙著では、以上のことを前提として時間の向きの議論をしていますが、上記の解説は省略しています。拙著での議論に直接必要がなく、また、この種の解説にはきりがないためです。しかし、こうした省略によって、拙著ひいては哲学書全般が、科学の無視に基づいている――ましてや非論理的である――と誤解されるとすれば残念なことです。なお拙著の文庫版補章では、相対論的タイムトラベルについても論じています。
関連:
文庫版まえがき
amazonでの同書単行本版のレビュー
物理学者による相対論的タイムトラベルの本では、『時間旅行者のための基礎知識』草思社(→amazon)がとくに良書です。こちらを読んでから拙著を読まれると、多くの誤解が避けられます。
2011.2.2.
2011.1.3.
今月8日にちくま文庫から『新版 タイムトラベルの哲学』が刊行されます。文章を全体に手直ししたほか、『思想』誌(岩波書店)掲載の論文を補章として収録しました。文庫版まえがきの一部をこちらに引用しておきます。
"タイムトラベルの哲学"のページ

昨年末のおもな活動は、時間学国際シンポジウムの運営、分析哲学の新書執筆、自宅引越、風邪反復などです。
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昨年末のおもな活動は、時間学国際シンポジウムの運営、分析哲学の新書執筆、自宅引越、風邪反復などです。
2010.10.10.
共著『<私>の哲学を哲学する』(永井均・入不二基義・上野修・青山拓央著、講談社)が刊行されました。変わった構成の本ですが、哲学の本としてこの構成は有効であったと思います。また現在、『タイムトラベルの哲学』文庫版の校正作業中です。ちくま文庫より来年1月の刊行予定で、単行本版(講談社)に大幅な加筆・増補がなされています。

講談社の紹介ページ
入不二さんのwiki(大きな書影あり)

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入不二さんのwiki(大きな書影あり)
目次
序章 永井均 問題の基本構造の解説
第I部 入不二基義セクション
0 語句解説「内包」
1 <私>とクオリア ―マイナス内包・無内包・もう一つのゾンビ―
2 永井均との討論
第II部 上野修セクション
0 語句解説「真理条件」「大文字の他者」
1 現実指標としての〈私〉─永井均『私・今・そして神』を中心に─
2 永井均との討論
第III部 青山拓央セクション
0 語句解説「様相」「指標」
1 様相と指標の累進 ─永井均著『なぜ意識は実在しないのか』検討─
2 永井均との討論
全セクションについてのフロア討論
第IV部 あとから考えたこと
1 永井均 聖家族 ―ゾンビ一家の神学的構成
2 入不二基義 無内包の現実
3 上野修 存在の耐えられない軽さ ―ラカン、デイヴィッドソン、永井均
4 青山拓央 命題と《現実》
あとがき 上野修
2010.5.28.
6月5日(土)・6日(日)に山口大学にて、日本時間学会第2回大会が開催されます。私は5日のシンポジウム「死と時間」にてコーディネーターを務めます。同シンポジウムの内容は下記のとおり。詳細は学会ホームページをご覧ください。
講演者:
井上愼一(山口大学時間学研究所元所長・時間生物学)
・「死」の生物学
中筋由紀子(愛知教育大学教育学部准教授・社会学)
・記憶と親密圏
鈴木生郎(慶応義塾先導研究センター研究員・哲学)
・死と時間の形而上学
日時:2010年6月5日(土)14:00〜17:30
場所:山口大学人文学部大講義室(予約不要・無料)
2010.3.30.
2010.2.8.
『群像』3月号に随筆を寄稿しました。冒頭はこんな感じです。
幸せで、それを知っているなら
哲学者のトマス・ネーゲルはこんな話を書いている。聡明な大人の男性が頭に怪我をし、幼児のような精神状態になってしまった。しかし彼は満ち足りた「幼児」で、みんなに優しく世話をされながら、食べたいときに食べ、遊びたいときに遊んで暮らす。彼の心の中だけを見るなら、幸福感に包まれている。
それでも私たちはふつう彼を不幸だと思うだろう。それは、いったいなぜなのか。ネーゲルの答えはこうである。聡明な大人として生きられたはずの彼は、さまざまな幸福の可能性を奪われている。だからこそ彼は不幸なのである。現在の彼の認識のみでは、彼が幸せかどうかは決まらない。「幼児」としての現実が、どんな可能性を背景に成立しているかが重要となる。
私はこの話を読むと、英語で歌われた「幸せなら手をたたこう」を聴いたときのことを思い出す。この歌はもともと外国の歌で、英語詞は日本語詞と少しだけ違う。「幸せなら手をたたこう」ではなく、「幸せで、あなたがそのことを知っているなら、手をたたこう(If you're happy and you know it, clap your hands.)」という歌詞なのだ。
(つづく)
2010.1.6.
2009年の終盤は、学会のイベントに二つ参加しました。科学基礎論学会 秋の研究例会では、ワークショップ「死者の存在論をめぐって」にオーガナイザーとして参加(2009.10.24 慶應大学)。西日本哲学会大会では、60周年記念シンポジウム「黒田哲学の再評価」にシンポジストとして参加(2009.12.5 九州大学)。
後者はシンポジストなので発表論文(「行為と出来事は直交するか:黒田因果説の検討と展開」)を準備し、講演と討論を務めました。会場の自由な雰囲気のおかげか、聴衆と3名のシンポジストの間で噛み合った議論が成立し(学会では珍しい?)、収穫がありました。
その「収穫」を確認する意味で、『哲学の現場』(井上忠著)を読む予定です。
後者はシンポジストなので発表論文(「行為と出来事は直交するか:黒田因果説の検討と展開」)を準備し、講演と討論を務めました。会場の自由な雰囲気のおかげか、聴衆と3名のシンポジストの間で噛み合った議論が成立し(学会では珍しい?)、収穫がありました。
その「収穫」を確認する意味で、『哲学の現場』(井上忠著)を読む予定です。



